本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

ヒドリノトキハ・・・(続)。

2005-09-25 10:12:02 | 
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*ところで「ヒドリ-ヒデリ論争」をまたやるのかな?・・・?

 以前このコラムで紹介した宮沢賢治『雨ニモマケズ』の一語がまた話題にされているそうです。以下は長くなりますが、『宮沢賢治Kenji Review 344号(05/9/24)』からの引用です。

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--〔話題〕--------------------------------------------------
「ヒドリ-ヒデリ論争」
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 22日には宮沢賢治学会の総会がありました。翌日の朝日新聞にこ
んな記事が載っていました。

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」の詩の一節「ヒデリノトキハ
 ナミダヲナガシ」の「ヒデリ」について再び論争が起きている。
地元の岩手県花巻市では日雇い稼ぎを意味する原文のままの「ヒド
リ」説が根強いことに対し、著名な賢治研究家の入沢康夫氏は「賢
治を冒涜するものだ」と批判する。しかし、地元研究家らは「原文
を尊重し、決めつけるべきではない」と反論し、22日の宮沢賢治学
会総会でも議論された。論争は89年にも起きており、再燃した形だ。

朝日新聞2005年9月23日
--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

 実際、総会でそんな「質問」がありました。朝日新聞の記者が来
ていたのも事実のようです。今ごろこんな記事を書くのは、もう一
度「論争」をおこしたいという意図があるのでしょうか。初めての
「論争」は読売新聞が火付け役だったそうで、それを朝日新聞でも
う一度するのかな、と思ったりしています。

 しかし材料は出尽くしていますので、今度は盛り上がらないと予
想しておきます。

 原文が「ヒドリ」と書いているのは間違いのない事実です。しか
しこれでは意味が通らないので、「ヒデリ」と校訂され、テキスト
としてはそれが流布されているのも、同様の事実です。

 原文=「手帳の写真版」をもとにしたノレンや手拭いなども観光
土産として花巻ではよく売られています。これにはほとんど「ヒド
リ」と原文のまま書かれています。写真版ではなく、それらしく書
いてあるだけなのですが、この場合はこれでよいと思います。

 それに対して、「テキスト」というのは作者が書いたものが出版
されるとき、校訂作業を行ったうえで公表されるものです。何らか
の事情で、複数のテキストがあったり、新たに発見された原稿など
があるときは、批評の対象とする「テキスト」を決定することが重
要な作業になります。対象が固定されていない状態では、議論が成
立しないからです。

 一般に、この作業は「テキスト批判」などと称されています。
「ヒドリ」派の人は、賢治の書いたものがこういう「批判」の対象
となることに我慢ならないのだと私は解釈しています。気持ちはわ
かるのですが、そこまで神聖視するのはやはり行き過ぎだと思うの
です。また、「批判」という言葉がどうも悪く言うという俗っぽい
意味でとらえられているようでもあります。これは単なる誤解でし
ょう。研究上の「批判」は様々な角度から厳密に検討することで、
否定的に言及する「批判」とは意味が違います。

 意味の上からは「ヒドリ」説では弱いことは間違いないところで
す。「ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロア
ルキ」という対句は「ヒドリ」では成立しないからです。「ヒデリ
ノトキ」⇔「サムサノナツ」が対称になり、「ヒデリ」⇒「ナミダ
ヲナガシ」、「サムサ」⇒「オロオロアルキ」という句を導いてい
るのまさに完璧な技巧です。特に干ばつに涙をもって対抗するとい
うあたりは出来すぎの感があるほどですね。

 宮沢賢治学会の機関誌最新号に、天沢退二郎さんが「校訂と校異」
という短い文章を書いています。校本全集以来、細かい校異が掲載
されるのが宮沢賢治全集の特徴ですが、それにも関わらず校訂もあ
るのだ、ということを説明しています。校異が原稿の変遷を細かく
記述するものであるのとは違い、校訂は原文の書き誤りを訂正する
ものです。

 児童向けのテキストでは、登場人物の名前の不一致を訂正したり
するのは当然のことです。また、仮名遣いなども現代文に改めなけ
ればなりません。校本全集などでは、できるだけ原文に近く、とい
う方針で、ある程度の不一致はそのままにし、意味のとおらない部
分のみ、最低限の校訂をほどこして校訂一覧に表記しています。

 「ヒドリ」⇒「ヒデリ」への変更はまさしくこの校訂にあたるわ
けです。校本全集6巻の詩「〔雨ニモマケズ〕」ではこの校訂がほ
どこされた形で掲載されています。それに対して12巻上の「雨ニ
モマケズ手帳」では、手帳の文面を写真で紹介し、その下のテキス
トも「ヒドリ」のままになっています。

 私の作成した「宮沢賢治作品館」でも、「詩集補遺」の「〔雨ニ
モマケズ〕」は校訂後の文面(ヒデリ)を、「手帳その他」では校
訂前(ヒドリ)を採用しています。

 みやげ物などの「遺物」としての扱いのときは原文のままで、文
学作品としては校訂された姿で、それぞれ対象とするのが当然だと
思います。要するに現状のままで問題はない、というのが結論です。

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*以上、引用終わり。
 以前の私の記事に興味のある方はカレンダーから5月3日をクリックして貰えば辿り着けますよ。

*御参考までに:

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチテ
慾ハナク
決シテイカラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

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*『宮沢賢治Kenji Review』というのは、mag2 ID 0000010987で、発行=渡辺 宏氏/ URL=http://why.kenji.ne.jp/で、現在購読者数838名だそうです。


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