わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【日本初! 教育で立つ村】 ~泰阜村も私も、本気である~

2018年01月21日 | 日本初!教育で立つ村
栃木の講演終了後に、まさにダッシュを連続して東京に戻った。
早稲田の会場に着いた時には汗だくだ。
今夜は、「地域資源を活用した地域教育の展開可能性」という会合。
まあ。要は、私が常々吠えている「教育立村」への挑戦について話してきたわけである。





国土緑化推進機構の森のようちえん担当課長、文部科学省の農業高校担当官、教委魅力化プラットフォーム代表者、そして私がそれぞれ報告。
その後、時間は短かたっが「地域×教育」の視点で議論を交わした。

ちょうど良い機会だと想ったので、交換留学など次の時代を見据えた新たな教育モデルの提案をした。

その提案の中身とは以下のようなものである。
「私には夢がありまして・・」という切り出し方で。
長くなるがぜひ通読願いたい。



私には夢がある。

それは私の住む泰阜村の子どもを、他の地域に留学させることだ。
そう考えるようになったのには、二つの理由がある。
まずは、数年前に北ドイツで知った事例(山村留学に類似する)だ。
驚いたことに、参加者の費用は参加者の出身地である大都市(ベルリンやミュンヘン)が負担するという。
なぜそうなのか、運営責任者に聞いてみた答えに、私は頭を殴られた想いだった。
「なぜそれを聞かれるかが理解できない。本来ベルリンやミュンヘンが責任を持つ若者の教育を、郊外や田舎の町にお願いしているのだから、大都市が経費負担するのは当然だろう」と。
日本の山村留学の場合、たとえば都市部の子どもが「だいだらぼっち」に参加したとしても、都市部は知らんぷりだ。
それどころか「子どもが減って困る。引き抜きのようなことはやめてほしい」と、公然と言い放つ自治体さえある。
語弊を恐れずに言えば、子どもを送り出す自治体は、山村留学に参加する子どもたちにこれっぽっちも責任を持たないのだ。

泰阜村は、受け入れる側の責任だけではなく、送り出す側の責任も持つ。

二つ目の理由。
「だいだらぼっち」は30年かけて、500人以上の卒業生を輩出してきた。「だいだらぼっち」の一年の成果は、子どもたちが自分の本拠地(家族のいるところ)に戻ってこそ発揮される。
一年間の山村での暮らしが、その後の生活や周囲との人間関係、地域に生かされる。それを30年見続けてきた。
ならば、なぜ私は泰阜村の子どもこそ、一年間「違う場所」へ留学させないのか。
私は「一年間の旅をさせることが、その子どもの人生に大きな成果を与える」と信じている。
だからこそ、「泰阜村の子どもこそ留学させるべきではないのか」と考えるのだ。
小中学生のうち、留学を希望する子どもには、一年間だけ行政が経費負担をする。
もちろん希望しない子どもがいてもよい。
留学制度は、あくまで自主的・自発的な判断が必要で、行政はその自主性を経済的に支援するべきというのが私の考えだ。
ただし、「違う場所」といってもどこでもいいわけではない。
趣旨に賛同する地域が連携・協働する。
たえば海のある漁村、大平原の農村、絶海の孤島、都市部だっていい。
もちろん、国外の地域でもかまわない。
10箇所の地域が趣旨に賛同すれば、その地域間で交換留学が可能だ。
泰阜村の子どもは、一人は北海道、一人は島根県、もう一人は沖縄の離島。
その替わりに泰阜村に来る子どもは、四国から一人、福島から一人、富山から一人というように。

この考え方は、日本の教育行政の考え方を根底から覆す。
義務教育9年間に、希望する子どもは一年間だけ国内交換留学ができる。
そんな大胆な教育行政は、おそらく国主導では進まない。
責任を持つ覚悟のある小さな地域同士が、県境を越えて教育の質を高めるために協働する。
小さな地域が発揮する教育力をもっともっと束にしよう。
小さな村の教育力を、オールジャパンで発揮させようではないか。



というようなものだ。
時間がなかったので、上記をはしょって発言したが。
すると、会場の皆さんは大いに反応する。
一番反応したのは、教育魅力化プラットフォーム代表理事の水谷さんかな。
「地に足を着けたダイナミックなモデルになる」と期待を寄せてくれた。
なるほどこういう切り口の会に集まるひとびとなら一緒にやれるんだな、と感じた。
今日、ここに集った人々に、本気で実現を提案しようと想う。





地域の教育力が、日本の教育を創る。
そんな旗を掲げる日は近いかもしれない。

この会に、泰阜村からわざわざ副村長が同席してくれた。
泰阜村は本気である。
私も本気である。

代表 辻だいち



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