本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

ラジオを聴いた。

2015-11-03 20:21:56 | web・メディア
 十四時間以上に亘ってCBSラジオを聴いた。別にこの放送局が気に入ったわけではなく、たまたまこの局に標準があっていたからである。深夜テレビを見ようとしたら(私の不注意で)テレビが看られなかったからである。電池切れだと、このタブレットではテレビの電源が入らないのだ。それでラジオにしたのだが、こんなに長時間に亘ってラジオを聴いたのは初めての経験だった。

 ☆結果から言うとこの試みは成功だった。出演者は『一流半』というか、第一線を退いた人たちばかりで、テレビのように人気者の集まりにはいかなかったが、それが私には心地よかった。📺テレビはどの局を回しても同じ顔ぶれの閲覧ばかりで、こちらとしては「ええ加減にせいや!」の一言も言い返したくなるのだ。
 番組では80年代から90年代、更には60年代から70年代の曲の紹介に至っては私には懐かしい曲ばかりで、普段聴きたくても聞けない曲ばかりだった。60年代と言えば、私が二十代だった時分の話である。これで深夜ラジオの聴取者達には私のような高齢の方も多いことが分かった。

 曲の紹介とは別に、合間合間のトークも愉しかった。守備範囲の重なる話題にだったら私も付いて行ける。面白い話だったら私も付いて行く。📺テレビは画面に頼るのでむしろ良くない。
 ただしかし、CMがやかましい。3,600円の商品を売るのに8,000円以上の手数料その他を取ったりするのは論外だ。そんなパチンコ屋のような金を取られる位なら私は自分で天王寺や寺田町の街に買いに出る。

 ☆橋下一派はわけわからないNHK同様違法腐敗一派であり、そんなものには最早何の意味も無い。この国の『自称組織』は腐敗を重ねるのみだ。若手のSEALDsは良かったと思ったが、あそこも既に解散を決定してしまった。愈々この国には屑だけしか残っていないことになる。「終わ」ダ。🙆🙌🍓👙😓😅😥😆😨。

 ☆大阪では何たらいう中学校の生徒が十年間に一人ずつ骨折していたが、学校側はしかとして組み体操を辞めなかった。これは確信犯である。この学校の学校長らは「骨折者が出たら謝罪文の1つも書けばいいや」位に思っていたのだろうか、酷い学校もあったものだ。私はこの際学校長以下らは総員組み体操を何度でも実施させ、十人の骨折者が出る迄やらせるべきだと考える。それが「人の振りみて」と言うことだろう。そんなことでも無ければ彼らが「反省」することなど有り得ない。自称教育者にしてからがこのざまである。
 
 ☆夕焼け小焼けの赤トンボという小学唱歌の歌詞が余りにも悲しいという評論を読んだことがある。「山のカケスの桑の実を子かごに積んだあわあ幻か」は哀愁に満ちているが、「十五で姉やは嫁に行きお里の便りも絶え果てた」などははっきり言えば人身売買であり借金の方に娘を取られたという話である。娘を取った側も妙齢の娘を何処かに出していたのだろう。日本の農家はどこも貧しかったのである。食い扶持を減らし、或いは労働力を確保するために👧女子を雇用する必要があった。

 ☆下請け業者(旭化成)側では元請け側からは「データが足りなかったら偽造してでも間に合わせろ」と指示されたと白状したのである。もうこれはデタラメである。全国でこのデタラメがまかり通っていると我々は判断するしかない。信ずる方が悪いのである。


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