*『東京トイレマップ』というサイトを新しくここ『本家ヤースケ伝』のブックマークにも追加しました。重複になりますがここ→です。
そこは以前からブックマークだけはしてあったのですが、先程久しぶりに行ってみたら相変わらず盛況のようでした。『東京』と謳っていますが、情報は世界各地のトイレ事情にまで拡がっています。
*行ってみたら「中国は相変わらずだ」という記述が目に留まりました。よく知られているように、あの国では以前は『大便』も仕切りのないところで横一列に並んで挙行していたのですね。
もしトイレが混むようなことがあったら、あちこちで♪ビチビチ・ブリブリという音が鳴り響いて、おまけにどこからかホワホワ~ンというブレンドされた匂いも漂って来たりして、『ウン』良く(?)この光景を俯瞰ショットで捉えるようなことがあったら、さぞや壮観(?)だったでしょうね。
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。(今日もこれ?)
いつからあるのか『関東の連れション』などというのも、これを街頭で行えば『集団立ち小便』ですから軽犯罪法違反そのものですね。
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。
この大国中国のトイレ事情も『国際化(近代化)』が進むに連れて徐々に改善されて来たという話でしたが、広い国ですからまだまだ旧態依然のところも多いようです。オリンピックに間に合うかしら?
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。
*『改善』と書きましたが「排便を隠れてする。或いは公然とする」というのは《文化》の問題ですから、どちらがいいとか悪いとかの問題ではない筈で、そんな言い方は《僭越》かも知れません。
尤も『大航海時代』以来の所謂『近代(化)』なるものは元々押し付けがましい《僭越》なものであったわけで、今現在の我々も未だ、世界を普遍化乃至は画一化しようという大きな潮流の中にいるのだと思われます。
*落語に『勘定板』という噺があります。ある渓谷を見下ろす村では用便は『勘定板』という手頃な板の上でする風習で、その板は縄で繋いで用便後は清流へ投じて洗い流すというものでした。用便後のお尻の穴は縄でしごいてきれいきれいにするのですよ。
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。
*それで「うんちする」ことを「勘定をぶつ」と言うその村の住人が、ある時都会の旅籠に長逗留することになったのですから、さあ大変、事件です。
村人は都会に於ける用便の仕方がわからないので「オラ勘定ぶちてえだけども・・・」と帳場へ訴えるのですが「お勘定でしたらお帰りの際まとめて(!)して戴ければ結構です」と軽くあしらわれてしまうのです。
お帳場の人は「勘定と聴けば宿賃の清算のこと」と早合点して親切心からそう応えたわけですが、さあどうなりますか、なかなかくすぐりの効いた面白い噺なので、興味の湧いた方はご自分でお調べ下さい♪
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。
*人間のことを指すのにわざわざ『動く糞袋』などと汚らしく言うこともあるくらいで『食べれば出す』のは我々の当然の生理であるにも関わらず、世に《食に関する情報》は溢れているのに比して、反対の《排泄に関する情報》となると、《スカトロジー》など一部好事家の間でしかやり取りされていないように思います。
TVドラマでも、例えば冬帰宅して来れば真っ先にトイレに駆け込みそうなものですが、そんなシーンはタブーなのか、私は見たことがありません。ドラマでも映画でも我々に《夢》と《非日常》を与えるのが第一義であって、所謂『糞リアリズム(!)』や《諸々の日常茶飯事》の記述などは二の次ということでしょうか。
*70年代の始めだったか邦題『自由への幻想(?)』とかいうフランス映画を見たことがあります。
そこでは食事は個室に入って隠れてするものであり、こそこそ食べているとノックされたりします。逆にトイレは白いクロスの掛けられた大きなテーブルで一家が揃ってするのです。椅子は全て便器になっています。家族が代わる代わる「ブシュ-ッ!ブシュ-ッ!」っとリズミカルに水洗ボタンを押すのでした。
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。
そこは以前からブックマークだけはしてあったのですが、先程久しぶりに行ってみたら相変わらず盛況のようでした。『東京』と謳っていますが、情報は世界各地のトイレ事情にまで拡がっています。
*行ってみたら「中国は相変わらずだ」という記述が目に留まりました。よく知られているように、あの国では以前は『大便』も仕切りのないところで横一列に並んで挙行していたのですね。
もしトイレが混むようなことがあったら、あちこちで♪ビチビチ・ブリブリという音が鳴り響いて、おまけにどこからかホワホワ~ンというブレンドされた匂いも漂って来たりして、『ウン』良く(?)この光景を俯瞰ショットで捉えるようなことがあったら、さぞや壮観(?)だったでしょうね。
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。(今日もこれ?)
いつからあるのか『関東の連れション』などというのも、これを街頭で行えば『集団立ち小便』ですから軽犯罪法違反そのものですね。
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。
この大国中国のトイレ事情も『国際化(近代化)』が進むに連れて徐々に改善されて来たという話でしたが、広い国ですからまだまだ旧態依然のところも多いようです。オリンピックに間に合うかしら?
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。
*『改善』と書きましたが「排便を隠れてする。或いは公然とする」というのは《文化》の問題ですから、どちらがいいとか悪いとかの問題ではない筈で、そんな言い方は《僭越》かも知れません。
尤も『大航海時代』以来の所謂『近代(化)』なるものは元々押し付けがましい《僭越》なものであったわけで、今現在の我々も未だ、世界を普遍化乃至は画一化しようという大きな潮流の中にいるのだと思われます。
*落語に『勘定板』という噺があります。ある渓谷を見下ろす村では用便は『勘定板』という手頃な板の上でする風習で、その板は縄で繋いで用便後は清流へ投じて洗い流すというものでした。用便後のお尻の穴は縄でしごいてきれいきれいにするのですよ。
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。
*それで「うんちする」ことを「勘定をぶつ」と言うその村の住人が、ある時都会の旅籠に長逗留することになったのですから、さあ大変、事件です。
村人は都会に於ける用便の仕方がわからないので「オラ勘定ぶちてえだけども・・・」と帳場へ訴えるのですが「お勘定でしたらお帰りの際まとめて(!)して戴ければ結構です」と軽くあしらわれてしまうのです。
お帳場の人は「勘定と聴けば宿賃の清算のこと」と早合点して親切心からそう応えたわけですが、さあどうなりますか、なかなかくすぐりの効いた面白い噺なので、興味の湧いた方はご自分でお調べ下さい♪
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。
*人間のことを指すのにわざわざ『動く糞袋』などと汚らしく言うこともあるくらいで『食べれば出す』のは我々の当然の生理であるにも関わらず、世に《食に関する情報》は溢れているのに比して、反対の《排泄に関する情報》となると、《スカトロジー》など一部好事家の間でしかやり取りされていないように思います。
TVドラマでも、例えば冬帰宅して来れば真っ先にトイレに駆け込みそうなものですが、そんなシーンはタブーなのか、私は見たことがありません。ドラマでも映画でも我々に《夢》と《非日常》を与えるのが第一義であって、所謂『糞リアリズム(!)』や《諸々の日常茶飯事》の記述などは二の次ということでしょうか。
*70年代の始めだったか邦題『自由への幻想(?)』とかいうフランス映画を見たことがあります。
そこでは食事は個室に入って隠れてするものであり、こそこそ食べているとノックされたりします。逆にトイレは白いクロスの掛けられた大きなテーブルで一家が揃ってするのです。椅子は全て便器になっています。家族が代わる代わる「ブシュ-ッ!ブシュ-ッ!」っとリズミカルに水洗ボタンを押すのでした。
♪パッパッパパドゥヤドゥヤ・・・♪軽くヤバイ。