元旦の午後、テレビニュースで能登半島に地震があったのを知った時には、まだどの程度の地震規模だったのか、どの程度の被害があったのか良く分からなかった。2,3日過ぎても、輪島での大火災以外には深刻な被害状況が伝わってこなかった。被害がひどかった地区への道路が使えず、行政や報道機関の要因が現地に入れなかったこと、さらに現地との通信設備も被害を受けていたことなどが原因だ。
道路の復旧作業が開始されたころ、帰省先から自宅の状況を見ようと現地に向かった知合いと電話で話すことが出来たのは、地震発生から1週間以上経ってから。「金沢までは取り敢えず行けたが、そこから自宅のある能登半島先端までは車で10時間掛かったという。自宅は倒壊を免れたが、危険で住めないと判定されたそうで、結局避難所に寝起きしつつ避難所の運営にあたっているらしい。
1年以上前から群発地震が続いていた能登地方だが、その延長上で一気に4mほども地盤が隆起する大きな変動が起きたことから推測すると、この数年の中小の群発地震は最後の大きな変動の前兆だったのだろう。数千万年かけて東西に圧縮され続けている地殻・岩盤が、徐々に変形を伴って崩壊し、最後に「最も強く抵抗していた」支えの岩盤が一気に崩壊して断面沿いに4m近くもせり上がったのだろう。その隆起の規模は地震学者もこれまで見た事がないほどの大きかったそうだ。それほどの地盤隆起が能登半島先端で起きるなんて、これまで聞いたことも無かった。つまり、専門家も日本のどこでどれほどの規模の地殻変動が起きるかなど、予想することすら容易じゃないということ。
地震で地殻が動いている時間が数分なのか十数分なのかは知らない。少なくとも今回は、直後に4m以上と予想した津波が潮位計で1m強の変動に収まるほどに、陸というか港自体が持ち上がったと思われる。地震が起きている間に、ほぼ「あっという間に」自分が立つ、あるいは家々が建つ地盤が4mも持ち上がったなんてことになるのだろう。東日本大震災の時には、三陸の海岸線が数メートルも東に引っ張られたそうだ。台車の上に立ってる人が、突然台車を突き上げられたり引っ張られたりしてズッコケるようなようなものか。
それにしても、国中どこででも大きな地震災害が起き得る国、そして数年ごとに実際に予想以外の所で地震災害を経験して来た国、加えて台風や大雨での水害・土砂災害による交通遮断・通信遮断、孤立者・負傷者の救助や病人の移送、避難所運営・災害住宅建設を毎年どこかで体験している国にあって、未だに災害救助に特化した「災害救助隊」創設の話が本格化しないことが不思議だ。
能登の場合も海からの救助・援助体制が整っていれば、救助・援助はもっと早く行えたのでは・・・。「地盤の隆起で港が使えない」と言われたが、大規模なヘリコプター輸送能力を備えた「ヘリ空母」と「病院機能・臨時非難所を兼ねたクルージング観光船並みの母艦」があれば、島や半島だけでなく山間部からの救出や輸送も捗るだろう。「自衛隊は災害救助が専門ではないので」と言われるが、「災害救助隊」が生まれれば、半年に一度は様々な災害に見舞われているこの国で数年のうちに経験を積んだ「専門部隊」となるだろうに。