本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

禁断の書。

2006-04-08 09:42:23 | 
     ユダ裏切ってない?1700年前の「福音書」写本解読 2006年 4月 7日 (金) 03:11

 米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、1700年前の幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。

 イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。

 解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。

 13枚のパピルスに古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書は、「過ぎ越しの祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」で始まる。イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。

 同文書は3~4世紀に書かれた写本で、1970年代にエジプトで発見され、現在はスイスの古美術財団で管理されている。同協会が資金援助し、カッセル元教授らが5年間かけて修復、内容を分析した。

 福音書はイエスの弟子たちによる師の言行録で、実際は伝承などをもとに後世作られたものと見られている。うち新約聖書に載っているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人分だけ。ユダの福音書は、2世紀に異端の禁書として文献に出てくるが、実物の内容が明らかになったのは初めて。

 詳細は、28日発売の「ナショナルジオグラフィック日本版」に掲載される。(読売新聞)

============

   「わたしを裏切りなさい」=キリストが弟子ユダに命令・古写本解読 2006年 4月 7日 (金) 11:52(時事通信)

【ワシントン6日】約1700年前に書かれた初期キリスト教の外典「ユダの福音書」の写本が解読され、米ナショナル・ジオグラフィック協会で公開された。新約聖書には、イエス・キリストの弟子ユダがイエスを裏切り、刑吏に引き渡したと記載されているが、「ユダの福音書」では、イエスがユダに対し、自分を裏切るよう命じていたと書かれてあり、キリスト教理解に大転換を促す内容になっている。

この古写本はギリシャ語で書かれた原本のテキストを紀元3―4世紀に古代コプト語に移し替えたうえでパピルスに記録されたもので、66ページに及んでいる。放射性炭素測定やインク分析などを使った徹底的な分析を経て、本物と認定された。

写本には、イエスがユダに対し、「お前はあらゆることがらを越えていくだろう。なぜなら、お前はわたしを包んでいるこの男を犠牲にするからである」と述べたとあり、イエスの肉体からの離脱を手助けすることによって、ユダはイエスの内部にある聖なる「セルフ」の解放を手伝ったと解釈されるという。

ナショナル・ジオグラフィックの担当研究者は「写本の解読はキリスト教研究史上、過去60年で最も重要な発見の一つであり、初期キリスト教の理解のあり方に多大の貢献をするものだ」と位置づけている。

「ユダの福音書」の写本は1970年代にエジプトで見つかり、さまざまな骨董商の手を経て欧州から米国に渡った。ニューヨークの金庫に16年間にわたって保管された後、2000年にスイス・チューリヒの骨董商に買い取られた。

歴史に「ユダの福音書」の名が登場するのは、紀元180年にリヨン司教の聖イレナエウスが残した文書が初めて。この文書では、福音書は偽書であると決め付けられている。 〔AFP=時事〕

============

  水の上を歩くキリストの奇跡、実は氷の上だった?─米研究 2006年 4月 5日 (水) 14:25
(ロイター)

 [マイアミ 4日 ロイター] 新約聖書にはイエス・キリストが水の上を歩いたという奇跡が記されているが、実はキリストは氷の上に乗っていたとする研究結果がフロリダ州立大学の海洋学者によって4日発表された。

 水の上を歩くキリストの奇跡を説明する「1つの仮説」として、古陸水学専門誌「Journal of Paleolimnology」の4月号に研究を発表したのは、フロリダ州立大学で海洋学の研究を行うドロン・ノフ教授。同教授は地中海の海面温度の記録と統計モデルを用いて、現在イスラエルの人々にはキネレット湖として知られる「ガリラヤ海」の動力学の検証を行った。 

 研究結果によれば、イエス・キリストが生存した時期を含む1500年―2600年前の付近の気温は非常に低く、気温が氷点下になると、人の重みに耐えられるほどの厚さの氷が張っていたと考えられると結論づけている。

 ノフ教授は「水の上を歩いた人がいると信じるかと聞かれれば、私の答えはノーだ。私はそれを説明する自然現象があると思う」とし、遠くから見ていた人たちには水面に浮かぶ氷が見えなかったのでは?と述べている。

 教授は14年前にも旧約聖書に伝えられるモーゼが紅海を切り開く奇跡を当時の風と海の状況から科学的に証明する仮説を発表。その際にも抗議の手紙を受け取ったが、キリストの奇跡を科学的に証明する今回の仮説にも抗議メールが殺到しており、「今度はキリストの復活を科学的に証明しようとでもしているのか」との質問も寄せられているという。

============

 以上、引用終わり。

*1700年前の『ユダの福音書(写本)』の解読である。
 一般に《聖書学》などというと古来のテキストをそれこそ《重箱の隅をつつく》ようにしてああでもない、こうでもないとやるものだ・・というイメージがあるが、時代は変わって、今や殆ど触るだけでも空中のちりと化してしまいそうな古文献をX線やら放射性炭素測定法やらを用いて現代に蘇らせるわけである。(はぁ?

 で、『ユダの裏切りはイエスの指示によるものだった(?!)』と、この異端中の異端の書には書かれていたというのである。
 こんなことがもし《真実》だったらキリスト教社会は天地がひっくり返るような大騒ぎになるだろう。いや私も思わず《真実》などという言葉を使ってしまったが、この言葉は使う側の何らかの価値判断を前提的に孕んでいるようであるから、こういう場合は『事実』とかいったもっと乾いた語句を使用した方がいいのかも知れない。

 しかし、旧教も新教もこんなことは容易には認めない。認める筈が無い。
 私如き部外者(?)にはかなり魅惑的な書のこれまた魅力ある解読だが、キリストの教えを信じる側からすれば、自らの教義の存立基盤を危うくするような新説を誰が認めるだろう?

 昔『ジーザス・クライスト・スーパースター』が映画化されたときでも宗教界からは猛烈な抗議が相次いだ。あの映画もユダには同情的だったように思う。

 『ユダの裏切り』には元々謎が多い。ユダは銀貨30枚と引替えにイエスを売った後首を吊って死ぬ。金に目が眩んだ人間にしてはあまりにまっとうな『自責の念』であり(自分に対して)『慙愧に耐えない』『憤懣やるかたない』とでも言いたげな自死である。銀貨30枚がどれほどの価値があったか知らないが、卑しくもイエス自らが選んだ聡明なる十二使徒の一人がそんな世俗的であっていいのだろうか?
 私が思うに、彼のこの死は殉死的色彩が強過ぎるが、彼の殉死・殉教を認めてしまったのでは残され生きながらえた使徒たちは殆ど道化になってしまう。

 『(お前は調子の良いことを言っているが?)朝鶏が鳴く前に三度私を否むだろう』と名指されたペテロは、官憲の度重なる追及の前にイエスの予言した通りあえなく屈服して、『そんな人間オラ知らねぇ』『オラあんなもんとは無関係だ』と言い放ち、そのとき鶏鳴を聞いてイエスを思い出し慟哭する・・。

 ↑cf.「わが神、わが神」 マルコ福音書一五章三三ー四一節

============

 原始キリスト教も原始仏教も私なりには(野次馬的?)興味は尽きないんだけど、しかし私には『宗教心』というものがないんだよなぁ!
 これは何らかの信心をしている人達から見ると、限りなく不幸で罰当たりなことらしい。
 そして世界には信じる宗教を持っている人の方が圧倒的に多いのである。
 そして対異教徒であれ対異端者であれ、宗教に根ざした対立や殺し合いもまた後を絶たない。

============

 従来型のユダ理解の典型かどうか、聖書の人物(72)『イスカリオテのユダ(ヨハネ福音書より)』はここです。→http://www.h3.dion.ne.jp/~vincent/person/person72.html

============



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。