ヘレン・シャルフベック(1862~1946)の日本初の回
顧展が上野・藝大美術館で開催。絵や会場構成など詳し
いことは、サイトに譲るね。
知らない画家だし絵も殆ど見覚えがなかったけど、とて
も印象深かった。作風というか画風がドラマチックに変
化していくから。それは当時の絵画の革新の影響もある
し、彼女自身の生きざまの変転と軌を一にしているから。
《回復期》1888年26歳のときの作品。パリ万博にも出品
し、銅メダルを獲得し国際的な名声を得る。婚約破棄の痛
手から立ち直りつつある心情が子供に投影されたというの
が通説。当時多かった病床画の影響もあるそうだ。
《扉》1884年 22歳の作品。抽象画の様だ。
フィンランドは1917年ロシアからの独立を宣言するが、
ロシア、スウェーデン、ドイツなどど領土戦争をする。
世情の激変は彼女に影響あたえたに違いないけど、絵や
本展からは読み取れない。
彼女の関心事は絵と親しい人間との関係性。恋心を抱い
た19歳年下の男性が別の女性と婚約されてしまい絶望。
立ち直るために二ヶ月の通院しながら描いた作品が《ロ
マの女》
1919年の作品だから、60歳に近いことに驚かされる。
☆
2012年が生誕120周年だったので、過去最大の回顧展が
ヘルシンキ・アテネウム国立美術館で開催されたそうだ
し、「フィンランドで最も愛されている芸術家の一人」
だそうだ。
隣国スウェーデンのムンク(1863〜1944)とは生まれ
も亡くなったのもほぼ同じ。同時代の画家への言及が多
いシャルフベックだが、ムンクをどう思っていたんだろ
う、交流はあったんだろうか。
《正面を向いた自画像Ⅰ》1945年 亡くなる前年の作
本展は7/26までで、その後各地を巡回する。
顧展が上野・藝大美術館で開催。絵や会場構成など詳し
いことは、サイトに譲るね。
知らない画家だし絵も殆ど見覚えがなかったけど、とて
も印象深かった。作風というか画風がドラマチックに変
化していくから。それは当時の絵画の革新の影響もある
し、彼女自身の生きざまの変転と軌を一にしているから。
《回復期》1888年26歳のときの作品。パリ万博にも出品
し、銅メダルを獲得し国際的な名声を得る。婚約破棄の痛
手から立ち直りつつある心情が子供に投影されたというの
が通説。当時多かった病床画の影響もあるそうだ。
《扉》1884年 22歳の作品。抽象画の様だ。
フィンランドは1917年ロシアからの独立を宣言するが、
ロシア、スウェーデン、ドイツなどど領土戦争をする。
世情の激変は彼女に影響あたえたに違いないけど、絵や
本展からは読み取れない。
彼女の関心事は絵と親しい人間との関係性。恋心を抱い
た19歳年下の男性が別の女性と婚約されてしまい絶望。
立ち直るために二ヶ月の通院しながら描いた作品が《ロ
マの女》
1919年の作品だから、60歳に近いことに驚かされる。
☆
2012年が生誕120周年だったので、過去最大の回顧展が
ヘルシンキ・アテネウム国立美術館で開催されたそうだ
し、「フィンランドで最も愛されている芸術家の一人」
だそうだ。
隣国スウェーデンのムンク(1863〜1944)とは生まれ
も亡くなったのもほぼ同じ。同時代の画家への言及が多
いシャルフベックだが、ムンクをどう思っていたんだろ
う、交流はあったんだろうか。
《正面を向いた自画像Ⅰ》1945年 亡くなる前年の作
本展は7/26までで、その後各地を巡回する。