浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

久永強

2016-03-31 21:26:25 | その他
 久永強は画家である。実はボクも知らなかった。今月号の『芸術新潮』の「定形外郵便」というコラムに、堀江敏幸が「体験の角度について」を書いているが、そのなかに久永のことが記されていたのである。

 久永は1917年、熊本生まれ、1931年、13歳で「満洲」に渡り、1944年召集。1949年、シベリアに抑留された。からくも生き延びることができ、戦後は時計などの修理の仕事に従事したが、60歳の時に絵筆を握る。もちろん抑留時代の体験を描いたものだ。

 その絵は、『友よねむれーシベリア鎮魂歌』(福音館書店)にまとめられている。今日、図書館から借りてきた。

 久永の絵筆をとった理由は、「望郷の念をひたすらに抱きながら異郷の地に死んでいった戦友のために、今私が彼らのことを描いておかないと、私自身が死んでも死にきれない気がした。戦争の非人間性の「いけにえ」になって何ひとつ報われることのなかった、ひとりひとりの事実を五十数年たった今、もう一度提示することで、私の手で葬った戦友への挽歌としたい。」ということである。

 そういう切迫感が絵筆を持たせたのだが、それらの絵には音がない。

 絵には、生者と死者が描かれる。生者は黒パンを食べ、過酷な労働に従う、あるいは雪の中でたき火に集まる、あるいはバイオリンを弾く捕虜の姿もある。だが、音がしないのだ。沈黙ということばでは表現できない。音が描かれているのだが、音がない。

 もちろん死者は語らない、だが絵の中には、死者たちの思い描いたもの、食べ物、郷里、食事の世話をする母親が描かれる。死してやっと母の元に帰ることができた死者を、久永は描く。それらの絵には、最初から音はない。

 最後の絵は、四方が森林で囲まれた、閉ざされた空間の上空を飛ぶ渡り鳥が描かれている。シベリア抑留の絶望と希望が描かれる。

 シベリア抑留の画家と言えば香月泰男が思い浮かぶが、久永の絵は哀しい。

 https://www.google.co.jp/search?hl=ja&site=imghp&tbm=isch&source=hp&biw=1234&bih=615&q=%E4%B9%85%E6%B0%B8%E5%BC%B7&oq=%E4%B9%85%E6%B0%B8&gs_l=img.1.2.0l10.1305.10178.0.13630.28.19.9.0.0.0.166.2026.7j12.19.0....0...1.1j4.64.img..0.28.2130.D6NF8P2w7Fs
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