重慶の日本領事館に援助いただいた文化祭の一「活動」。
お茶の先生をお招きし、茶席をご披露いただいた。
日本で茶席に呼ばれたことが何度かあるが、実はあまり好きではなかった。
手の洗い方から茶室の入り方まで細かい決まりをあれこれ言われ、(客を1杯の茶でもてなすだけなのに、そこまでいちいちルールを作ってなにが楽しいんじゃ。茶を飲んだ後で客が器をほめることまで儀礼化しなくたっていーじゃん。それって、いまいちな器もほめなくちゃいけないってわけ?)と思っていた。
が、今回、自分の茶道に対する印象が変わった。
日本の茶道はすべてが細やかで神経が行き届いていて繊細で、本質的な優美さの体現である。
「日本文化は繊維です!」と言った学生がいたが、「繊維(せんい)」ではなくて、「繊細(せんさい)」だからね。
そういえばこの国で「神経の細やかな接客」というのは存在しないし…
学生たちもその細やかさに驚き、感嘆の溜息をもらしていた。
日本語学部以外の学生たちの参加と質問も続出した。
日本の「ちゃどう」はすばらしい!…「ちゃどう」じゃなくて「さどう」だからね。
残念だったのは、茶席に入ったときに客をくつろぎの世界にいざなう「香」がにおわなかったことだ。焚いてはいたけど、部屋に充満しなかった。
なぜなら、こちらでは冬も(なぜか冬になると特に)戸や窓を開けっ放しにして、教室やレストランでジャンパーやコートを着たままでいる習慣があるので。
ああ、そんな貴州の冬がやってきたなあと思う最近の天気である。