召天者記念礼拝に思うこと

2012-09-23 | 教会のこと
今日の主の日、JOYチャペルは召天者記念礼拝でした。
伝道開始13年目を迎えたばかりの若い教会ですが、天国に教会籍を移された信仰の先輩は7名となりました。
亡くなった方を偲ぶということは特に日本人の心の奥底にある習性なのでしょうけれど、教会では先に天に召された信仰の先輩を思いつつ私たちのこの世での信仰の歩みを確認することが召天者記念礼拝の意味なのではないかと思わされます。

最近読んだ本「日本人の心とキリスト教」(堀越暢治著)に書かれていた事が心に残ります。

教会は見える教会と見えない教会の2つある。
見える教会(この世の教会のこと)にはクリスチャンもノンクリスチャンもいる。
見えない教会(天国のこと)にはクリスチャンしかいない。
共に天国の教会に集うまでの旅路を励まし合いながら歩むのです。


「天国はクリスチャンだけ」って事にことさらに強く心惹かれます。

ノンクリスチャンを礼拝に誘うこと、キャンプに同伴することもどんなにエネルギーを吸い取られるか、きっとクリスチャンホームの方には想像も出来ないことでしょうね。かく言う私も誘われたノンクリスチャンの気持ちがわかるわけではないのですけれど。
「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」(詩篇84篇)とありますが、もっと恵みの座にいたいなぁって日曜日はいつも思うんです。
夫も一緒に天国で再開することを願いつつ、あれを捨てこれを捨て、信仰の杖だけを頼りに歩もうとしていますが、正直疲れるし、正直シンドいことです。もう勘弁してくださいって神さまにくって掛かりたい時もあります。

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9:23)

毎日毎日重たいと思ったらそういうことなんですよね。
「私の夫」と思っていましたけど勘違いだったかも。
「神さまの救いのご計画の人が、私の一番近くにいる」ってことなんですよね。

まあ、そんな自分事情をかかえながら召天者記念礼拝のメッセージをいただきました。







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