本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

クォーク。

2008-10-08 21:30:12 | 
『青雲の志』とでも言おうか、30年も40年も前の論文が今になってノーベル財団によって評価され、日本人の基礎物理学者三名が一挙にノーベル賞を独占受賞したが、うち故湯川博士に触発されてこの学問に身を投じた南部先生はいわゆる『頭脳流出』の先駆で、1958年には既にシカゴ大名誉教授に招かれている。物質の根源から宇宙開闢の謎に迫るこの基礎物理学の分野は、60年~70年代を通して盛んに研究されたが、そもそも古代ギリシア以来物質の根源とされ、これ以上は分割不可能という意味で「原子即ちアトム」と命名された究極の物質単位が実は内に構造を持ち、更なる分解可能な要素を内在することが判明して以降は、このいわゆる『素粒子』学の分野はますますもって深化の一途を辿っている。私も昔は物理学など皆目わからないまま宇宙開闢の歴史には興味を抱いて、例えば『素粒子』(1961年。湯川秀樹他共著。岩波新書)とかその他素人向けガイドブックにはあちこち手出ししたものである。『宇宙開闢~ビッグバン』などという、この宇宙にも始まりがあって終わりもあるという議論など当時の一部若者たちには極めて刺激的・挑発的であって「では宇宙が始まる前世界はどうだったのか?」とか「宇宙の果ての更に外側はどうなっているのか?」など、考え始めると頭がおかしくなってしまうしかないテーマだった。今も覚えている仮説で一つ例を挙げると、これも湯川博士の提唱したものだったか『非局所場の理論』(ノン・ローカル・セオリー)というのがあって、これは量子力学の分野の議論と思うが原子を構成する電子というものは言わば『雲』のような存在で「そこにある」ことは確実だが「ではどこにあるのか?」とその居場所を特定しようとすると途端にするりと逃げられてしまうというもので、このネーミングが実に御洒落だった。(←このあたりは学問的に正確な記述であるという自信はない。汗)さて、ここに『ノーベル財団のポリシー』というか、「なぜ今?」といぶかしく思われる方もいるだろうが、南部理論を継承した小林・益川のお二人が理論上予測し存在を予言した「六つ目のクォーク」が発見されたのは1995年になってからだったのである。物理学の世界は吉本大先生の嫌いな「実証主義」が幅を利かせている世界であって、クォーク=物質の究極の構成単位は高エネルギー加速機を作動させて初めて我々の前に瞬時姿を現すのである。 . . . 本文を読む