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本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

我会説一点中国話。

2005-03-18 18:37:06 | 
*簡体字の入力方法がわからないので、中国語の記述が出来ない。恐らくソフトが必要なのである。まだPCが今程普及していなかったワープロ全盛の頃、中国語の入力方法を「音声主体」で行くか、「部首等字体主体」で行くか、侃々諤々の議論があって、私の知り合いの留学生などは、大陸本国の弟とのメール交換は中国語では不具合が多いため英語でしているという話だった。
 その後事態は改善された筈だが、結局今はどういう状態に落ち着いているのか、私は全く知らない。

*中国語はその留学生らにちょこまかと質問して少しだけ覚え、今はその大半を忘れてしまった。

*タイトルの文章は一応立派な中国語で、しかも『普通話(プートンホワ)=共通語』なのですよ。ブヒヒッ!

これをカタカナ読みすると、

「ウォー・ホウェイ・シュオ・イーティエン・チュンゴッホワ」(中国語の発音の基本は『四声』というメロディラインみたいなものがあって、このようなカタカナ発音では全然意味が通じないとは思いますが)となって、これは:

"I can speak Chinese a little." (私は少しだけ中国語を話せます。)となる。

*これをポルトガル語で言うと:
"Eu posso falar o Chines um pouco."である。(多分ね。"o"は不要かも。)

*故司馬遼太郎は簡体字には批判的で、台湾の漢字温存を誉め千切っていた。文化遺産の観点からすれば確かに「あんなに野蛮な文教政策はない」と言ってもあながち言い過ぎとも言えないのだが、中国には11億人もの自国民から文盲を一掃する必要があって一概に非難も出来ないのである。

*中国のやり方は半端ではないから、そのうち旧字を知っている人間は一部インテリ階層しかいなくなってしまうかも知れない。

*そこへ行くと、日本は小才が利くというか、だいたいが文字を持たない民だったのに、漢字を輸入するとひらかな、カタカナを作って、あっという間にどんな日本語も外来語も記述できるようにしてしまった。これが大きかったのである。

*語学は暇が無いと勉強出来ない。必要に迫られないと覚えられない。子供のとき多国語の環境にあれば、その子は自然とマルチ・リンガルになる。ネイティヴ・スピーカーに教わらないとまず駄目としたものだろう。暇なとき片言を覚えて、飽きたら中断すればいい。

*その片言をネイティヴが聞くと、とてもかわいいのですよ。

*写真の人は先日尼崎でパフォーマンスをしていた。この人なんかはスペイン語でしょうね。
ああそう言えばスペイン語も一言だけ、昔教わりました。多分正しいです。

Quiero que me des un beso gentil.(やさしくキスしておくれ)

「これを二人きりのとき言え」という話でした。ジェンチルの代わりにアパショナータ(情熱的に)でもいいらしい。


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