今日、管理会社の人に来て貰って見てもらった所が3カ所ある。一つ目はトイレタンクの下の床に落ちた茶色い染み、二つ目は和室とフローリングの部屋の境のふすまに出来た。茶色い液体の雫がたれたような茶色い染み、あと雨戸の上からたれている紐が切れているところ。
トイレタンクの下にある染みは水漏れというより、結露した水分が何か錆みたいな物を含んで落ちているのではないかと思う。拭いたらきれいになった。ふすまの雫のような茶色い汚れは、全く検討がつかない。水分を含ませたティッシュで抑えるようにしたら、茶色い汚れが多少とれた。荷物置きと寝るためにしか使用してない部屋との境だから、水気のある物をそちらに持って行ったことはない。あと、雨戸の上から垂れている紐の一本は何だろう?と引いてみたらすぐにちぎれた。雨戸を引っ張り出すための紐だったのだろうか?南側の部屋の雨戸は最初から一枚は切れた紐が垂れ下がっていた。それにしても、事前に確認して貰って請求にはならないと言って貰えたので安心した。
こちらに引っ越してきて、生活するために必要な食器などを取り出したが、結局使っているのは数枚なので、それ以外の必要な物を探すために多く取り出してしまったその他の食器などを、封を開けた箱にまた戻しているが、どれにどう入っていたかよくわからないので、結局は新たに貰った箱を組み立てて、入れなければならなくなりそうだ。
少しでも引っ越し前にそういった台所用品の現在使っていない物なんかを事前に運べれば、引っ越し当日も楽になりそうだ。台所の品物って陶器などが多いのでどうしても重くなりがちだ。
昨日、保険の説明の後「私は普段は何かを行うのに慎重な方だと思うけれど、家を建て替えることについてはどういうわけか慎重さが欠けていたし、もし慎重に事前に実家の片付けとか調べていたら多分このペースで家は建たなかったと思う。」とS氏に話した。S氏は自分があの時(多分引っ越しの直後)なぜあんなことを言ってしまったんだろう?って言っていた。ということは自分の配慮が不足していたってことが気づけたということなのだろう。
多分、今まで接してきたお客さんは皆「家を建てている。」という非日常を生活しているという共通点はあっても、どうにかその非日常を自分たちでどうにか乗り越えられる人達ばかりだったので、それが「当たり前だ」という感覚になって麻痺しまっていたのだと思う。そういうことが、私への感謝の気持ちや配慮の気持ちを不足させてしまっていたのだと思う。
それにしても、ただでさえ断捨離が苦手、物を捨てるのが苦手、という私が色々な人の手を借りたとはいえ、よく2ヶ月で三つの建物を空に出来たものだと思う。去年の真夏物置の大学ノート類は沢山捨てた。その時も白紙の部分も沢山合っただろうが、そのまま捨てていた。その後も続けて物置や車庫の中の物を捨て続けていたら、あれほど大変にはならなかったと思う。
時間がないのに、人に捨てていいかとか聞いたり引き取って貰えそうな人を探したりとかせずに、どんどん捨てていたら引っ越しもずっと楽になっていたと思う。大学ノートなんかも使えそうな所を切り取って、貰ってくれる人のところに運んだりとか、とにかく余分なことを時間がないのにしすぎていたと反省する。まさか、本の処分だけで引っ越し期間の半分以上、2/3か3/4位もかかってしまうとは予想だにしていなかった。片付け始めて、こんな物まで・・・と処分しづらいものが色々出てきて、やはり肉体的負担の上に精神的負担がとても重かった。
私は結構何度も引っ越しを体験したが、こんなにも大変な引っ越しはなかった。実家仕舞いも込みだったからだ。
子育て中の家庭は引っ越し作業はそんなに大変ではないと思う。私も長男が居て長女妊娠中に引っ越したりしたが、その頃はなんといっても荷物が少ないので引っ越しも凄く楽だった。妊娠中だったから多少お腹が張ったりはしたけど、それで支障をきたすようなこともなかった。何しろ二人で引っ越しだったから楽だったのかもしれない。準備も引っ越しもあっという間に出来た。引っ越し業者を探したり、引っ越し先で使うカーテンの準備も全て夫がやってくれた。
改めて実家仕舞いの体験談なんかを読むと、通いでやっている人などそれだけで結構何ヶ月もかかっているようだ。家を建てるという目標が前からあれば、一年くらいかけて私もプレッシャーもかからず実家の片付けが出来たのだろうか?何しろ、昨年の秋に降って湧いたように出てきた家を建てるという流れだった。流されるままに家を建ててる流れに乗ってしまったという気がする。
しかし、この秋から火災保険も13%も値上がりすると聞く、最近の円安物価高と相まってどんどん建築資材も値上がりしているようなので、この流れに乗ってしまったことは正解だったのだろうと思う。
契約後結構長い間、S氏に対する不安や不信は続いた。もし、彼が私のしている苦労や葛藤を理解してくれる人だったら、精神的な苦労はだいぶ軽減していたかもしれない。気持ちを分かってくれる人の存在。それが苦労をしているときはどんなに助けになるかということをつくづくと今回思い知った。ただ、実際はS氏は沢山行動では私を助けてくれたので、そのことが人の気持ちは分からなくても基本善意の人なんだという彼に対する信頼には繋がった。そして、S氏がどうして怒りを買ってしまうのか、多分自分では理解が出来なくて逃げ腰になってしまう私に対して、しっかり向かい合おうとしてくれているという事が感じられるようになって始めて、やっとS氏に対する不安感や不信感が払拭されていった。
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