浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

くるみざわしん

2023-12-26 16:15:04 | 演劇

 近代日本の演劇史を繙くと、新劇などは、抵抗精神をもちながら、また弾圧を受けながら上演されてきた。私が好きな演劇は、そうした抵抗精神と、そして考えさせる内容をもったものだ。

 私は浜松の演劇鑑賞会に入って、二月に一度演劇を見ている。それについてはこのブログで紹介しているが、私にとってはどんな俳優が演じるかは余り興味はない。問題は内容である。

 さて先にくるみざわしんが書いた『精神病院つばき荘』を読んだ感想を書いた。そしてOさんから、さらに「あの少女の隣に」が送られてきた。その表題から、すぐに「従軍慰安婦」を象徴する「平和の少女像」をイメージしてつくられたものだと思った。

 日本政府も、ネトウヨと協力しながら、強制的に集められ、強制的に性奴隷にされた「従軍慰安婦」の実在を否定しようと躍起である。私は、歴史研究の一環として軍人が書いた手記などに、戦地で女性を強制的に連行し、閉じこめて性奴隷としたという生々しい経験が書かれているものを読んできた。政府がいくら否定しようとも、事実は消せないのだ。

 しかしそうした政府の「努力」のせいだろう、メディアも「慰安婦」問題を避けるようになっていて、その事実は闇に放り込まれようとしている。

 くるみざわのこの戯曲は、そうした状況に斬り込んできたといってよいものだ。戦時下の「慰安婦」を直接とりあげたものではなく、敗戦直後に日本政府があわてて設置したRAA(Recreation and Amusement Association)、日本語では「特殊慰安施設」である。占領軍兵士のために、日本の女性を性奴隷として「捧げる」という反人間的な施策であった。

 私もこのRAAについて調べたことがあり、浜松、磐田では、遊郭がその現場とされた。静岡県でも、新聞などで「公募」している。

 くるみざわはRAAを、日本の公娼制度とつなげて取り上げている。まず「山路」という人物を登場させる(一人芝居なので、登場する男性はいろいろな役を演じるが、共通するのは警察官である)。この「山路」は、おそらく薩摩藩の川路利良を想定している。川路は、ヨーロッパの警察制度を視察し、その後警視庁を創設し「大警視」(警視庁長官)となった。警察は公娼制度を管理下に置き、それ以外の「売笑婦」を取り締まった。

 台詞に「なんで警察が売春を管理するのか。まさか厚生労働省ではできんでしょ」とあるが、警察制度創設期に厚労省の前身の厚生省はないので、この台詞は疑問だ。厚生省は、1938年の戦時体制下に、内務省から分離して創設された機関である。

 近代日本では、警察は内務省管轄下にあって、民衆運動を弾圧し,思想を取締り,日常的に民衆を統制下に置いた。本質的には、天皇制的国家秩序を維持する暴力機関であった。

 しかし戦争が終わって支配者が天皇からマッカーサーに変われば、今度はマッカーサーのために動くようになる。

 台詞に、

「手のひら、私は警察官、上からの命令で手のひらを返す。日本もそうですよね、天皇陛下万歳が一晩でマッカーサー万歳に変わる」

 がある。官僚や役人、教員も、上意に従うのである。上意の「上」が何であるかは問わない。「上」の指令が、下方へと伝達されて実行される。「上」が変わろうと、下僚たちは命令に従う。おのれの意思は、とにかく「空しく」する。

 RAAは、米軍兵士の性の処理のために創設された。台詞に、

「国家管理売春というのは軍隊のためにある」があったが、そうかもしれないと思う。日本の兵士は「出征する」ことが決まると、遊郭に行った。そして戦地では、軍が管理した「慰安婦」制度を利用した。

 また「世界を動かしているのは軍隊、暴力、戦争なんです」という台詞もあった。ウクライナやガザ、その他の地域でも軍隊が戦いを交え、そこでは暴力が吹き荒れている。その軍隊に軍需品を提供することによって、経済界はカネ儲けをしている。

 そのカネ儲けをしたいがために、自民党・公明党政権は、その地ならしをはじめた。日本でも再び軍隊が大きな顔をし始めている。

 さらに「え、俺達の支配は続く。日米安全保障条約。地位協定。主権回復はインチキ。」という台詞。まさにその通り、1945年の敗戦と同時に、日本はアメリカの主権下に入り、アメリカの「属国」としての地位を守り続けている。

 「戦争に負けて占領軍がやってきても大日本帝国は生き延びた。」も、本質を衝く台詞だ。アメリカの「属国」としての日本に「大日本帝国は生き延び」ているのだ。

 この戯曲は、「従軍慰安婦」を想起させながら、日本の戦後史に穴を開けてそこに隠されているものをえぐり出そうとしているかのようだ。

 くるみざわは、闘っている。

 ネットでくるみざわしんを調べたら、戦時下、彼の祖父・胡桃沢盛(もり)は下伊那郡河野村の村長をしていたという。祖父・盛は、大正デモクラシーの洗礼を受け、自由主義者として生きていた。下伊那郡は、そうした風潮が大きな波となっていたところだ。彼は、村民のための村政を行っていたが、その中で「満洲移民」を村から送出した。開拓団は、そして集団自決という大きな悲劇を体験することになった。盛は、その責任に耐えきれず、戦後、みずから命を絶った。

 孫のしんは、そうした家族が体験した悲劇を今後はあってはならないという決意をもっているのではないか。

 ついでに記しておけば、大井川上流に川根本町という町がある。最近、「平成の大合併」で中川根町と本川根町が合併してできた町だが、その中川根町は中川根村と徳山村が合併してできた。戦時下、中川根村は満洲移民を送出して「分村」をつくった。他と同様に、中川根の開拓団は犠牲者をだした。しかし徳山村は、国策として推進された満洲移民を送出しなかった。思想があったからだ(『中川根町史』近現代通史編を参照されたい)。

 日本社会は、時流という大きな流れが生じると、我も我もとその流れに身を投じる者が出てくる。その数は多い。しかしその流れに飛び込まない者もいる。

 くるみざわしんは、飛び込まずに、身を投じることの危険を、演劇を通して訴えているように思える。刺激的な台詞を連ねながら、知ること、考えることの重要性を示唆している。

 

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