そよかぜ日記

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京・大阪道を歩く

2014年11月18日 | 歴史探訪

 平成16年、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。 紀伊山地の霊場は、起源や内容を異にする「熊野三山」「高野山」「吉野・大峰」の三霊場からなりますが、今回はそのうちの高野山への参詣道のうち、高野山に近い南海高野線紀伊神谷駅をスタートし、九度山駅までを歩いてきました。
 高野山への参詣道は、広義には全体を「高野街道」と呼んでいますが、細分すれば、各方面からの「東高野街道」「中高野街道」「下高野街道」「西高野街道」が河内長野野で合流し、河内長野から橋本までを「高野街道」と呼び、橋本から高野山へは「町石道」や「京・大阪道」などがあります。


 上は紀伊神谷駅をスタートしてすぐの神谷(かみや)の旅館跡です。 昔は高野山に最も近い宿場として栄えたそうです。

        道脇にあった道標、1里石(高野山まで1里)と五輪塔


 上は日本最後の仇討ちの墓所です。 幕藩体制が動揺していた1862年、赤穂藩で、執政と参政が、勤皇派を称する足軽の西川たちに討たれたのですが、重臣殺しの大罪にも関わらず、足軽たちは許され、逆に討たれた側の一族が閉門・追放となりました。 明治4年、討たれた側の村上一族は、高野山の赤穂藩の墓所の守り役に任じられた西川たちをここで待ち構えて仇討ちを果し、自首したということです。 今年の9月に映画「柘榴坂の仇討」が封切られましたが、この映画に出てくる明治6年の「仇討禁止令」は、この高野の仇討が直接の原因となり、出されたもののようです。

        丹生川にかかる千石橋よりの眺め

        河根丹生神社

 京・大阪道は、このあたりから学文路(かむろ)へと続くのですが、九度山へ向かうことにしました。 平成28年度のNHK大河ドラマが真田幸村ですので、混む前に真田庵などを見ておこうという魂胆です。

        九度山への道はいちめんの柿畑

        真田屋敷跡

        門には六文銭

        九度山町限定「幸村茶」 柿の葉ブレンド麦茶です

        幸村茶に描かれていた真田十勇士

        九度山駅に戻ると、観光列車「天空」が来ていました