今日は「伊那谷あんじゃね支援学校」会議。
なんじゃそれ?と思われる方も多いと思います。
泰阜村に住むこどもたちの体験活動「伊那谷あんじゃね自然学校」を、サポートすることを通して村の大人が学ぶ場を「あんじゃね支援学」と言います。
2002年に開校した「伊那谷あんじゃね自然学校」が10周年を迎えました。
それを記念して、住民組織の「支援学校」とNPOグリーンウッドが共催という形でm記念研修会と拡大会議を行いました。
これまで「支援委員」として関わってこられた村人や、それを支えた村外のファンなど約50名が集まりました。
今回の支援会議のテーマは「10年後の村の教育をイメージする」でした。
いつもながらに、最初は「そんな難しいテーマわからん」と言ってる村人ですが、グループでの議論が始まると熱い熱い(笑)
記念行事ということで、今回は村議会議員の姿も多く、多様な立場と多様な年齢の人々が村の子どもの未来について、あ~でもない、こ~でもないと議論する場は、本当に生産的で豊かな場だとつくづく感じました。
いきいきと夢を語る大人がいる村には、いきいきと夢を語るこどもが育ちます。
村の夢、村の未来を、こどもも大人もみんなで描いて創っていく、そういう村になってきた、とちょっぴり思いました。
▼記念行事という事でスーツ姿も多いのですが、熱く話す姿はすっかり村の人びと(笑)
「貧すれど貪せず」
泰阜村の魂の言葉です。
昭和初期の世界恐慌の最中、逼迫する経済状況の村は、教員の給料の一部を返上するよう要請しました。
時の校長は承諾するも「目先のことに使わず、こどもたちの情操教育に役立ててほしい」と注文をつけました。
それを、なんと村人皆が同意するのです。
どれだけ苦しい暮らしだったかは想像に難くはありません。
それでも、こどもの未来にかけた村人の想い。
厳しいときこそ、こどもの未来に、労力もお金も時間も注ぐ。
その気風が、いまなお受けつがれています。
その気風が、「あんじゃね支援学校」を支えます。
その気風が、教育の支え合いになって、東北に届きます。
記念行事の特別講演は、福島県飯舘村の長泥地区から鴫原区長をお招きしました。
長泥地区は、原発事故の影響で、飯舘村で唯一帰還困難地域(最低5年は帰れない)に指定されました。
昨年3月に初めてお会いしたときは、「俺はNPOは嫌いだ。自分たちのやりたいこと(支援)をやったら、もう二度と来ない。何様だ」と睨まれました。
その一方で、帰り際に「おい、これであきらめちゃいげねど。俺に言われたくらいで来なくなるならそれまで。困難なことに立ちむかうことが大事。また来いや」と笑顔もくれました。
以来10ケ月、10回ほど飯舘に通って、私の想いのたけを話し続けてきました。
泰阜村とNPOグリーンウッドが、なぜ今、支援活動をするのかを伝えて、理解をもらう努力をし続けました。
区長さんの言葉はいつしか「一緒に飲むか」になり、そして「泊まっていけ」となりました。
キャンプのこどもたちと保護者のために説明会を福島で開催し、泰阜村の教育長も連れていきました。
もちろん、その夜に、一杯飲んだことは言うまでもありません。
昨年末には泰阜村議会が視察で飯舘村を訪問し、区長からお話を聞きました。
もちろん私も同行しました。
そして今は「NPOは嫌いだ。でも辻さんたちは何度も来てくれる。自分の都合でちょっとだけいて帰る人が多い。こうやって一緒にゆっくり飲んで、泊まっていく。そうやって初めて心が開けるってもんだ」と言ってくれるようになりました。
その区長さんが、泰阜村に足を踏み入れて講演です。
決して上手ではなく訥々と話す講演はしかし、聴衆の泰阜村民が心を揺さぶられる素敵な内容でした。
世の人々に絶対に聞いてほしい内容でした。
▼想いを語る区長さん
村のデイサロンのおばあま(おばあ様の意味)たちが、飯舘村の避難住民の皆さんのために夜なべをしてマフラーを編んでくれました。
講演の後の花束贈呈ならぬ「マフラー贈呈」となりました。
区長さんはマフラーを首にかけてもらったとき、思わず涙をぬぐってつぶやきました。
「本当に、本当にありがとう。福島のことを忘れないでほしい。本当にありがとう」。
▼このおばあまは、隣に住んでいる92歳のおばあまです
区長さんはこの夜、しこたま飲みました。
泰阜村の人々に囲まれて。
そして泰阜村を支える村外のファンに囲まれて。
心を開いてくれたのでしょうか。
「あんじゃね支援学校」の座長は村議会議長。
副座長は教育長です。
この二人とも飯舘村まで足を運んでいます。
泰阜村の人々が、支え合いによって発揮する教育の力。
その力を喧々諤々するのがあんじゃね支援学校です。
この支え合いの力が、東北にも届きました。
泰阜村と飯舘村がもっともっと支え合うといい。
3月から命を削る想いで、区長さんと向き合ってきてよかった。
東北と一生向き合っていこうと想います。
まずは次の10年です。
▼泰阜村長(左)と意気投合しました
なんじゃそれ?と思われる方も多いと思います。
泰阜村に住むこどもたちの体験活動「伊那谷あんじゃね自然学校」を、サポートすることを通して村の大人が学ぶ場を「あんじゃね支援学」と言います。
2002年に開校した「伊那谷あんじゃね自然学校」が10周年を迎えました。
それを記念して、住民組織の「支援学校」とNPOグリーンウッドが共催という形でm記念研修会と拡大会議を行いました。
これまで「支援委員」として関わってこられた村人や、それを支えた村外のファンなど約50名が集まりました。
今回の支援会議のテーマは「10年後の村の教育をイメージする」でした。
いつもながらに、最初は「そんな難しいテーマわからん」と言ってる村人ですが、グループでの議論が始まると熱い熱い(笑)
記念行事ということで、今回は村議会議員の姿も多く、多様な立場と多様な年齢の人々が村の子どもの未来について、あ~でもない、こ~でもないと議論する場は、本当に生産的で豊かな場だとつくづく感じました。
いきいきと夢を語る大人がいる村には、いきいきと夢を語るこどもが育ちます。
村の夢、村の未来を、こどもも大人もみんなで描いて創っていく、そういう村になってきた、とちょっぴり思いました。
▼記念行事という事でスーツ姿も多いのですが、熱く話す姿はすっかり村の人びと(笑)
「貧すれど貪せず」
泰阜村の魂の言葉です。
昭和初期の世界恐慌の最中、逼迫する経済状況の村は、教員の給料の一部を返上するよう要請しました。
時の校長は承諾するも「目先のことに使わず、こどもたちの情操教育に役立ててほしい」と注文をつけました。
それを、なんと村人皆が同意するのです。
どれだけ苦しい暮らしだったかは想像に難くはありません。
それでも、こどもの未来にかけた村人の想い。
厳しいときこそ、こどもの未来に、労力もお金も時間も注ぐ。
その気風が、いまなお受けつがれています。
その気風が、「あんじゃね支援学校」を支えます。
その気風が、教育の支え合いになって、東北に届きます。
記念行事の特別講演は、福島県飯舘村の長泥地区から鴫原区長をお招きしました。
長泥地区は、原発事故の影響で、飯舘村で唯一帰還困難地域(最低5年は帰れない)に指定されました。
昨年3月に初めてお会いしたときは、「俺はNPOは嫌いだ。自分たちのやりたいこと(支援)をやったら、もう二度と来ない。何様だ」と睨まれました。
その一方で、帰り際に「おい、これであきらめちゃいげねど。俺に言われたくらいで来なくなるならそれまで。困難なことに立ちむかうことが大事。また来いや」と笑顔もくれました。
以来10ケ月、10回ほど飯舘に通って、私の想いのたけを話し続けてきました。
泰阜村とNPOグリーンウッドが、なぜ今、支援活動をするのかを伝えて、理解をもらう努力をし続けました。
区長さんの言葉はいつしか「一緒に飲むか」になり、そして「泊まっていけ」となりました。
キャンプのこどもたちと保護者のために説明会を福島で開催し、泰阜村の教育長も連れていきました。
もちろん、その夜に、一杯飲んだことは言うまでもありません。
昨年末には泰阜村議会が視察で飯舘村を訪問し、区長からお話を聞きました。
もちろん私も同行しました。
そして今は「NPOは嫌いだ。でも辻さんたちは何度も来てくれる。自分の都合でちょっとだけいて帰る人が多い。こうやって一緒にゆっくり飲んで、泊まっていく。そうやって初めて心が開けるってもんだ」と言ってくれるようになりました。
その区長さんが、泰阜村に足を踏み入れて講演です。
決して上手ではなく訥々と話す講演はしかし、聴衆の泰阜村民が心を揺さぶられる素敵な内容でした。
世の人々に絶対に聞いてほしい内容でした。
▼想いを語る区長さん
村のデイサロンのおばあま(おばあ様の意味)たちが、飯舘村の避難住民の皆さんのために夜なべをしてマフラーを編んでくれました。
講演の後の花束贈呈ならぬ「マフラー贈呈」となりました。
区長さんはマフラーを首にかけてもらったとき、思わず涙をぬぐってつぶやきました。
「本当に、本当にありがとう。福島のことを忘れないでほしい。本当にありがとう」。
▼このおばあまは、隣に住んでいる92歳のおばあまです
区長さんはこの夜、しこたま飲みました。
泰阜村の人々に囲まれて。
そして泰阜村を支える村外のファンに囲まれて。
心を開いてくれたのでしょうか。
「あんじゃね支援学校」の座長は村議会議長。
副座長は教育長です。
この二人とも飯舘村まで足を運んでいます。
泰阜村の人々が、支え合いによって発揮する教育の力。
その力を喧々諤々するのがあんじゃね支援学校です。
この支え合いの力が、東北にも届きました。
泰阜村と飯舘村がもっともっと支え合うといい。
3月から命を削る想いで、区長さんと向き合ってきてよかった。
東北と一生向き合っていこうと想います。
まずは次の10年です。
▼泰阜村長(左)と意気投合しました
代表 辻だいち