沢山、テープが貼られていた壁や天井が気になっていたが、それらはかなり改善されていた。しかし、まだ部分的に気になる部分は所々残っていたので、そういった所に再度付箋を貼ってきた。また、玄関の隅の部分にセメント?と思われるような物が見えている部分もあった。
洗濯機を置く台は置いてよいと言われていたので、その台の上に、IH対応のお鍋セットとマグネット付きディスペンサーも置いてきた。可動洗濯機台はキャスターより足の部分を床に付けるようにしなければならないので、足の部分を少し長めにしてから置いた。結構、S氏にも手伝って貰った。でも、今度動かすときはそれをキャスターより低くしなければならないところが大変だと思う。
キッチンの色々な設備がきちんと機能するかを何人かの人達で確認してくれていた。
お風呂も浴槽に水を張って性能の検査をしていた。
二階に上がった廊下から階段を見たところ
二階の南側の部屋を入り口から見たところ
二階の南側の部屋の西側の二竿箪笥を並べて置く壁
二階の北側の和室に畳が敷かれた。
一階の寝室をクローゼットの中から撮した。
リビングの壁にピクチャーレールがついた。ここに時計をかける予定
トイレのタオルは換気孔を塞いでるタイルに洗濯ばさみで留めるか、突っ張り棒を使ってそれにかけるか?
24時間換気の給気と排気は二階の天井の上の壁についている。パナソニックHOME’Sは地下だった。地下より高い所にある方が綺麗で湿気の少ない空気が供給されそうな気がする。あと、壁もパナソニックHOME’Sの場合真っ白な壁になってしまうところが、真っ白ではなくて少しベージュがかっている色で良かったと思う。
家の裏にある水路
ダイニングの窓から道路側はよく見えるが、道路側から家を見ても中の様子はあまり見えなくて安心した。防犯のためにおいたアーチが、家のアクセサリーっぽい感じになっていて見栄えがする。
LDKから二階の階段にかけての壁紙を一回目の打ち合わせから、二回目か三回目のインテリア打ち合わせで持ってきてくれた別のカタログで、多少ラメが入った感じの物に変えたのでとても綺麗で上品な感じになった。特にお洒落さを追求してなかったけど、外観も内装も選んだサッシやタイルや壁紙がよかったのか、とてもお洒落な感じの家に出来上がってきているところが凄く嬉しい。
家の裏側に、給湯設備やエアコン室外機が置かれた。水路の土手に生えている笹の葉の落葉が結構あった。
玄関のステップを東側から見たところ
玄関ステップを西側から見たところ
自分自身が十数年前には持っていた自分の家を建てたいという夢をすっかり忘れていたのに、それが現実になったということが凄く不思議な気がする。普通家は夫婦で協力して建てたりするものだけれど、それを私は一人で建ててしまうというあまり考えられないことをしてしまった。勿論自分の持っているお金だけでは、建てたりせずにハイムではないもっと安い建売住宅を買ったりくらいしかできなかったと思う。これも、父親からの遺産を妹が相続放棄してくれて全部自分が相続でき、しかもその中に投資による資産も含まれていたという事が大きいと思う。自分一人で墓守をしているので、そのご褒美かもしれない。生前は親孝行できなかったので、これからもきちんと自分が元気な間はしっかり両親のお墓を守っていきたいと思った。
ハイムの営業のS氏が若くて無鉄砲だったから出来た家とも言える。最近は私が苦労して2ヶ月という短期間で色々な人達の手を借りつつも、どうにか一人で実家を片付けられたから家が出来たっていうようによく言ってくれるようになった。確かに、私が出来るかどうかとかあまり考えもせずに取りかからなかったら、そして途中で挫折してしまっていたら出来なかった家だ。あの時期は大変だからといって投げ出すことも出来ず、とても大変な時期だった。その上、唯一頼みの綱だったS氏がどのくらい信用出来るのか?という不安も常に抱いていたし、結局少しも苦労を分かってくれていなかったという不信感がどうにか引っ越しも済ませて、解体が始り据え付けが出来た後も結構私を苦しめる事となったが、その後しっかり家を建てている私を尊重して対応してくれたと思う。そのせいか、その不信感も不思議なくらい消えていった。
多分S氏はまだこの世に生まれてくる前の時代にどのくらいの人達とかはわからないが、生まれてきたら家を建てる手伝いをするという約束をしてきた人達が居て、多分私もそのうちの一人だったのだろうと思う。