やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

イサムノグチ庭園美術館

2010-09-18 | art
工房も自宅も道具類も生前のまま保存してあった。
彼の息遣いが感じられるほど。
カーブを描く石垣をまず作ったらしいが、
ヨーロッパの羊よけの石積みをモチーフに
している。

工房は藏を、自宅は宇和島の旧家を移築したもの。
世界を知る人ほど日本では日本なるものを追求する。
家具もほとんどなく、シンプルで美しい生活だった
ことに感銘。ぼくのデスク回りをなんとかせな。


牟礼町というとこなんだけど、ここは石材加工の
工場(こうばっていう雰囲気)が密集して驚く。
戦後の死亡軍人への遺族年金で墓をたてることが
ブームになって、機械化で新規参入も容易になり
千あった工場が三千に膨れあがったそうだ。

その頃、日本での工房と信頼できる石彫職人達を
探していたイサムノグチが牟礼町で和泉さんという
頭領に出会い、信頼を深めていった。

意匠を生み出すのがイサムノグチで、それを彼10名の
職人が作っていくというパートナーシップは当時も今も
日本では少ない。アーティストも職人のように全部を
やろうとするか、依頼したとしても妥協をしたり。

ノミをあてて石材にクラックがはいったり割れると、
日本ではゴミ扱いだったのがイサムノグチは、
NASAの最新接着剤でひっつけて、制作を続行させた
らしい。選んだ石の意味を大切にしたのかもしれない。



石工職人をメイソンという。。フリーメイソンは
石の職人組合が始めたものという説がある。
ヨーロッパは石が建築にも大きく関わっている。
日本は明治にレンガと石が建築の世界に紹介されるが、
なぜか石は庭のパーツか墓止まりだ。

イサムノグチが60歳から80歳をこえる晩年、
滞在期間が長くなっていく。気に入ったんだね。
NYのほかにもイタリアにアトリエ&工房があって
行き来していたというから、着想が豊かに
なったに違いない。



瀬戸内海芸術祭の豊島へ行こうとしたら
もう夕方に出る船の便しかない。
しかも明日は朝の便で戻ってこなあかん。。

それでは、わざわざ島に渡る意味がない。
作品が見れるわけやないんだから、豊島はやめ。

行きたい場所への夢がかなったから、
満足だ。余韻をもって名古屋・明治村の
四国版へ向かうことにした。