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オリパラ

2021-08-25 | 日記

パラリンピックが始まった。その開催に反対ではないが、オリンピック後の期間にパラリンピック開催の是非についての議論も少ないままに、当然のようにして始まってしまった感があるのは残念。

 「外出自粛、イベント自粛なのにオリンピックはやっているなんて・・・」という雰囲気が、パラリンピックにも当てはまっている。もともと、オリパラを実施するならば政府・東京都がもっとオリパラの意義の発信に努め、「オリパラを開催するための感染抑制・外出・イベント自粛」という意識が芽生えるくらいの努力をするべきだったろう。それにどこまで賛同が得られたかどうかは、もちろん分からないが、このパンデミック下で開催を決断する以上は、その明確な理由を人々に浸透させるための最大限の努力があって然るべきだろう。その最大限の努力を裏付けるべき休業補償にしても、医療逼迫への対策にしても、とても最大限に努力しているという印象を与えられまいまま、「安心安全」という「空しい宣言」だけが繰り返されたに過ぎない。

 開催の意図を明確にするなら、その意義の達成のために「開催を可能にする状況づくり」に努力するのは当然で、オリンピック前から現在の感染拡大を予想したワクチン接種、臨時病棟・病院づくりに取り掛かるべきではなかったか。感染症の専門家からは「科学的推論に基づく感染拡大の予想」が既に示されていた。「感染早期の投与で効果を発揮する」という抗体カクテルにしても、認可すればすぐに感染早期の患者に投与を始められるシステムを準備しておくべきだったろう。政府・行政がそのような備えを行う中での「開催意義」のアピールでなければ、人々が受け入れられないのは当然。結局のところ「一応、会見ではその意義を説明しました」とアリバイを作る程度に終わり、人々には開催する理由にも疑念を残したままで「何となく開催」になった感がある。

 オリンピックは「安心安全」だったのか?、感染拡大の要因にならなかったのか?。それについても、会見での「オリンピックは感染拡大の要因にはならなかった」という一方的見解のみ。ほぼ誰にも受け入れられていないその見解の根拠も示されないし、根拠に関する質問にも答えられたとは思えない。人々が、「政府はどうせそう言うだろうと思っていた」と受け止める中でパラリンピックが始まったことは不幸な現実だと思う。もちろん、パラリンピックの意義には賛同し、アスリート達の感動的な姿にエールを送る。だが、そのことで「政権の無策ぶり」が打ち消されることは無いし、むしろアスリート達のためにもっと良い「雰囲気・環境」を作れなかったのかという疑問は膨らんでいく。

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