一生

人生観と死生観

新しいテーマに取組む

2010-09-07 16:19:50 | 人生人間
9月7日 晴れ後薄曇
 何か新しいことに挑戦し、これを解決するような態度が人を活性化し、いつまでもその人を若々しく保つという。新老人の会の日野原氏の行き方もそうである。
 私は日野原氏に教えられる前から自然にこのことを実行してきたが、日野原氏と出会ってからいっそうその意味を深く感じるようになってきた。人間いろいろな出会いがあり、それを新鮮なものとして利用する人はつねに新しいテーマを生み出すことができる。
 私は今考古学のテーマに取組んで、最初の論文を投稿する寸前まで来た。古代水田稲作の北方ルートの問題である。これは従来私が専門としてきたテーマとは毛色が違うが、プラス指向で行きたい。考古学者が内向き思考しかしていないところを素人が大胆に解決して見せるといったこともありうるのである。シュリーマンがトロイの遺跡を発掘して、専門家を驚かした歴史もあるではないか。

考古学への挑戦

2010-09-07 15:33:57 | 哲学
9月7日 晴れ後薄曇
 「古代稲作は中国から朝鮮半島を経て日本に渡ってきた」とするのが今の主要な考古学者たちの見解だそうだが、これに対して異論もあって、確定したものにはなっていないようである。
 何しろ考古学は発掘して確かめる仕事で、物言わぬ土器や装飾品と人骨などからの推定作業は困難を極めることは容易に理解できる。それだからこそこの分野への科学的手法の導入が急務と言うことができる。DNA 解析とか、放射性炭素測定法(とその変種である加速器質量分析法)などを最大限に活用すべきである。
 古代稲作も曖昧な点は古代米のオパールとか籾などを利用して、DNA解析をおこなうと従来判らなかった系統が解明され、伝播経路にも新しい知見を与える。それによると北九州に入ってきた古代稲作は朝鮮半島からの経路と直接中国長江下流域からの経路があるようである(佐藤洋一郎氏)。
 しかしそれだけではない。東北青森には古代から水田耕作がおこなわれ、これが北九州から伝わったとするのが従来説であったが、これには、農業技術上もイネの生態学上も疑問がある。青森に伝わった水田技術は中国の長江から北上し、中国東北部を迂回して、日本海を渡って青森に到達したと考えるほかないのである。これは奈良考古学研究所の寺沢薫氏も示唆するところだが、まだ十分に詰まっているとはいえず、考古学会からは黙殺されている状況だという。北方ルートは依然として?の付いたものであるようだ。
 われわれは最近この問題をいろいろな方面から解きたいと思い、努力している。素人が何を生意気なというのが大家たちの心境であるかもしれない。しかし真理の前には大家も素人もない。考古学の素人のシュリーマンがトロイの遺跡を発掘し、いわゆる専門家たちを驚かした歴史もあるでははないか。こうして稲作渡来の経路の多元性を明らかにすることはわれわれの使命であると思い、今つめの努力をしている。