本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

私的ギャンブル史(準備中)

2015-03-27 11:42:14 | 


 写真はアベノハルカスの昨夜7時頃の夜景である。
 昨日出戸バスターミナルから行きたかったのは長居公園方面か若しくはあべの橋方面だったが、来たのは住之江公園行きのバスだったのでそのまま乗った。現地到着は夕刻だったが着くまでそこが競艇場のある場所だということを忘れていた。今朝になってから調べてみたら、昨日は丁度優勝戦のあった日だった。それにしては人影が疎らだったが、もう大半の人は帰ってしまった後だったのだろう。ギャンブラーは出足も引き足も早いのだ。

 それで調べているうちに、なんとなく競艇場に行ってみたくなった。が、住之江は今日から暫くは場外発売だけで、今日から始まるのは尼崎競艇が2場所続くのである。それでどうしようか迷っている。どうせ行くのなら場外開催ではなく実際に選手たちが走っている「本場所開催」の日に行きたいからである。
 
 行くと言っても私の場合根が小心者なので、有り金残らず張りまくることなどない。負けた場合の心配の方が先に立つから、せいぜい百円単位で2~3千円も買えば多い方だ。行っても入場料を払って無料サービスのお茶を呑むだけのことも多い。
(場内の喫茶店でモーニングを注文することもあるが、あそこはモーニングの終了時間が早いのだ。)要するにギャンブル場所通いも私にしてみれば社会見学の一つなのだ。
 がしかしこれがパチンコとなると、入ったが最期、無一文になるまで打ち続けるのだから、本当の小心者である。それで、パチンコでそんなに何万も💴金を使う位なら、いっそギャンブルにでも行ってみたらどうかと今朝ふと思った次第である。尤も体調が悪いので行くかどうかは今のところ未定である。
 それで今日は私の私的ギャンブルの歴史を思いついたら書き連ねてみたい。金額の多寡で言えば私はギャンブラーなどでは毛頭ないのだが、何事にも興味を持つ人間なので《場数》だけは踏んでいるのだ。

 私は、幼少期は《ギャンブル=悪》の図式で凝り固まった超真面目人間だった。母親の教育だったのかも知れない。得てしてそういう人間こそが、一旦ド壺に嵌まると身を持ち崩すまで没入してしまうのが世の習いである。父親は若い頃勃興期の競輪に通っていたらしく「全国の競輪場に行くのが唯一の《夢》」だったらしいが、私が物心ついたときには既に賭け事などには一切手を出さない超がつく程の真面目人間だった。

 それで私が何時頃初めてギャンブルに手を出したかを考えてみたら、それは学生時代に姉に勧められ、無論金も与えられて《有馬記念》の馬券を《特券》で3枚買ったのが最初だったように思う。3千円と言えば当時は大金だったのである。馬券の選択は1点は友人に任せた。二人で3点買いしたわけだが、結果は《一着三着》《二着三着》の外れで、それを当時の私たちは「非常に惜しい」事だと錯覚した。そんなのが惜しいのだったら、世の中のギャンブラーはみんなみんな惜しい人だらけであるが、それを知るには充分な経験を積む必要があった。

 「パチンコには夢がないがギャンブルや宝くじ・ロト等には夢がある。」とはよく言われることだが、それも大抵の場合あるのは《夢だけ》である。大多数の人が外れるからこそ、一握りの人が僥倖を摑むのである。ギャンブルというものはコンスタントに利益を得るものは《胴元即ち主催者》に限られた話である。これは昔からそうだ。それで極道たちが《御開帳》することを公権力は決して許さないのである。

 尤も世の中にはなまじ宝くじが高額当選したが為にその後の人生が狂ってしまった人も多い。 


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