フィクション『同族会社を辞め、一から出直しオババが生き延びる方法』

同族会社の情けから脱出し、我が信ずる道を歩む決心をしたオババ。情報の洪水をうまく泳ぎ抜く方法を雑多な人々から教えを乞う。

お迎えかな…?

2018-11-05 22:26:44 | 美しく生きるという事

2003年に死んだ小桜インコのピーとピヨ。

今朝、明け方いきなり脳裏に現れて(もしかしたら夢?)、

その時とっさに考えたのは、彼らをどこに葬ったか、と言うことだった。

あれは、前の家だ。そして、その時一緒にお葬式をした三男は幾つだったっけ?

実は昨日三男に会っていて、その彼と、2003年、小桜インコの葬式を一緒にやった三男とイメージが合わないのだった。

あの時の男の子(三男)は小学生だったよ。

とすると、ピーピヨが死んだのはそんなに前のことなの?

いやいや、ピーピヨの事はいまだに覚えている。ついこの間のように。

その場面に存在した子どもの様子が、

実際の時間を物語ってくれる。

 

ピーピヨは死んじゃったから永遠に歳をとらない。

ピーピヨが死んで泣きじゃくっていた三男は、

すっかりおとなになった。

私はそれをとても悲しく思った。

ピーピヨだけが取り残されている。

死んだものは、取り残される。

いつまでも一緒にいられるものでもない。

そしてだんだん、距離を感じるようになる。

そしていつしか、考えなくなる。

私はいまだにピヨに手を伸ばして、手のひらに乗せてツンツンつついてみようとさえ考えるのだ。

それだけ身近なのだ。だが、彼らはもうとっくの昔に死んで、いないのだ。

ああ、と私はうめいて、彼らを失ったことをとても悲しく思う。

小さい命が失われるのは、とても悲しい。

私は生きていたころの彼らの姿があまりにもかわいらしすぎるので、

死んだことも忘れて、また一緒に過ごせることを喜んだりしてしまいそうになる。

 

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