日本に併合された朝鮮人は、日本人と同様に「大日本帝国臣民」であった。ただし、日本人は戸籍法に基づいて戸籍に登録されるが、朝鮮人は日本の戸籍法の適用を受けず、独自の戸籍が創出された。
1945年8月、日本の敗戦により朝鮮は植民地支配から解放された。以下、自治体史に書いたものを掲載する。
在日朝鮮人について、占領軍は1945年11月の「基本指令」において、一方では「軍事上の 安全の許す限り解放民族として取り扱い」、 他方では「必要な場合には敵国人として処遇してよい」としたが、この曖昧な規定は、結果的に彼らを無権利状態に置くこととなった。
これは、日本政府による治安優先の朝鮮人処遇策を占領軍が許容したところに発現した。すなわち日本政府は、日本国籍を持つとされた在日朝鮮人の選挙権や 外国人登録については「外国人」として扱い、他方、義務教育や司法警察権、刑事裁判権などについては「日本人」として処遇したのであった。 これを具体的に見てみよう 。
まず男女平等の選挙権・被選挙権が実現した戦後初の衆議院議員選挙において、在日朝鮮人のそれは剥奪されたのである。1945年12月に公布された改正「衆議院衆議院議員選挙法」の付則が「戸籍法の適用を受けざる者の選挙権・被選挙権は 当分の内之を停止す」と規定したように、「戸籍法」の適用を受けない旧植民地出身者たる「外地人」の参政権は提出された。したがって彼らは日本国憲法の制定に参加できなかった。
そして1947年5月2日、すなわち日本国憲法が施行される前日、政府は 最後の勅令により「外国人登録令」を公布施行した。政府は旧植民地出身者については講和条約が発効するまでは日本国籍を持つとしていたが、この第11条で彼らを当分の間「外国人」と見なす、としたのである。
「外国人登録令」そのものの内容は、外国人の入国についての原則禁止、在留外国人について登録を実施すること、外国人の登録証明書常時携帯義務、さらに無許可入国や登録手続に違反して司法処分を受けた者についての国外退去強制というものであった。
当時この「外国人登録令」 が対象とした者のうち90%は朝鮮人であった。したがって「外国人登録令」は朝鮮人を管理しようという目的のもとに公布されたと言ってよい。治安当局も目的は「治安確保にある」と明言していた。
その背景には、今まで差別構造の中にあった朝鮮人が敗戦により解放され、自らの権利を堂々と主張し始めたという社会状況、そして一度帰還した朝鮮人の日本「密入国」があった。すべての在日朝鮮人を管理しながら、これらを取り締まろうとしたのである。