隣家から家庭菜園のお裾分け

2019-08-31 | 家族のこと


お隣から収穫のお裾分けがありました。
もうすぐ100歳のおじいさんに代って今年から孫が引き継いだ家庭菜園。
わざわざ届けてくださって、ホッコリと嬉しくなりました。

ゴーヤ、珍しい白いゴーヤ、ミニトマト、オクラ、ナス、唐辛子等々

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無言の優しさ、もう一つ見っけ!

2019-08-26 | 家族のこと
  

18歳で運転免許を取った私、これが人生最後の車となります。
今日も用事をつくって運転したけれど・・・いや~~、機能満載、乗り心地大満足です。

今更ながら気がつけば、車体番号が前の車と同じ「316」
ヨハネ3章16節、私たち夫婦が大切にしている聖句です。
次男はそれを覚えていて番号指定してくれていました。
次男の優しさ再発見です。

それにしても  何と会話のない息子か。
長男はしゃべない、次男はしゃべない(^0^)

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無言の優しさ

2019-08-25 | 家族のこと


高齢者ドライバーの事故ニュースが続いています。
車を提供してくれている次男が心配してか2回目の車検を前に新車に買い換えてくれました。

自動ブレーキ、前後のドライブレコーダー、定速運転機能付き等々安全機能アップ。
これまでの車と同じ車種ですが車内は広くなっているし技術進歩は凄いです。
因みに色はピンクと白のツートンカラー、長男が色見本で「ウン」と頷き決定しました。

今日の礼拝が初乗りです。もう快適~~。

「母さん、車はこれが最後だよ!」と次男の無言の優しさです。

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お世話になった愛車を見送る

2019-08-24 | 家族のこと


2回目の車検を前に車を買い換えてくれるって・・次男。
新しい車と交換の為にデーラーに行く愛車を見送る。

ホンダNBOX(福祉対応車)5年間、本当にお世話になりました。
買って半年後に長男突然の入院。この車で夫と一緒に病院を走り回りました。
在宅になって1年後、2016年秋から3年間、3人で教会の礼拝に毎週行くことが出来ました。
愛車の後ろ姿を見送りながら万感迫るものがあり、うっすらと鬼の目に涙!

明日の礼拝は新車で・・・ところが
次男は新車を楽しんでいるのか21時になってもまだ戻りません。
さてさて、一晩寝てからのお楽しみか。
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ビタミン霊、効きました

2019-08-16 | 個人的なこと


長男のレスパイト中に東京バプテスト神学校夏期講座に出席しました。
「新約聖書をどう読むか」講師は青野太潮先生

5年ぶりでしょうか、神学校の授業出席は。
眠気との戦いかと思いきや、目も頭もギンギンの重厚な講義でした。
疲れもぶっ飛び・・・ビタミン霊、効きました。



学んだ多くの中から自分のために一つだけ書き留めておきたく。以下長文です。

以前に読んだ本、H.S.クシュナーの書いた「現代のヨブ記」

クシュナーの息子は3歳の時に「早老症」という難病が見つかり、14歳で天に召されます。
何故わたしが、何故罪のない息子が苦しむのか、神はどこにおられるのかと問い続けます。
そして最後に彼は【神の限界】に行き着くのです。
病気、事故、災難、天災、自然法則のために、人間の進化や人間の道徳的自由の為に神になし得ることには限界があると。
限界(何も出来ない)の中で神も私と共にいて下さり、もがき苦しんで下さっている。
愛は完全無欠を賛美することではなく、欠点のある人を、にもかかわらず受け入れること。


クシュナーのいう【神の限界】を実はわたし自身も密かに受け入れ始めていました。
何故密かにかと言いますと、クシュナーはユダヤ教のラビでキリスト教とは違うのではと。
「神には出来ないことは何一つない」と私は信じ切っていましたし、聖書にもそう書いてあるし、祈るときも万能の主(、と思って)に向かって祈っているからです。


しかし驚いたことに青野先生の講義で1日目も2日目にも同じ事が語られました。。

【全能者の無力】 レジュメをそのまま引用すれば、神はご自身のその決断の故に、あえて自然界の法則の中にはもはや介入することはおできにならない、つまり【無力】なのであって・・・
不条理としか言い様のない「天災」「苦難」「病い」「障がい」の問題は人間の罪、赦し贖いとの関わりにおいて解決出来る問題ではない」

私が受けた講義「受肉論」「贖罪論」は【全能者の無力】が通奏低音となっていると思わずにはおれません。


【神には出来ないことがある】 
クシュナーを読んで心に秘めていた神理解、もう一度問い直してこれからの信仰生活の中で神の真の姿を追い求めたいと思います。
そしてインマヌエルのイエス様を祈り求めていきたいと思います。







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長男、今日からレスパイト。わたしは・・・

2019-08-13 | 個人的なこと


長男は今日から川崎みどりの病院に3泊4日のレスパイトです。
その間、わたしは水・木と東京バプテスト神学校夏期講座に参加します。

このところ猛暑のせいか、歳のせいか寝ても寝ても疲れがとれません。
ヒョッとすると霊的な疲れかもとおもい、久し振りに霊の注入?をしてきます。


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疲れがぶっ飛びます(笑)

2019-08-09 | 長男のこと


ここ数日前から長男に笑顔が戻ってきました。
今日も往診に来て下さったK先生に今にも声を出して笑い出しそう。
母はこの笑顔を見ると猛暑の疲れもぶっ飛びます。
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「よろこんで歳をとりたい」

2019-08-04 | 個人的なこと


「わたしは よろこんで 歳をとりたい」の題名に心ひかれて購入しました。
著者はイェルク・ツィンク ドイツの牧師で神学者。

全54頁、そのうち半分は写真で・・・あっという間に読み切ってしまいました。
著者自身の老いを見つめる言葉は深く味わいのあるもの、何度も読み返してみたいと思います。
人生の晩秋を実感しておられる方には是非お勧めの一冊です。


以下、一部ご紹介です。



つい先ごろ 山でカエデの老木に出会った
わたしもその木のように ただそこにいて
生きているだけでよいのだ
ようやくそのように わたしも成長し自由になった!

かつて自分がやったことは いまは若い人の課題
彼らは別なやり方をするだろう かつてのわたしもそうだった
いまは 若い人たちが よくやってくれるようにと願い
神の助けを 祈っている


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