ひろみの「PM9」

YAZAWAなライブとYAZAWAな言葉
永ちゃん最高~!!
マジな永ちゃんに、どこまでも付いて行きます♪

固定観念を消す事?!

2012年03月31日 19時58分19秒 | 矢沢語録

永ちゃんの「40周年ライブ」ですが・・

「この日 燃えつきる」という、ちょっと衝撃的なキャッチ・コピーでした

なので・・色々と考えてしまうわけです

でも・・私は、永ちゃんが、引退など・・

今は、絶対にないと思います

 

それでも・・

40年を、区切りに一度リセットするかも。。とは思います

そして来年・・

また新たな矢沢を演出するって事は、ありえると思うのです

 

 

私の選んだ矢沢語録

               1999年   「Club News 78」より・・

 

『20代、サクセスするまで苦しかった。

30代、サクセス以降苦しかった。

でも、それは今の矢沢への準備だったんだ。

身体の痛みはありがたい、って矢沢、昔から言ってきてるよね。

痛い、って事は、どこかのパーツがおかしい、

調べろって合図なんだ。

同様に、苦しさは、人間として何かが欠けて病気になってることだ。

それは天からの”調べろ”って合図だ。

 

・・・僕は守られている、と思った。

そしてサクセスと幸せは、別だ、ということがわかった。

初めて金だけじゃない、

パッピーじゃなきゃ意味がない、って思った。

 

そして、何が欲しいか自分に問うてみたら、

これから自分に必要なのは、固定観念を消す事だ、とわかった。

失敗しても失うものはないんだ。

何が怖い?

何を型にはめようと、してたんだろう。

アレンジも、ガチガチにキメなくていい、

そうしたら歌い方も、どうだ!矢沢だ!と、いうものから解放されて

肩の力を、ゆるめることが出来た。』

 

『固定観念を消す事』 それが永ちゃんの生き方ですから

まだまだ、変化していって、ほしいと思いま~す

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永ちゃんが、大宮まで鈍行で・・!?

2012年03月26日 19時00分19秒 | 矢沢語録

今日・・待望のメールが届きましたぁーー

 

矢沢永吉公式ファンクラブのYAZAWA CLUBです。
いつも矢沢永吉を応援いただき、誠にありがとうございます。
 
本日、重大発表がございましたので、YAZAWA CLUB会員の皆様へ
ご案内をさせていただきます。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
矢沢永吉デビュー40周年記念、大型スタジアムライヴ開催決定!
EIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE「BLUE SKY」
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
会場:日産スタジアム(横浜)
日程:9月1日(土)  ※雨天決行、荒天の場合は9月2日に順延
(開場・開演時間は後日ご案内いたします)
 
YAZAWA CLUB会員の皆様へは、会員優先席のご案内がございます。
 
お申込み期間:2012年4月9日(月)~2012年4月16日(月)
≪会員様により、受付開始時間が異なります≫ 
 

 

「横浜スタジアム」

しばらく遠出できなかった私なのですが・・

9月の横浜

今年は何とかして参加したいと思いま~す

 

 

私の選んだ矢沢語録

              1983年  「Club News vol 2」より・・

 

『武道館終わって、仙台に向かう朝、雨がきつくて

飛行機に荷物は積み込んでも、

飛行機が飛ばないかは、なかなか、はっきりしないわけ。

羽田でぐずぐずしては、いられないので、

新幹線にしようと、上野に向かったのはいいんだけど

急だったので、リレー号にも乗れずに、

大宮まで鈍行で立ちん坊。

世界的な外人ミュージシャンと一緒だよ。

お金出しても経験できない思い出になったね。

 

大宮に着いても暑いホームで1時間も新幹線を待ったけど

クレームひとつ無かったよ。

矢沢とフレンドリーシップを守るため

不可抗力とはいえ、誰も文句を言わないんだよ。

俺は幸せな男だと思ったね。嬉しかった。』

 

 

大宮まで鈍行で立ちん坊。。。

長年ツアーをやっていると

色々な事件が起きますね~

それにしても・・・

その鈍行列車に乗り合わせた人達は

さぞビックリしたでしょうね!

 

この時のアメリカン・バンドは7名くらい・・

そうとうに目立っていたでしょうし・・

よ~く、見ると「E・YAZAWA」もいるし

 

その時のライブ、衣装が飛行機の中なので

たまたま、ドラムのキース・ヌードセンさんの奥様が同行していて

たまたま、赤いパンツをはいていた

それを衣装に借りちゃって

キーボードの履いていた赤いバッシュを取り上げて

急きょ、ステージ衣装に、しちゃったそうです

ちなみに・・

バッシュ脱がされたキーボードの方は

裸足で、やっていたそうです

 

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矢沢・・・「浪花節では、やめたくない」

2012年03月18日 15時32分29秒 | 矢沢語録

しばらく暖かい日が続いていましたが

今日は雪景色に逆戻り。。

寒いです。。。

 

私の選んだ矢沢語録

              1998年 「Club news 75」より

 

『人間って「頑張る」っていうのは計算じゃない。

日々、本気で走っているって、ことなんだろうね。

そしたら、「俺ここまで来たの?!」って、なるよ。

それは計算して出来る事じゃないもんね。

 

「じゃ矢沢さん、いつまでやるんですか」って・・

わかんないね。

60まで歌ってるのか、70まで歌ってるのか・・。

そういうこと、決めるんじゃなくて、要は自分の気持ちのままに、

いい気分で立ててるときはステージやるよ。

自然にマイクおろすときは、おろすし。

 

昔から言ってるけど、浪花節では、やめたくない。

誰のためでもない。

自分のために、いい気分でいたい。

だけど身体も動く、声出る、ってときに、やめるワケにいかない。

ありえない。

人間なんて、汗流して

自分のパフォーマンスやってるから気分がいいんだよ。』

 

 

当時、永ちゃんは50歳くらいで・・

今、考えると若~い

ソロ・デビュー以来、初のライブハウス・ツアーの年ですね

現在の永ちゃん・・

60才は、とっくに過ぎてますが

ステージは今でもバリバリ

声もバッチリ

永ちゃんは、日常から摂生しているので

70歳は、もちろん

80歳のロックン・ローラーだって

もう・・

夢では、なくなっているような気がします

 

なにしろ・・永遠に引退しないで下さ~い

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非常時の食は・・・?!

2012年03月15日 20時08分07秒 | 日記

昨年の大震災以来・・毎日のように地震が発生

かなり不気味です

14日に、三陸沖で震度4・・

釧路や青森などで津波警報も出ました

その3時間後にも千葉県などで震度5強

たて続けに強い揺れ

もう・・日本列島は、どうにかなってしまったのでしょうか

被災地の方の恐怖は、もちろんですが

もう人事では有りません!

いつ何が起こるか全く分からない状況なので・・

「真剣に考えないと!」と、思いつつ

非常持ち出し袋の中身を点検補充している所です

 

で・・今回は「五目御飯」を購入してみました

お湯を入れて20分待つと食べられます

水でも60分で食べられるそうです

早速、試食してみましたが・・なかなか美味しい

乾パンやインスタント・ラーメンなどより腹持ちが良さそうだし

ご飯大好きの私としては、かなり満足感もありました

 

同時に買った「ビスコ缶」は5年保存です

味は乾パンよりクリームがサンドしてある分、

甘くて、カローリーも高そうですね

その他には・・

「魚肉ソーセージ」と「フルーツ缶」を買う予定です

 

今日の読売新聞夕刊に

「震災の食を伝える」という記事が載っていました

サバ缶と野菜で作った「サバ(サバイバル)汁」

味噌に砂糖を混ぜた「おたすけみそー」

オニギリに添えて喜ばれたそうです

辛い時にもユーモアを忘れないのが素晴らしいですね

実際に、被災時の食の体験を「仙台ひと・まち交流財団」で

「私はこうして凌いだ 食の知恵袋」という冊子にまとめたそうです。

体験者の知恵が、一番参考になるのでしょうね

 

食は何とか備蓄するとして・・

札幌の場合・・冬の寒さが恐怖です

冬場に停電しただけでも・・大変な事になりますから

「湯たんぽ」や「ホッカイロ」・・「カセットコンロ」も必要かも

あまり溜め込んでも仕方がないのですが

 

『備えあれば憂いなしですね

 

 

 

 

 

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大震災から1年・・・

2012年03月12日 21時55分47秒 | 日記

昨日は・・東日本大震災から1周年ということで

追悼式典などが有りました

TVでも1日中特番が流れていました・・。

3・11は絶対に忘れてはいけないと思いつつも

日常に流されている自分がいました・・

 

今日の朝刊

追悼式典での遺族代表の方、3名の、お話が載っていました。

 

一部抜粋なのですが・・

少しでも被災者の方々の気持ちを忘れないよう

ここに書いて、おきたいと思いました。

 

宮城県遺族代表

     奥田江利子さん(47)

 

『最愛の人を失ったというのに、

自分が生きているという苦しみ。

「生きることがつらい」と思う申し訳ない気持ち。

生きていることが何なのか、

生きていくことが何なのか、

考えることさえ、できない日々が続きました。

最愛の人達を思う気持ちが有る限り

私たちの悲しみが消える事は、ないでしょう。

遺族は、その悲しみを一生抱いて

生きていくしかありません。

だから、もっと強くなるしかありません。

涙を超えて強くなるしかありません。

今、私はこう思うようにしています。

「子供たちが望む母でいよう」

「これでいいだろうか」

「こんな時、両親はなんと言うだろう」

そう思うことで亡くした家族と「一緒に暮らしている」

そう感じていたいからです。

絶望の中に、さす光もありました。

息子は私たちに生きる意味を残しました。

忘れ形見の初孫が7月に生まれ、元気に育っています。

その孫の成長が生きる希望へと、つながっています。』

 

この方は・・

ご両親、23歳の息子さん、9歳の娘さんを亡くされたそうです

 

わずかな義援金以外、何も出来なかった私が

反対に、この方に勇気を頂いた!と思い・・・

涙が止まりませんでした

 

春色の花束を見て・・本物の春を待ちたいと思います

 

 

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「チャイナタウン」は山川啓介さんが間違えて・・

2012年03月10日 19時18分15秒 | 矢沢語録

先日・・

NHK・BS「SONGSプレミアム」で永ちゃん登場です

2009年放送の再編集だったのですが・・

永ちゃんと若者の座談会と、いうか・・

人生相談??

永ちゃんって、本当に優しいな~と、思います

ちゃんと自分の弱点を、さらけ出しているから

それを聴いた人は、心から感動してしまうのだと思います

 

そして当時のアルバム「ROCK’N’ROLL」から

私の大好きな「小悪魔ハニービー」

曲名は・・「ん??」って、感じですけど・・

「Loser」も、渋いです

一番良かったのは・・やっぱり「チャイナタウン」

 

そこで・・

私の選んだ矢沢語録

       1998年「Club News 73」より・・

 

『「チャイナタウン」のエピソードひとつ言おうか。

実は、ある曲があったのね。

「今も忘れちゃいないさ チャイナ・ドレス気取った 可愛い あの娘を」

って、曲あるじゃん(バイ・バイ・マイ・ラブ)。

あれを「チャイナタウン」に、する気だったの僕は。

それで、山川啓介さんに、

あの、チャイナタウンの恋の感じを・・・って、ことを言ってたら

山川啓介さんが間違えて、

こっちの曲を「チャイナタウン」だと思って詞をつけたの。

そしたら良かったわけよ。』

 

そうですかぁ。。。

山川啓介さん、間違えちゃったのですね。。。

 こんなにも詞と曲がピッタリと合っていて

「これぞ名曲」って、曲が。。。

 

本当に間違えたのだったら・・

コレは奇跡ですね

でも・・意外と

山川さんが曲の雰囲気考えて、

あえて、こちらの曲を選んだのかも・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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イヤー・ブックが届きました♪

2012年03月04日 20時17分25秒 | 矢沢永吉

3日お雛祭りの日にYAZAWA CLUBから

「2011 イヤー・ブック」が届きました

第一印象は・・・薄~い

だんだん薄くなるのは・・どうして!?

もっと永ちゃんの写真を沢山掲載してほしかった

でも・・嬉しいニュースも

年会費が大幅にダウン月額差額を返金するとか

わぁ~  

嬉しいけど

考えただけでも面倒そうですね

それと・・「マイページ」も誕生とのこと

これも楽しみ~~

 

このイヤー・ブックで、気になった記事がありました

ツアーで、永ちゃんが演出のアイデアで

「照明をバンバン点けるよりも、これからは映像の時代だ」と

言ったそうで・・

今年から、札幌のような小さな会場でも

全面スクリーンが登場したわけですね

 

確かに・・昨年くらいから

グラミーー賞授賞式でも映像とステージが一体となった

迫力のパフォーマンスを見せていました

 

 

それから、もうひとつ・・

ツアー中の体調管理の事です

永ちゃんが、風邪をひかないように

ホテルの温風ヒーターは止めて、オイルヒーターまで持ち込み

加湿器もバンバンつけていたなんて

 

武道館初日のコメントでは

『俺ちょっとヤバイ・・。

もう何が、やばいかって言ったらね、昨日寝てないのよ(笑)

と、いうのはね、

こんな歳になっても「明日が遠足だ!」って感じになんじゃない?

自分に散々言い聞かせて・・

「お前、明日声が出ないから寝ろっ」つったら、

目がビカーっと冴えてんの!(笑)』

 

笑って言っているようですが・・

寝不足が即、声に響いてくるなんて

完璧なボーカルを維持するのは想像以上に大変なのですね

 

永ちゃんも若い時は徹夜も全然平気で

お酒も飲みまくり・・

寝不足なんて全く気にならなかったのに

今では私達と同じ

寝不足が強敵って事ですね・・

 

大切な喉を守る為に、ここまで気をつかっている永ちゃんなのです

 

永ちゃんの、ステージに賭ける真摯な気持が

伝わって来る、お話しでした

 

 

 

 

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