遠江の経路拠点として引馬城が手狭であったことから、家康公は西南の丘陵地に大規模な築城を行いました。
元亀元(1570)年に家康公が浜松城に入城した際に、引馬を浜松と改めたと言われています。現在残っている遺構は天守曲輪を中心とする一帯で、荒く組まれた「野面積み(のづらづみ)」の石垣は、ほぼ戦国時代そのままの姿で残っています。
現在の天守閣は昭和33(1958)年に、天守門は平成26(2014)年に建てられました。
元亀元(1570)年に家康公が浜松城に入城した際に、引馬を浜松と改めたと言われています。現在残っている遺構は天守曲輪を中心とする一帯で、荒く組まれた「野面積み(のづらづみ)」の石垣は、ほぼ戦国時代そのままの姿で残っています。
現在の天守閣は昭和33(1958)年に、天守門は平成26(2014)年に建てられました。