ドタ日記

ドタの毎日の様子をエッセイで書き綴ります

明日から横浜

2007-06-28 23:36:57 | Weblog
明日早朝、横浜に行きます。
今日は朝からずっと、料理。
私がいない間に食べられるよう、何品目も作ったのですよ。
鯵の南蛮漬けは自分で言うのもなんですが超おいしかった!


考えてみれば私の人生、二つの地域をいつも行ったり来たりの人生です。
学生時代は京都と岐阜の往復。
結婚しても大阪と岐阜の往復
そして横浜と岐阜の往復。
いつもせわしく動き回る人生。
それがドタママの人生そのもの。

最近再び、書くことに目覚めた?ヒロ君
ヒロ君の最近の様子、ヒロ日記で書いてあります。ヒロ日記

自転車で岐阜の街をまわるドタママ

2007-06-27 23:27:26 | Weblog
岐阜のよい所は、坂が少なく岐阜市の街をまわる時は自転車が便利なのです。
横浜ではもっぱらバイクを愛用していましたが岐阜ではバイクはほとんど走っていません。
ヒロ君が授産所に自転車で通っているのでもう一台、自転車を買いました。
ガソリン代節約のため、運動不足解消のため、岐阜の街を自転車で走りまわろうと思います。
田んぼのあぜみちを自転車で走っていると、初夏のさわやかな風が頬に気持ちよく感じます。


あわただしい朝の生活が戻ってきました

2007-06-26 00:00:49 | Weblog
先週の金曜日からヒロ君も元気に自転車で福祉授産所に通いだしました。
久しぶりに私もあわただしい朝を送ることになりました。
やはり朝は時間を気にしながら朝食の準備をしヒロ君に「早ようしやーよ。」と
言いながら私もせわしく動き回る朝の風景が私には向いています。

小学校からずっっと送り出すときには「忘れ物ないかね。ズボンからシャツ出てない?」と言い続けてきましたが、25歳になったヒロ君にも、つい同じ言葉が出てしまいます。
母親はわが子が大人になっても子供だ。という気持ちがだんだんわかる年齢になってきました。

岐阜の生活も徐々に慣れてきて、朝5時ととんでもない早い起床から6時30分と本来の私の起床時間に戻りました。

今週末は横浜。
中高年の街岐阜ですっかり精神年齢64歳になってしまったドタママ。
都会の刺激をたくさん吸収して
少しは若々しいドタママに戻らなくてはいけませんね。

姑の三回忌を終える

2007-06-25 00:42:20 | Weblog
愛知の刈谷から弟家族、そして親戚一同が
集まって姑の三回忌の法要を行いました、
一時間余の読経を終え、長良川の川沿いにあるルシノワかわで
で会食をしました。
あいにくの雨で川沿いを散歩出来ませんでしたが、洒落たレストランで話も弾みました、姑の三回忌を無事終えることが出来、ホットしています。
亡き舅、姑に見守られて生かされている
ドタママ家族、
まだまだ現世で
やりたいことがたくさんあるドタママ。
仏壇の姑の遺影の前で「私たち家族が健康で元気に暮らせますように」と何度も手を合わせて拝みました。



素敵な岐阜での出会い

2007-06-23 23:24:37 | Weblog
今日も新しい生徒さんが入会してくれました。
高校生のNさんは膠原病を患ってますが、元気いっぱい、明るい女の子です。
私は膠原病の病気をよく知らなかったのですが、直射日光にあたるといけないそうです。
それでカーテンを閉めてレッスンしました。
彼女は歌手になることが夢だそうです。
そういう女の子、大歓迎のドタママ。
ピアノを弾きながら自分の作った歌が歌えるようにしようねと目標を決めました。
やる気満々のNさん。
岐阜で月に3回のレッスンに設定しているのですが月に4回受けたいとすごく前向きなのです。
とりあえず、思ったことを詩に書いてもらうことにしました。
いい歌がたくさんできる予感がします。
岐阜の生活も少しづつですが起動に乗り出しました。
それぞれが個性を持った、生徒さんとの出会い、
ドタママ、こんな出会いが大好きなんです。

和君のレッスンをしているとき、おばあちゃんの話をしていたら、なんと、窓の外にアゲハチョウがやってきました。
和君がそのときのことを書いてくれました。和君の日記


今日は久しぶりにヒロ君がヒロ日記を書きました。ヒロ日記

想う

2007-06-21 22:08:47 | Weblog
ヒロ君の授産施設、入所手続き、そして今日入所、
レッスンの生徒さんも少しづつ増えてきて、あわただしい毎日を過ごしています。
明日は姑の命日なのでお花で遺影を飾りました。
相変わらず毎朝、アゲハチョウは庭にやって来ます。
それも必ず、姑のことを想っていると、私のところひらひらと舞い降りてくるのです。
本当に不思議です。
今日も窓を開けて「お母さん!」とささやいたらどこからともなく、やってきました。
「お母さんお母さん」と何度もささやくと私の前までやってきて、お互いに
挨拶をする。そんな風景になるのです。
アゲハチョウと私の心が通じ合った気がするのです。

私には想う人がたくさんいます。
遠く離れていても、いつも想っている人がいます。?(それはあなたかもしれない?)
想う。それは愛する恋人。好きだったあの人を想うこともあるだろうし、
離れている子供を想うこともあります。
体調がすぐれない友を想うこともあります。
ひそかに心で好きな人を想っていることもあります。

そして亡くなった人を想う気持ちもあります。
想いはお互いに通じるものだと信じています。
現世ではお互いに想う気持ちが偶然一緒になって、電話をして意志を確認できます。
でも、亡くなった人とは意志を確認できない分、魂での結びつきがすごく強くなっている気がします。
私の姑、舅に対する想いが強いので、きっと毎日、私たちを案じて、蝶々に姿を変えてやってきてくれるのだと思います。
私はきっと、姑が私を守ってくれている。そんな感じがします、
明日は姑の命日。そして日曜は姑の三回忌、
「千の風になって」を歌って、やさしかった姑を偲びたいと思います。


岐阜加納東公民館講座を聞きにいく

2007-06-16 23:10:45 | Weblog
土曜の夜、夕涼みをかねて、散歩がてら加納東公民館講座で加納の歴史の講座をリュウパパとヒロ君と三人で
聞きに行ってきました。
東公民館はドタママが通っていた加納小学校の敷地内にあります、創立130年以上経っている歴史ある加納小学校です。
昔のままに残ってる赤い門を何十年ぶりにくぐりました。
私の眼に一瞬ですが40年前の私。つまりドタ少女が古い木造校舎から出てくるのがフラッシュバックのように現れて来ました。
ドタ少女はドタママに「お帰り。随分長い間、岐阜加納を離れていたね、これからはずっと加納にいてね」
とささやいた気がしたのです。
ふとわれにかえって周りを見渡したら木造校舎はなく鉄筋のりっぱな校舎となっていました。
小学校敷地内の東公民館に入ると中高年の方ばかりです。
みんな向学心のある人ばかりなのかな?
お題は「中山道加納宿を駆け抜けた噂あれこれ」
岐阜城は有名ですが加納城もしっかり存在してたのですよ。
しかも加納城は中山道に隣接していたので江戸の情報がいち早く入ってきたそうです。
歴史を勉強するのはドタママもリュウパパも好きなので一生懸命聞いていましたが、
固いまじめな講座で、途中で睡魔に襲われました。
私だったらきっと講談風に話して笑いを誘うのにと思いながら、聞いていました。
加納で生まれ加納で育ったドタママとリュウパパは帰り道も昔の話で花が咲きました、
その話をだまって聞いているヒロ君。
一生懸命、岐阜加納に慣れようとしているヒロ君。
「岐阜加納が大好き、岐阜加納は楽しい町」と言える日が来るようドタママは祈っていますよ。

岐阜の福祉の実態

2007-06-14 23:50:11 | Weblog
岐阜に引っ越しして障害者の対応が横浜とあまりにも違うので戸惑っています。
授産施設に入所申し込みするのに、ヒロ君リュウパパ、ドタママの所得証明書に加えて貯金通帳も提示しなくてはいけないのです、
残高が1000万を超えていないか確認するみたいらしいのですが
普通預金に1000万なんて入っているわけないですよね、
ドタママ家族の限りなく0円に近い貯金通帳を提示するのはプライバシー侵害ではないかと憤慨しました。

交通機関も横浜ではヒロ君は無料でバスが大好きなヒロ君は乗り放題でしたが岐阜では無料ではありません。
半額なのです。
その変わり岐阜は医療費は無料という恩典があります。思わずヒロ君に「歯医者さんで検診に行ってらっしゃい」と言う言葉が出ました、

アパートの住民の人で軽い知的障害者の女性とその母親が住んでいます。家賃を滞納しています。思いきって「障害年金もらっている?」って聞いたら「B2だからもらえない」と言う答えが返ってきました、
横浜では当然B2の子でも障害年金をもらっていたので「B2でも状態が悪いと判定されたらもらえるよ」とその人のお母さんを連れて市役所の福祉課に聞いてみましたが「B2で一般就労していたらまず、無理です、」と言われました。
県によって障害者の対応があまりにも違うので驚いています。
ヒロ君の就労のことだけでも大変なのに、アパートの住民の人も障害年金をもらえないか?と思案しているドタママです、
自立支援法にしても、障害者年金の地域によっての違いを知るにつれ、障害者にとって
生きにくい世の中だと悲しくなりました。

なつかしい旧友との再会

2007-06-12 20:49:59 | Weblog
大学時代の友人と何十年ぶりかに再会しました。
岐阜グランドホテルのロビーで待ち合わせをしました。
私の後方から「ドタ」と声かけられ、振り向くと、学生時代の時と変わらない愛くるしいトモコさんの笑顔が目に入ってきました。
私の歩き方ですぐにドタとわかったそうです、
トモコさんは生粋の大阪のこいさんだったのにまさか、岐阜の住民になっているとは意外な感じでした。
ご主人が岐阜大学教授で、岐阜での生活もかれこれ20年だそうです。
長良川を見下ろしながら、それぞれの歩んで生きてきた道のりを話していたらあっと
いう間に時間がたってしまいました。
お姑さんの介護。
もうすぐお孫さんの誕生、と忙しいトモコさんですが、一緒に岐阜で音楽活動しよう!と誘いました。
私よりずっと歌のうまかったトモコさん。
再び岐阜の地でソプラノ二重唱が出来たら素敵だなあって思います、
まず、その前に岐阜での音楽活動の場を開拓していかなくてはなりません、
まだまだ横浜の音楽仲間が恋しくて仕方がない私。
新しい土地で仕事も余暇も開拓していくのはむつかしいですね。


蝶々さんのワルツ

2007-06-11 20:39:02 | Weblog
2羽の蝶々さん、写しましたが小さくてわからないかな?


今朝はたわわに生った枇杷の実を摘みました。
リュウパパと一緒に摘んでいたら、二羽のアゲハチョウが枇杷の木にぐるっと旋回して私とリュウパパのところにやってきました。
思わず私は「お母さん、でしょ?お父さんでしょ?」と叫んでいました。
昨年、姑の遺骨を納骨したときから、このアゲハチョウはいつも庭にやってくるのです。いつもアベックで仲良くです。
納骨する朝、みかんの木にやってきました。
そのときも私の周りで旋回するのです。
お墓で納骨するときも、アゲハチョウがお墓の上で旋回したのです。
そのとき以来、庭で2羽のアゲハチョウは仲良くやって来ます。
私たちが庭で作業をしていると必ずやってくるのです。
枇杷の木で、羽をひらひらさせて、まるで「お母さんとお父さんはいつもあなたたちを見守っているよ」とささやいているように、私とリュウパパの問いかけに答えてくるかのように私の近くに飛んでくるのです。
2羽の蝶々がワルツを踊っているかのようです。
ひらひら飛んでいる蝶々と一緒に思わずドタママは3拍子のワルツの曲を口ずさんでいました。
舅と姑のアベックアベック蝶々変奏曲ワルツを作曲してみようと
早速、ピアノで弾いてみました。

なんだか庭掃除が楽しみになりましたよ。

摘んだ枇杷は、ご近所さんにおすそ分け。
ジャムにもしてみました。
まだ食べきれない枇杷は歌姫さんに教えてもらったように、フルーツポンチにしてみます。