一生

人生観と死生観

モノローグ児童館

2007-11-27 10:53:18 | 生活
11月27日  曇り
 児童館についての夢のような物語。
「ボロだ、ボロだ、とおれを馬鹿にしないでもらいたい。中味こそ大切なんだ。
君たちはおれがまるでもう時代の先導者としての役割を終え、退場を待っている役者であるかのように見ている。君たちの見方は何か表面的で形式的だ。子どもの問題をさっぱり分かっていない、素人の見方だ。それが県の子ども行政を指導する役人の立場では県民が迷惑するのだ。
「おれが今までどんなことをやってきたか、思い出してもらいたい。たとえば小学高学年の子どもたちを泊り込みの研修で訓練し、キャンプ並みのバーべキュウで楽しませ、巨大遊具で遊ばせた。その思い出は当人たちにとってただの思い出でなんかない。今でも生きてはたらいている。その子どもたちが、いま、立派な社会人として積極的な生き方をしている姿は当時の児童館研修の大きな成果なんだ。
「今の時代の子どもの病理現象として、いじめ、登校拒否、きれて傷害、殺人などの犯罪にいたる。大変な問題に違いないが、これだけに目を奪われてはならない。
その根っこが大切だ。子どもの健全育成は合宿のような場を設け、共同生活をすることでずいぶん効果がある。そういった工夫を凝らしてもらいたい。そしてそれがてんでばらばらに行われている各地児童館の指標となる。」
 こんなことが明け方のころ私の頭に登場。夢なのか、うつつなのか境目が明らかでない。
 前にも少し触れたことがあるが 児童館(機能として)を福祉施設に統合しようというのは、かなり無理がある。機能重視の行政での見落としは、人間は機能ばかりで生きているのではないということ。人は心を持った存在だから機能の統合などで満足がいくわけではない。児童館は児童館として独立性がなければならぬ。子どもは正直。大人が真剣に、真正面から立ち向かなければ子どもは相手にしないだろう。