一生

人生観と死生観

母の生涯

2008-07-24 20:42:18 | 歴史
7月24日 晴れのち曇り
 母のことを語ることは今まであまりなかった。日本の敗戦の時に46歳で母子家庭を必死で守ってきた母には感謝あるのみである。
 母は晩年に書いた日記の中で、自分が何度かいのちの危機に遭遇したことを述べている。幼い頃川でおぼれかかって何とか助かったことがあった。また妹を妊娠中に病気にかかって死にかけたことがあった。
 母は新潟県の素封家の家に生まれ、幼い頃は不自由なこともなかった。大正期に女学校を卒業後は東京に遊学し、姉の嫁ぎ先に止宿して、大妻高女や渡辺裁縫女学校で花嫁修業をさせてもらったというから、よほど裕福な境遇だったのだろう。最初医師の夫と結婚して幸せになれるはずだったが、若死にされて寡婦になり、アメリカ帰りの先夫の弟に嫁いだのだが、この二番目の夫も十年ほどで亡くなり、子ども5人抱えて途方に暮れた。ただ当座は遺産があったから経済的には困らなかった。
 しかし戦後は日本の社会の混乱の中、財産を失い、農家の主婦をつとめなければならなくなった。子どものためにと励んだその子どもも昭和23年と24年に相ついで2人失った。残るものにも心配事が絶えなかった。私のように病気はしても何とか大学を卒業することができたのは、母のおかげである。
 人生の苦難は誰にもある。それを耐え忍んで神に導かれた母は結局は幸せを知ったのだと思う。天に刻まれた歴史のほんの小さな一齣であっても、母を思えば感謝は尽きない。

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