6.電車通学の高校生らが降りると車内はガラガラになってしまったが、串本あたりから一般客がパラパラ乗り込んで来た。
14:33 串本。「ここは串本向かいは大島」のあの串本である。ここは「本州最南端の町」をキャッチコピーにしているようで、駅にもその看板があった。
それで「串本節」を検索したら1956年に「江利チエミ&東京キューバンボーイズ」が歌っている民謡集からのものがYouTubeにあったのでとりあえず(1)の方にアップしておいた。こちらにアップすると画面が歪んで編集の邪魔になるのである。歌に出て来る名物の「巡航船(じゅんこせん)」は大橋の開通で廃止されたとのことで、「大島」と名の付く島がこの国に幾つあるのか知らないが、ここの大島は本当に見た目大きかった♪
7.「風光明媚」という程でもなく「変化に富んだ海岸線」ということもなかったが、紀伊半島の海岸線というのはなかなか味があった。ここは金と時間をかけてじっくりゆっくり回るところである。行けるかどうかわからないが、無論その際は熊野古道も白浜温泉も行きたいものである。w
15:24 那智。囲碁をやる人には有名な「那智黒石」の那智駅である。石は緻密で光沢の綺麗な粘板岩で碁石としては最高級品とされている。尤もこれは原石をそのまま使うのではなく、一旦粉砕してから油で練り上げ焼成するという工程を経るのである。私は単に「那智黒」と覚えていたが、そういう言い方では、これに肖ったご当地銘菓の「黒飴」を指すことが多いらしい。w
15:50 終点新宮到着。
これは失敗だったと言えるのかどうか、数分の待ち合わせで「多気行」普通電車が待っていたのだが、「新宮」という名前だけは知っていた私はわざとその列車をやり過ごして次にしたのである。
ところがこれはなんと2時間待ちの同じ「多気行」で、この選択が決定打となって「日帰り」を目指す私は以後時間との戦いを強いられる展開になった・・というか私はそもそも「多気」という駅が亀山より先にあるのか手前にあるのか知らなかったのである。(←私は昔名古屋方面から「伊勢神宮」へ行ったことがあるから正確には「すっかり忘れていた」が正しい。)
まあ、新宮まで来て(殆ど)「旅はもう終わった」ような気になって安心し切ってしまったのが一番悪かった。「百里の道も九十九里をもって半ばとせよ」であるが、私の場合新宮ではまさに正味半分しか来ていなかったのである。
8.それで17:46発普通多気行の発車までなんとか2時間潰さなければならないわけであるが、改札を出てすぐに目に付くのが中国風の楼閣で、これが徐福公園の入り口だった。徐福というのは秦始皇帝に仕えた方士(神仙思想の行者)で、なぜか日本に渡来したという伝説が各地にあるというのであった。で、この公園はその一つである。よく整備された公園で、池の鯉の中には金ピカのものもいた。私が行ったときには数人の爺さん婆さんの観光客と杉の枝を切り落とす「作業員」二人がいて、爺婆が去ったあとはトレッキング姿の女子大生(?)一人が来て門その他の写真をデジカメで撮っていたがそのスピードは遅く、いかにも観光客が撮りそうな対象しか選んでいなかった。
「デジカメなんだから(つまり銀塩フィルムのカメラのようにコマ数の心配は不要なのだから)手当たり次第に撮りまくって、あとで要らなかったら消せばいいのに」と私は思うが、それは余計なお世話というもので、撮りまくる習慣のない人にはなかなかこれが出来ないらしいのである。私なんか撮りまくって、しかもあとで消すことは滅多にない。ぁそ。w
それでそのお姉さんは知らないうちに消えていたが、私が公園の隣にある果物屋で「一篭百円」のみかんを二つ買って駅に戻ると彼女は既に待合室に戻っていて、私のみかんを見るとすぐ駅を出て、暫くすると大きく膨らませたマイ・バッグを持って帰って来た。あれは恐らく私に触発されて土産用に一袋千円のみかんを仕入れて来たに違いないってか、それこそ余計なお世話である。ぁそ。あっちゃ。なにはともあれ、紀州と言えばみかんであり、しかも安かった。w
彼女らは私の乗る多気行より20分程早く出る特急で名古屋方面に去って行ったが、乗客はまばらだった。あれでは赤字だろう。
17:46 2番線より多気行ワンマンカー(普通)。多気到着は20:55の予定で、しかもこれはあとになってわかったことだが、そこから亀山まではまだ大分あったのである。汗。
ちなみに南は新宮からがJR東海の管轄である。
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14:33 串本。「ここは串本向かいは大島」のあの串本である。ここは「本州最南端の町」をキャッチコピーにしているようで、駅にもその看板があった。
それで「串本節」を検索したら1956年に「江利チエミ&東京キューバンボーイズ」が歌っている民謡集からのものがYouTubeにあったのでとりあえず(1)の方にアップしておいた。こちらにアップすると画面が歪んで編集の邪魔になるのである。歌に出て来る名物の「巡航船(じゅんこせん)」は大橋の開通で廃止されたとのことで、「大島」と名の付く島がこの国に幾つあるのか知らないが、ここの大島は本当に見た目大きかった♪
7.「風光明媚」という程でもなく「変化に富んだ海岸線」ということもなかったが、紀伊半島の海岸線というのはなかなか味があった。ここは金と時間をかけてじっくりゆっくり回るところである。行けるかどうかわからないが、無論その際は熊野古道も白浜温泉も行きたいものである。w
15:24 那智。囲碁をやる人には有名な「那智黒石」の那智駅である。石は緻密で光沢の綺麗な粘板岩で碁石としては最高級品とされている。尤もこれは原石をそのまま使うのではなく、一旦粉砕してから油で練り上げ焼成するという工程を経るのである。私は単に「那智黒」と覚えていたが、そういう言い方では、これに肖ったご当地銘菓の「黒飴」を指すことが多いらしい。w
15:50 終点新宮到着。
これは失敗だったと言えるのかどうか、数分の待ち合わせで「多気行」普通電車が待っていたのだが、「新宮」という名前だけは知っていた私はわざとその列車をやり過ごして次にしたのである。
ところがこれはなんと2時間待ちの同じ「多気行」で、この選択が決定打となって「日帰り」を目指す私は以後時間との戦いを強いられる展開になった・・というか私はそもそも「多気」という駅が亀山より先にあるのか手前にあるのか知らなかったのである。(←私は昔名古屋方面から「伊勢神宮」へ行ったことがあるから正確には「すっかり忘れていた」が正しい。)
まあ、新宮まで来て(殆ど)「旅はもう終わった」ような気になって安心し切ってしまったのが一番悪かった。「百里の道も九十九里をもって半ばとせよ」であるが、私の場合新宮ではまさに正味半分しか来ていなかったのである。
8.それで17:46発普通多気行の発車までなんとか2時間潰さなければならないわけであるが、改札を出てすぐに目に付くのが中国風の楼閣で、これが徐福公園の入り口だった。徐福というのは秦始皇帝に仕えた方士(神仙思想の行者)で、なぜか日本に渡来したという伝説が各地にあるというのであった。で、この公園はその一つである。よく整備された公園で、池の鯉の中には金ピカのものもいた。私が行ったときには数人の爺さん婆さんの観光客と杉の枝を切り落とす「作業員」二人がいて、爺婆が去ったあとはトレッキング姿の女子大生(?)一人が来て門その他の写真をデジカメで撮っていたがそのスピードは遅く、いかにも観光客が撮りそうな対象しか選んでいなかった。
「デジカメなんだから(つまり銀塩フィルムのカメラのようにコマ数の心配は不要なのだから)手当たり次第に撮りまくって、あとで要らなかったら消せばいいのに」と私は思うが、それは余計なお世話というもので、撮りまくる習慣のない人にはなかなかこれが出来ないらしいのである。私なんか撮りまくって、しかもあとで消すことは滅多にない。ぁそ。w
それでそのお姉さんは知らないうちに消えていたが、私が公園の隣にある果物屋で「一篭百円」のみかんを二つ買って駅に戻ると彼女は既に待合室に戻っていて、私のみかんを見るとすぐ駅を出て、暫くすると大きく膨らませたマイ・バッグを持って帰って来た。あれは恐らく私に触発されて土産用に一袋千円のみかんを仕入れて来たに違いないってか、それこそ余計なお世話である。ぁそ。あっちゃ。なにはともあれ、紀州と言えばみかんであり、しかも安かった。w
彼女らは私の乗る多気行より20分程早く出る特急で名古屋方面に去って行ったが、乗客はまばらだった。あれでは赤字だろう。
17:46 2番線より多気行ワンマンカー(普通)。多気到着は20:55の予定で、しかもこれはあとになってわかったことだが、そこから亀山まではまだ大分あったのである。汗。
ちなみに南は新宮からがJR東海の管轄である。
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