今月10日、永ちゃんの作品に沢山、詞を書いてくれていた
作詞家の、ちあき哲也さんがお亡くなりになりました。。
私は、この記事で初めてお顔を知ったほど
永ちゃんの作品でしか知らずにきてしまいましたが・・
1982年「P・M・9」に続き
1983年の「I am a M0del」でも全曲、ちあき哲也さんが詞を任されていて
永ちゃんが、いかに信頼していたのかが分かります
その後も素晴らしい作品が本当に沢山あります
「YES MY LOVE」
いいさ ほんの思い違い
それで Go away girl・・
24時間 もたない恋の
熱をさらって Southern Breeze・・
「YOKOHAMA二十才まえ」
忘れられる 女がいる
忘れられぬ 女がいる
今 あいつだけが・・
地下室を つぶした店
すてるしか 知らない頃
YOKOHAMA二十まえ・・
「But No」
誓ってみた はずさ
惚れたりなど 2度と
そいつがなぜ あの夜(よ)
おまえを見た 瞬間に・・
稲妻が すみついて
からだじゅう しびれっぱなしさ
「ピ・ア・ス」
崩れた空から また吹き出す雨に
真下の 街が煙るよ・・・
あんなに 抱いても
まだ逢い足りなくて
その唇 悲しいいね・・
そして・・
私が一番好きなバラード「このまま・・」も。。
今、改めて・・素晴らしい作詞家のプロだったのに!と・・
残念で仕方ありません
歌・ネットのサイトでは
http://www.uta-net.com/user/sakushika/01_100/03.html
「言葉の達人」という、
ちあき哲也さんへのインタビューが載っていました
矢沢永吉さんとのレコーディング、秘話など・・
『双子座の真骨頂。
ぼくがもうひとりのぼくを楽しむ時間です。
当人は矢沢さんが歌っていらっしゃるオトコ像をかけ離れて、
ヤワ~に生きていますので、
生き損なった、もうひとりの自分を、思い切り楽しんで書けます。
それを彼があのセク シーな声と解釈で、
想像の数百倍も膨らませて「形」にしてくださるのですから、
こんな恵まれた作家もそうはいない、と感謝あるのみです。
秘話ですか。
・・やはりワーナーの1作めの「PM9」です。
願ったことでもないのに、
当時ぼくの夢中だったリトル・フィート、ドゥ-ビー・ブラザーズ、
アンドリュー・ゴールド、ニコレッタ・ラーソン、
そしてTOTOのスティーヴ・ルカサーまでが、
矢沢さんの熱意とカリスマ性に惹かれて、
フルに録音に関係してくれたことです。
(中略)
矢沢さんとの制作は、ぼくの世界を確実に広げてくれました。
彼のように。
ぼくもカッコよく作家の道を全うしなくては、と自戒しています。』
(ちあき哲也 談)
心から、ご冥福をお祈りいたします。
写真は・・
我が家のゼラニュームとベラルゴニューム
暑さ寒さに強く!手間いらず 優秀なお花です
ワタシも地元のAM曲ラジオ聴きたかったです。
御冥福をお祈りしたいと思います。
大好きな曲ばかりでした。
半畳さんがお聴きになったラジオの追悼番組…私も聴いてみたかったです。
今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。
この特番を聴いて改めて、ちあき哲也さんの詞の素晴らしさが
広くリスナーに伝わったのではないでしょうか
「仮面舞踏会」とか確かに大ヒットしたので皆さんが知っているのかもしれませんが・・
永ちゃんのアルバムを、じっくり聴いてもらい
ちあき哲也の詞の世界を、もう一度味わってもらいたいと思いました。
それにしても・・
ラジオから「半畳さん、どんな気持ちでお聞きになってるでしょうか」と・・語りかけてくれるなんて!
かなり感動しますね~
永ちゃんの才能と、ちあきさんの才能がぶつかり合って
ものすごいエネルギーになっちゃった感じがします
今でこそ、普通のように感じますが・・
当時の日本では想像できないほど詞も曲もモダンでオシャレでカッコ良かったと思います。
これほど素晴らし楽曲なのに爆発的に売れないのは、モダン過ぎたせいかな?と・・
永ちゃんの曲は、とても洗練されているので、ちあき哲也さんのようなモダンな詞がピッタリだし
永ちゃんだからこそ、そんな詞の世界を嫌味なく表現できたのかな?って思います
それにしても・・
半畳さんの地元ラジオ局のYアナに負けず、キー局でも特番やってもらいたいです~。
阿久 悠さんにも匹敵する名作詞家だと思いますので