このところ長男の体調は落ち着いています。
・・と言うか、寝ていることが多い分、胎動や硬直発作はありません。
介護しやすい反面、寂しくも物足りなくもあります。
さて、ここからは雑感です
「脊髄小脳変性症」という病名を初めて知ったのは約15年前、告知を受けたとき。
原因不明、治療法無し、進行性であること、人によって症状も進行のスピードもマチマチ。
15年たって少しずつ知識も体験も加わって「病気の進行」について分かったことがあります。
病状は少しずつ下り坂。そして突然の落ち込み、そしてまたなだらかな下り坂を繰り返す。
杖から車椅子が必要になり、それでも支えられて歩くことができたあの頃。
2014年12月。突然の落ち込み(今にして理解できること)が、起きました。
一体、何が起こったのか、生死をさまようような出来事が次から次へと起こりました。
退院までの5ヶ月間は奈落の底に突き落とされたような毎日でした。
今となっては記憶の彼方に飛んでいっています。
最近、あの頃のBlogを読み返しています。
私たちもよく泣いた。そしてよく頑張った。
長男も良く耐えた。
そしてそして・・・沢山の人に祈られたあの頃。

胃瘻手術の前 鼻からの経管栄養

退院間近 長男を見舞う次男 珍しいツーショット
・・と言うか、寝ていることが多い分、胎動や硬直発作はありません。
介護しやすい反面、寂しくも物足りなくもあります。
さて、ここからは雑感です
「脊髄小脳変性症」という病名を初めて知ったのは約15年前、告知を受けたとき。
原因不明、治療法無し、進行性であること、人によって症状も進行のスピードもマチマチ。
15年たって少しずつ知識も体験も加わって「病気の進行」について分かったことがあります。
病状は少しずつ下り坂。そして突然の落ち込み、そしてまたなだらかな下り坂を繰り返す。
杖から車椅子が必要になり、それでも支えられて歩くことができたあの頃。
2014年12月。突然の落ち込み(今にして理解できること)が、起きました。
一体、何が起こったのか、生死をさまようような出来事が次から次へと起こりました。
退院までの5ヶ月間は奈落の底に突き落とされたような毎日でした。
今となっては記憶の彼方に飛んでいっています。
最近、あの頃のBlogを読み返しています。
私たちもよく泣いた。そしてよく頑張った。
長男も良く耐えた。
そしてそして・・・沢山の人に祈られたあの頃。

胃瘻手術の前 鼻からの経管栄養

退院間近 長男を見舞う次男 珍しいツーショット