主を讃えよ

2024-06-21 | 個人的なこと

祈り会、新生讃美歌43番を歌って始まった。

「題名」「曲名」「作詞作曲者」等々、牧師の丁寧な讃美歌レクチャーがあった。

父なる神(1節)キリスト(2節)聖霊(3節)、作詞作曲は大矢公子、わたしである。

6月22日(土)牧師就任式でも開会に賛美して下さるとの事、思いがけず感謝が溢れる。

 

「曲名」は「HIDEMI」とした。

長男の名前である。

 

ここからは「讃美歌集」の記載では分からない裏話。

2000年3月31日、長男はヨルダン社を退職し大好きな沖縄に永住すると豪語し家を出た。

やりたいことをしないで後悔するよりも!と、心配しながらも送り出した。

「曲名」つけるにあたり、ダブらなければ何でもいいとの事で祈りつつ「HIDEMI」にした。

 

25年前を思い出す祈り会での恵み。

 

 

26歳、家を出る前日の懐かしい写真です。(愛犬ルークと)

 

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あっと言う間の一ヶ月

2024-06-17 | 個人的なこと

4月に聖マリ横浜西部病院に緊急入院、そしてそしてそして・・・

10年間の在宅介護を断念、長期療養型病院(AOI国際病院)に転院しあっと言う間の一ヶ月。

「膿胸」の手術が出来ず抗生剤で抑えている現状、何時急変するかと携帯を片時も離さぬ日々。

 

昏睡状態に近い時もあれば少し持ち直したかと思われる時もありで安定していません。

だんだん細くなる長男の手や腕やコツコツとしてきた背中を摩りながら思います。

神はご自身の栄光を現し、私たちをその目撃者にする為にまだ彼に息を与えておられるのだと。

 

 

今日の面会はわたし一人(夫はリハビリ、次男は仕事)。

アイパッチをそっと外したら目はパッチリ開いていて少し涙目でした。

いつもは彼の為に祈るのですが、今日は祈りのリクエストをしました。

「この願いが神様からのものならば成りますように! 一緒に祈って」と。

ヒデミとわたしと神様のヒミツです。

 

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一憂一喜!

2024-06-13 | 長男のこと

1週間ほど昏睡に近い状態が続いた長男。

ここ数日、回復傾向に向かっているように見受けられます。

ただ、瞼を閉じる筋肉が無くなって昏睡状態の時から絆創膏で瞼を抑えていたのですが、

ほっぺが絆創膏でかぶれて昨日から貼る眼帯(アイパッチ)を使い始めました。

 

なんだか可哀そうだけれど、瞳が乾燥するとこれも大変なのでいた仕方ないか

面会の時だけはそっと剥がしてあげます。

待っていたかのように目を開いて「頑張ってるよ!」と言いたげです。

 

10日ほど休止していた食事に変わる「高カロリー液(24時間点滴の栄養)」も再開しました。

上の写真、オレンジ色の袋が「エルネオパ1000㎖)」点滴液です。

(前は「エルネオパ1500㎖)」だったんですが、まあお粥からってところかな)

 

今日はもう一つ嬉しいことがありました。

面会中に紘.K医師(AOI国際病院緩和病棟担当医)が病室に来てくださいました。

度々見舞って下さっているとは雅子.K医師(在宅医)から伺っていましたが・・・

たった10分間の面会中に遭遇、何という不思議、何と有難く心強い事でしょうか。

 

長男の入院に先立ち、神さまは1カ月前に紘.K医師をこの病院にお遣わしになりました。

詳細は5/14のblogに書きました。

誰もがビックリしましたよ、「ありえな~い!」って異口同音に言いましたよ。

神様、あなたは何て粋なことをなさるのでしょう。

私は今日もまた主を崇めずにはいられません。

 

そんなこんなの「一喜一憂」ならぬ「一憂一喜」、近況報告です。

 

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老いるという事

2024-06-08 | 個人的なこと

 

故井上洋治神父の説教テープを好んで聞くこの頃、貴重なテープを見つけた。

2012年5月、「風の家」26周年・南無アッパの集いで語られた近況を語る最後のテープ

85歳、ホームに暮らす神父の「老い」について語る実直なお話しは今の私にとても響く。

 

井上神父はこう語られる。

「老いることの大変さ、こればかりは75才前の若い方には考えても分からないことでしょう。

生きがいの基本は人の役に立つこと、大切にされること。それが一つ一つ出来なくなる。

生きがいの基本がなくなっていくことの虚しさ、悲しさ。

長~い夜の一人ぼっちの寂しさ、大変さ。

そんな時、空の手で(無心で)南無アッパに祈りをささげるのです。

アッパのお迎えが来る最後の時まで祈り続けられるようにご加祷ください。」

 

 

奉仕、子育て、仕事、家事?諸々 忙しくも充実した頃の私、感動した「詩」がある。

あゝ、この歳になって言葉の一つ一つがやっと少しわかってきた気がする。

 

最上の技

「この世の最上の技は何?

   楽しい心で歳をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、

   失望しそうなときにも希望し、従順に、平静に、おのれの十字架を担う。

   若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、謙遜に人の世話になり、

弱っても、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること。

 老いの重荷は神の賜物。

   古びた心に、これで最後の磨きをかける。

   まことの故郷へ行くために。

 おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは、まことにえらい仕事。

   こうして何もできなくなれば、それを謙遜に承諾するのだ。

 神は最後に一番良い仕事を残していてくださる。それは祈りだ。

  手は何もできない。けれど最後まで合掌できる。

  愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見棄てじと。」 ヘルマン・ホイヴェルス

 

 

 

 

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溢れる恵み

2024-06-02 | 個人的なこと

2013年秋、長男がJOYチャペルに転入会の時の古い古い写真です。

長男は支えられながらも自分の足で立ち、自分の口で転入会の信仰告白が出来ました。

この年のChristmasには夫がバプテスマを受けて我が家はクリスチャンホームになりました。

そして翌年、長男は「胃ろう増設、気管切開で声を失い、寝たきり」になるのです。

あれから10年、どんなに多くの方々に祈られてきたことでしょう。

遠い昔のような気がします。

主の恵みの数々を思い起こすたびに感謝が溢れます。

 

2024年6月になり、また主の恵みが2つ加わりました。

 

1つ目は連れ合いの事

 

長男の在宅介護が5月で終了、10年間お世話下さった雅子.K先生に感謝のご挨拶に行きました。

同伴した連れ合いが「今度は私の在宅医になって下さいませんか」と懇願。

既に別の訪問診療を受けてはいましたが、夫も私もK先生への信頼は言葉に尽くしがたいもの。

ホームドクターとして元気な頃の夫をご存じのK先生に自分の老いを見守って頂きたい一心です。

 

クリニックを変えるのはとても難しいこと、当然のことながら相手医師も戸惑いを隠せません。

誠意をもって説明しお願いをしたところ、了解を得て診療情報提供書も書いて下さいました。

驚く様なスピード解決で感謝・恵みが一つ増えました。

 

 

2つ目は長男のこと

 

AOI国際病院に転院してからも体調はもどらず、昏睡状態がずっと続いたままでした。

面会は幸いにも毎日OK、ただし同居家族2名のみ、10分という制限付きです。

家族以外はNGなのですが、牧師の面会をこちらも懇願したところ特別許可が下りました。

 

しかし昏睡状態が続く長男、牧師に来ていただくのを躊躇する私たち。

それが突然5/28、29と覚醒、笑顔も。

「今だぁ!」とばかり牧師に面会をお願いしました。

6/1(土)み言葉とお祈りを携え、電車を乗り継いで病院まで来てくださいました。

深夜に重責発作(人工呼吸器装着云々)があった翌日の面会でした。

笑顔は出なかったけれど、目も開けていたし、わずかに口も何か言いたげでした。

「み言葉と祈り」きっと長男の耳と心と魂に届いたことでしょう。

 

今日6/2(日)礼拝後に家族3人で(2人しか病室には入れないのですが)面会に行きました。

発作、発熱、酸素吸入、そして再び昏睡状態に戻ってしまいました。

 

昨日の牧師の面会は神様が備えて下さった「時」なのだと思います。

全ては神のご采配の中にあって神の不思議な業、恵みは驚くばかりです。

 

 

礼拝後に聖歌隊練習がありました。

 ♪溢れる恵みを主は、朝に夕に与え

  尽きることのない主の恵みを 歌わずにいられない♪

 

 

 

 

 

 

 

 

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「生」と「死」の選択

2024-05-31 | 長男のこと

5/31(金)、日付が変わって数分後に枕もとの携帯が鳴った。

長男が入院中のAOI国際病院(6階の療養型病棟)からだった。

深夜当直医師が電話口で「重責発作が起きなかなか治まらない」とのことである。

「このままだと命の危険があるので人工呼吸器を付けたい」と告げられた。

「付けないと死にます」と。

医師の言葉にわたしの心はひどく動揺した。

 

延命治療に関してはどの病院も、レスパイトでも入院時に確認の文書を取り交わす。

これが最後の延命治療と雅子. K医師のアドバイスで気管切開を決めたのが10年前。

「もしもの時が来たら神様の招きと信じて人工呼吸器は付けない」と家族で確認していた。

 

しかし、しかし「付けないと死ぬ」をリアルに耳にして暫くひるむ私がいた。

戸惑うのだ、悩むのだ、「どうか生かしてください」と言いそうになるのだ。

これが現実だ。

 

携帯を握りながら、短い時間だったけれど、不思議に上からの平安が与えられた。

神の時は決して時間の長さではない。

 

「人工呼吸器は要りません、苦しまないようにお願いします。」と言うことが出来た。

「生」と「死」の選択だ。

わたしの思いではなく、神のみ旨のみが行われますようにと。

それでも追い打ちをかけるように「覚悟をしておいてください」と医師は言う。

 

眠れない夜を過ごした。

その後、朝まで電話は無く発作はきっと治まったのでしょう。

 

数週間ずっと昏睡状態の長男だけれど、私たちの声はきっと届いていると信じて語り続けた。

それが、何と!  

今週の火、水、木曜日 3日連続で目を開け、あの笑顔が戻った。

嬉しかった。

沢山の奇跡を見せ続けてくれた長男「この病は死で終わるものではない。神の栄光が現れるため」

 

今日も10分面会に行ってきます。

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天国でまた逢いましょう

2024-05-21 | 教会のこと

大切な信仰の友、京子さんが5/14(火)天に召された。

長男がAOI国際病院(療養型病院)に転院するさなかの訃報電話。

この日に予定していた京子さんとの面会を、体調を鑑み主治医とご長女の配慮で5日前に前倒し。

京子さんと初対面の新任牧師、私も同行させていただき祈りと賛美と笑いの恵みの時をもった。

腹膜ガン闘病3年数ヶ月、ご長女の手厚い介護を受け在宅で、最後の数週間は緩和病棟に移された。

その間に長年の祈りだったご長女の結婚という神様からのビックプレゼントがあった。

どんなに喜んだことか、抗がん剤治療の中で帽子をかぶって結婚式参列も許された。

その時に着ていたグレーの素敵なドレスは出棺式の時に彼女希望通りに亡骸を包んだ。

 

5/19(日)午後、「葬送式」がJOYチャペルで執り行われた。

お別れ(告別)ではなく、天国への凱旋を見送る礼拝式ですと牧師。

天国への凱旋、この「葬送」にいたく感動し心を晴れやかにしたものである。

み言葉には「力」がある。

そして私たちの使う言葉の一つ一つには「思い」が込められているのである。

 

葬送式の中で「京子さんを偲んで」語る役割を依頼された。

思い返せば・・実は私自身は京子さんとはベッタリと親しく仲良くしていたわけではないのだ。

けれども誰よりも長く教会生活を共にしたし、支えられて来たのは事実なのでお引き受けした。

先ずは「昭和22年生まれ、ベビーブーム真っ只中の同じ歳」から始まって不思議な接点の数々。

特に、重度障害の長男には心を寄せて下さり、介助し、祈り、励まし、見舞ってくださった。

今更ながらに感謝の言葉もない。

 

当日、語る言葉は選びも吟味もしないまま、霊の語らせるままに話すことに決めた。

そして、思い出はもっとたくさんあったし、京子さんが神様に愛されてる事実を語りたかった。

聖霊がストップした話しもあった。

「主に委ねて行きましょう」と京子さんの声が聞こえる、「感謝です」と笑顔が目に浮かぶ。

 

火葬場で長男、長女のお二人とゆっくり話す時間があった。

「お母さんって可なり【天然】だったよね、家族はずいぶんそれに振り回されたよね」

わたしの知らない京子さんが家の中にいた。

人間、色々な顔があるもの、それで良い、みんな神様の作品なのだから。

そして二人とも異口同音「お母さんの信仰は凄い、神さまにまっ直ぐ」とも言う。

京子さんが最後に伝えたかったみ言葉

 

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます。」(使徒言行録16:31)

「これは京子さんのご家族だけでなく、皆さんへのみ言葉です」と牧師はメッセージで語る。

 

葬儀には親しく深く誠実に交わった多くのご友人、ご近所の方、ご親戚の方、賛美の仲間が参列。

旅立ちの備えもお礼の言葉も訃報連絡先も全てご自身で準備して子どもたちに託した京子さん。

「母の願い通り、それ以上に皆さんに葬送してして頂けて思い残すことは有りません」とご長女。

 

棺の上に置かれたリース、フローリスト(JOYチャペルメンバー)からの贈り物です。

そうそう、京子さんの人生はこんな感じの明るく華やぎをもって福音を生きた方でした。

 

 

 

 

 

 

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空虚

2024-05-17 | 家族のこと

 

在宅介護終了に伴い、レンタル福祉用具を返却。

ベッド、リフト(車椅子⇔ベッド)、ベッドサイドテーブル、点滴棒、昇降機(部屋⇔外)など。

 

特注のくまモン号(車椅子)だけがポツンと残ります。

主のいなくなった部屋は空虚、寂しさがつのります。

 

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在宅介護の終わり

2024-05-14 | 家族のこと

 5年前、次男が買ってくれた車も入れて一応家族全員集合貴重な写真!

 

とうとう10年間の在宅介護に幕を閉じる日が来ました。

5/14(火)上白根病院から「AOI国際病院 長期療養病棟」に転院しました。

 

 

以下、長文になります。

4月に急性期病院に緊急入院し【膿胸】を癒すことが体力的に出来ずそのまま回復期病院に転院。

回復期病院からは1カ月位で在宅か長期療養型病院に移らなくてはなりません。

爆弾を抱えたまま抗生薬で抑えている現況で、家で診るのは本人にも負担が大きすぎるとの事。

在宅の限界を受け入れなくてはならない状況は在宅医のアドバイスも同意見でした。

「人生の終わり、時は選べないけれど場所と方法は選べる」とfacebookの言葉が胸にささります。

なんとか、なんとか・・祈りが右往左往して定まりません。

苦しくても声も出せず、ただベッドで横たわるヒデミの顔が目に浮かび、胸が締め付けられ、泪が止まらず、夜中に目が覚めては眠れない日が続きました。

 

悶々としながら長期療養型病院の最適な病院を当たることになりました。

一覧表から相談員、在宅医の雅子.K先生にアドバイスを頂いて3か所の病院に絞りました。

先ずは下見に(青葉さわい病院、川崎みどりの病院、川崎田園都市病院)

次に書類審査があり、審査が通ると面談して詳しい内容の説明を受けることになります。

審査の回答がなかなか来なかったり、面会制限が週一回とか厳しかったり、高齢者特化の病院だったり、空きベッド待ちでいつになったら空くかはわからない、等々。

なかなか一朝一夕にはいかず帯に短しタスキに何とやら。

 

難航して焦った相談員から「もう一か所書類審査を出したい」と提案がありました。

「AOI国際病院」、聞いたこともない病院です。

驚くほどのスピードで書類審査もスンナリ通り、5/13(月)面談日も決まりました。

雅子.K先生は担当エリア外でご存じないのではと思いながらも藁にもすがる思いでご相談しました。

横浜の先生にムチャぶりですよね、案の定ご存じないらしくお返事はありませんでした。

 

それではとネットで病院名「AOI国際病院」を入力して・・エッ、エッ、目が点。

緩和ケア病棟担当医、我が目を疑って二度見、三度見、何度見ても経歴も写真も紘.K医師です。

紘.K医師は雅子.K在宅医のご長男で、昨年夏に雅子先生が体調を崩されてから紘先生が代わってヒデミの在宅担当医でした。

 

 

わたしは思いました。

「これは神様が先だって働かれておられる」と。

 

そしてわたしは誓いました。

「これが神様の出来事ならその導きを素直に受け入れよう」と。

 

そしてわたしは祈りました。

「これが神様の御業なら我が手から主の手にヒデミを委ねます。」と。

 

 「主ご自身があなたに先だって行き、主ご自身があなたと共におられる。

  主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。

  恐れてはならない。おののいてはならない。」(申命記31:8)

緊急入院の時、牧師から祈りと共にいただいたみ言葉。み言葉は真実です。

 

 

面談の2日前の夜の事です。

雅子.K医師から電話がありました。

「息子がその病院に先月から勤務しているそうなの、何という事でしょう

面談で自分の名前を言っても構わない、入院したら都度見舞うからとのご子息からの伝言でした。

紘.K医師は緩和ケア病棟、ヒデミの入院先は療養型病棟なので様子を見に行って下さるとの事。

 

JOYチャペルのミッションステートメントに2つの聖句があります。

その一つは

 「人間にできることではないが、神にはできる」 (マルコ10章27節)

人間には思いもつかないことだが、神は驚くべきことを思いつかれる。

 

主は生きておられる。

主よ、わたしは何者なのでしょうか。これほどまでに主が気にかけて下さるとは。

主よ、ヒデミは何者なのでしょうか。これほどまでに主が先だって働いて下さるとは。

 

 

5/13(月) 「AOI国際病院」面談の日です。

11時、強い雨が降る日でした。

夫とケンジ、家族揃って出席しました。

面会は毎日出来ると聞いて安堵、これが一番の私たち家族の関心ごとでした。

コロナ以来面会制限がどこも厳しく、午後は殆ど寝ているヒデミ、週一回ではねぇ。

 

緩和ケアー病棟の紘.K先生のお名前も使わせていただき、ソロソロ面談を終わろうとした時。

相談員の携帯に電話が。

「キャンセルの電話です。明日で良ければ即入院可能ですが?」

我が家3人は顔を見合わせて「お願いしよう、ね、ね、ね」って事に。

ケンジも明日はたまたま仕事が休みの日で同行可能と言う。

そうは言っても上白根病院が「ありえな~い」って拒否するかもと思いきや、スンナリOK。

急展開もいいところ、あれよあれよという間に決まってしまいました。

 

 

10数年前、聖マリ百合丘病院で気管切開、胃ろう手術後は長期療養型病院に入院。

家に連れて帰りたいと懇願しても医師も看護師も「無理」の一言でしたから。

半年後に院長から「体調が安定してきたので在宅も視野に」と話しがありました。

「在宅」が決まった時、それは私たちのたっての願いでしたから本当に嬉しかった。

ピアノ教室を閉じ、TBTS教会音楽科の働きも無理を言って辞任、音感メソード研究会も。

何もかも捨て「二人で介護」を合言葉に夫と共に介護する日々は何と楽しかったことか。

Christianのケアマネをとの願いが聞かれ、多くのサポーターのあたたかさに感涙したことか。

大変なことも失うものもとっても多かったけれど、いただいた恵みと感謝はその何倍もです。

何よりも神様のご臨在をどれほど感じたか、目にしたか、耳にしたことか。

主は生きて働いておられる。アーメン

 

 

昨日の雨にうって変わってなんと今日は快晴。

神さまが再び新しい道を開いてくださった。

10年間続いた在宅介護は今日をもって終わりになります。

 

「どんなことにも感謝しなさい」(Ⅱテサロニケ5:18)

主にあってこそどんなことにも感謝できるのです。

 

 

入院手続き中に悲しいお知らせの電話がありました。

いつも「感謝」が口癖のようにあふれ出る信仰の友が天に召されました。

ヒデミと同じケアマネに手厚くサポートしていただきながら自宅でガン闘病中。

LINEの最後に「在宅仲間の京子より」と常にわたしを励まし祈ってくれたW姉の召天。

 

「在宅」は共にこれで終止符、神さまの御手の中で再び新しく生かされていきます。

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固定観念から脱却

2024-05-11 | 個人的なこと

今日、土曜日は合唱(TBTS教会音楽科)の授業に大井バプテスト教会に行きました。

1993年入学以来5年間は教会音楽科の学生、その後は教師・スタッフとして長年通った場所です。

殆ど車でしたが、ときたま電車利用、川崎経由で京浜東北線大井町駅のルートです。

 

昨年秋から合唱授業出席を再開、ウオーキングも兼ね電車を利用、いつものコースで行きました。

ところが・・・西大井駅からの方が近いとの情報を得て、今日はそのルートでお試し。

武蔵新城から2駅、武蔵小杉で乗り換え、西大井までは何とたったの1駅です。

 

大井町駅へは所要時間33分、11駅、乗車賃318円

西大井駅へは所要時間24分、3駅、乗車賃178円

 

長男の介護で家の近辺をウロついてばかりの10年。

世情は進化・変化しています。

 

学生時代通った渋谷駅、最近行ったことも通ったこともないけれど浦島ハナ子なんだろうなぁ。

時代に付いていくことは難しいけれど、「固定観念」の脱却は老いのブレーキと心得たり!

 

 

 

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