一生

人生観と死生観

雨の日み国を想う

2010-09-30 12:39:40 | 哲学
9月30日 雨
 雨の日しずかな午後を迎える。人生のラスト・ステージの80歳台を迎え、なおいくらかの社会的活動をつづけることのできることを感謝する。
 私の友人にカトリック教徒がいて関西の大学の医学部に進学したころ洗礼を受けた。一人っ子で母親思いであった。母親は夫に不満を持っていることがありありと分かる家庭であった。若いときの恋人を夫の留守のときに家に招き、密室で会うということを息子も許していた。私はそれ以来彼の家に行くことはなかった。その後離婚の話も聞かなかったから、何とか形の上では家庭崩壊を免れたのだろう。なにか特殊な母子関係であった。横暴な父はこの母子関係をどうすることも出来なかったに違いない。私の友人はそんな中で勉強し、大学の助教授になりその後は地方のセンターを経て、兵庫県の大学の教授になった。彼はカトリックの信者として過ごした。彼の心の中は私にはよく分からない。しかし母の影響が強くあることだけは言える。
 キリスト教にはいろいろな分派があるが、私はそれにはあまりこだわる積りはない。超教派の積りだ。しかしカトリック教会の信者には独特な感触がある。長い伝統は信者をあるパターン(といっても幅広いものだが)に育て上げることになった。上流階級に属する家庭のお嬢さんがスラムに飛び込むというのは、マザー・テレサ主題のテレビで見た。固定した社会の枠を破る勇気ある行動だ。私はキリスト教は本来そのようなものだったと思う。貧しい者、苦しむ者にも福音の光は注がれる。