ドタ日記

ドタの毎日の様子をエッセイで書き綴ります

演奏会の演奏曲目

2007-03-29 22:57:55 | Weblog

著作権協会に登録申請したので、演奏曲目、堂々と載せられます。

       第一部
     ソプラノ独唱 増谷澄香
     ピアノ伴奏  松井玲央  
1.スミレ     Scarlatti
2. 私の偶像よ   Bellini
3.棄てられて    Bellini
4.約束       Rossini
5.私は家を作りたい Donizetti
6.オペラ ラボエームより
  私の名はミミ   Puccini
7.オペラ 蝶々夫人より
  かわいい坊や   PUccini

第2部
1. 愛の挨拶    エルガー作曲
       フルート玉井伸一
       歌   増谷澄香
       ピアノ 村本純子
2. マイメモリー(冬のソナタより)パク チョンウォン作曲
       フルート玉井伸一
       ピアノ 村本純子
 3. 花のワルツ(フルート二重奏)  ケーラー作曲
        フルート玉井伸一
        フルート立松菜穂子
        ピアノ 村本純子

 4.花の街   団伊玖磨作曲
 5.ロマンス スペイン民謡
 6.ラ。スパニョラ キアラ 作曲
 7.日本昔話  北原じゅん作曲
 8.人間っていいな 小林亜星作曲

 9.島唄    宮沢和史作曲
       以上ギターアンサンブル ドルチェ
         歌  増谷澄香
        ピアノ大木明美
  一部は私がこつこつと勉強してきたイタリアの歌曲 オペラでまじめ?に歌い ます。
  2部はドタママとその音楽仲間の楽しいお祭り的要素が盛りだくさんです。

  玉井君と立松さんのフルート2重奏は聞き応えがあります。
  ラスパニョではドタママの踊りが見られるかも?
  島唄は最後、ドタママが盛り上げますよ!

  最後は「君に会えて」のコーラスで締めくくります。

  劇的なドラマがありそうです。

最後のレッスン

2007-03-28 21:19:27 | Weblog
 15年間通い続けた歌の教室とお別れしてきました。

 通いなれた教室も今日で最後となるとちょっぴり感傷的になるものですが
 大舞台を控えているせいか、涙は出ませんでした。

 思えば36歳のとき、
 イタリア留学から帰国したばかりの芳賀先生に本場のベルカントの発声を
 一から教えていただき、気がついたらどっぷりイタリアオペラのとりこになって  いました。
 若いころは(41歳)、今より高い声も出ましたで、ルチアの狂乱の場なども
 歌いました。

 20代のころは多少お酒を飲んで無茶しても平気で高い声を張り上げて歌っていました。

今は二日酔いでもしようものなら、てきめんに声は出ません。
その意味で、50過ぎた今のほうがしっかり体を使って、正当な発声で歌っているような気がします。
歌はどちらかというとスポーツ選手と似たところがあるのです。
体を柔軟にして、中高年の私たちが歌い続けていくには筋肉が衰えないよう
運動も必要不可欠なものになっていきます。
体を鍛えて85歳まで歌い続けたいと思っています。
歌はドタママにとって人生そのもの。
がんばって歌い続けていきます。
ラヴィアンさん。一緒に頑張っていきましょうね。
芳賀師匠の下で、、、、、

素敵な贈り物

2007-03-26 00:30:36 | Weblog
昨日、素敵な贈り物が届きました。
送り主は大学時代の友人、ひろこさん。
私の演奏会に行けないからとその代わりにと私の演奏会のWelcome カードを作って送ってくださいました。
カリグラフィーとパーチメントクラフトというものだそうです。
ひろこさんの心のこもった贈り物に思わず歓声をあげてしまいました。

友だちはいくつになってもいいもんですね。

演奏会当日はホールのホワイエ(ロビー)に飾ろうと思います。
一足早く、譜面立てに飾ってみました。

かわいい子の来訪

2007-03-20 23:13:04 | Weblog
昨年までピアノを習っていたAちゃんが遊びに来てくれました。
「演奏会で何かお手伝いをしたい」と言ってくれるので、受付をしてもらうことにしました。
4月から女子大生、まばゆいほどにきれいになっていました。
ともに4月から女子大生になるTさんもAちゃんも肌が耀いている、
目が未来に向けてきらきら耀いています。
ドタママがどんなにサプリメント飲みまくっても、美顔機でお手入れしても
彼女たちの肌にはとうていなれません。
若いうちはそれなりに悩みがあるのだろうけど、若い魅力は年を経た今だからその良さがわかるのかもしれません。

受付は18歳のAちゃんとTさんそしてドタママの長男ヒロ君に次男吉之助が聞きに来てくださる方々のお出迎えをします。

ドタママの歌はともかく、若いイケメンコンビ?ピアノのレオ様、フルートのタマ様の若さあふれる演奏も楽しんでいただけると思います。
ドタママさよならコンサートは実は「おばさんと若い演奏家のコラボ」と言えるのかもしれません。
内容を演出しているドタママが一番楽しみにしております。

演奏会の打ち合わせ

2007-03-19 23:44:20 | Weblog
いよいよ演奏会まで2週間をきり、当日の事務的な打ち合わせをする段階になっってきました。
午前中はアンサンブルドルチェの仲間と曲の練習をした後、当日の
演奏会終わった後の歓談会の準備を話し合いました。
演奏会が終わった後、同じ岩間市民プラザの会議室を借りて、コーヒーとクッキーで演奏会後の心のふれあいの時間を1時間ぐらい持つ予定です。
コーヒーもお茶の準備もお菓子もすべて当日動けない私に代わって、アンサンブルドルチェの仲間が動いてくれます。
本当にありがたいです。
午後からは岩間市民プラザで当日のホールの責任者の方々と打ち合わせをしました。
ここのホールは私が第1回ふれあいコンサートをしたときから、ずっと
16年、使用してきたホールです、
ここのホールはたぶん、誰よりも詳しいかもしれません。
もう少し、大きいホールでやりたかったのですが、ここの地域で草の根的なコンサートを繰り広げてきた私には使い慣れた愛着のある岩間市民プラザで締めくくるのが私のコンサートらしいかもしれません。

このところ、外出を控えているので、ストレスがたまっています。
ああ、、、早くコンサート終わって遊びたいなあ、、
鎌倉行きたいなあ、伊豆も行きたいなあ、箱根もいいなあ、、、
思いっきり仲間と飲んで思い出に浸って、思いっきり泣いてみたいなあ、、、
30代の頃のドタママ、あの頃ドタママは若かったってね。

引越しの準備。全くしていません。

最後の調律

2007-03-17 21:54:52 | Weblog
私の一番の宝物はグランドピアノ。
12年程前、調律師のハシモトさんから買ったピアノです。
当時、私の持っていたピアノは小学校の時、買ってもらったアプライトピアノ。
35年、私と苦楽をともに歩んできたピアノでしたが、音が出なくなったり鍵盤が上がったままとトラブル続きでした。
そんなピアノを一生懸命調律してくれたのがまだ調律師になりたてだった当時イケメン(今も充分イケメンですが)ハシモトさん。
調律師としての仕事のひたむきさに、ハシモトさんからグランドピアノを買うことにしたのです。
それからずっと毎年二回調律して下さっています、
ピアノって生き物なんですね。
買った当初は音色は美しかったのですがダイナミックな音は出ませんでした。
12年の歳月を経てピアノもだいぶ大人になりました。
人でいったら成人式を迎えた音でしょうか?ダイナミックな大人の音が響くようになりました、
このピアノを調律するのも最後だということでいつもより念入りにメンテナンスして下さいました。
私のピアノを息子か娘のように大事に調律して下さったハシモトさん、
私のピアノに万感の思いがあったようです。来月末、慣れ親しんだ生徒たち。慣れ親しんだピアニストの方々とお別れして岐阜へ引っ越します。


演奏会の下書き原稿を書いていました。

2007-03-14 22:22:36 | Weblog
演奏会当日に配る、プロフィールと「歌と私と人生」みたいな紹介文の原稿を書いていました。
書きながら何かいろいろこみ上げるものがあり、涙しながら書いていました。
長文ですが、一足早く、載せてみます。
      
大学を卒業して31年の月日が流れ、当時、何気なく選んだテーマが「知恵遅れの子 のための音楽指導の卒業論文。」
まさか6年後にわが子が障害児を授かるとは露知らず、
卒業演奏会ではオペラ運命の力より「神よ 平和を与えたまえ」を独唱しました。
オペラのアリアを歌うのは卒業演奏会が最初で最後だと自分で確信しておりました。
大学を卒業して私は音楽教室で幼児を教えて、平凡に結婚して、平凡に生きていくつもりでした。
それが一変、長男が自閉症の障がいがあると診断されたときから私の人生はがらりと変わったのです。
そのとき、私の脳裏に真っ先によぎったのは卒業論文で選んだ障がい児のテーマであります。
私がいい加減な、安易な気持ちで選んだテーマだから、「自分の子と共に勉強していきなさい。」と天から授かったものだ。そう受け止めたのです。
それからは当時住んでいた大阪の地で、発達訓練のために京都、大阪、奔走した毎日でした。
長男が小学校入学と同時に夫の転勤で横浜の地に引っ越してまいりました。
初めての関東の地、家族以外、知り合いはいません、(親戚の叔母は町田にいましたが)
そんな中、長男が小学校になじめるよう、母親である私が自ら学校の中に入っていろいろ活動してきました。
PTA役員、市民図書読み聞かせの委員。そうこうしているうちにPTAコーラスを忙しい先生に代わって指導することになりました。
コーラス指導するなら、自らがもう一度、声楽を学ばないといけない、そう確信して芳賀美穂先生のボイトレを受けることになりました。
当時、イタリアから帰国したばかりの先生の本場のベルカントの発声を一から教えていただき、私は歌う楽しさを知ったのです。
36歳のときです。
それから私にとっては歌うことは生活の一部、歌は私の体、心を解きほぐしてくれる、
なくてはならないものになっていったのです。
合唱を通して徐々に音楽を通して仲間が増えてきました。
私の演奏活動は保土ヶ谷の地で草の根的な活動でした。
老人ホームではお年寄りとともに、昭和の懐かしい歌をたくさん歌ってきました。
障がい者施設では一緒に音楽を楽しんでセッションしてきました。
障がい児を授かったとき、目の前が真っ暗になり「、私はこれから何もかも犠牲にして
この子と向かい合って生きていかなくてはならない」と思いました・
しかし、25年経て私は失うどころか、すばらしい人生の経験を積み、いい仲間に
すばらしい先生方に出会い、得ることがたくさんあった。そう断言できるのです。
そして大学を卒業して31年。
53歳になった私が単独のコンサートを開催し、歌うことは当時の私では考えられないことなのです。
私が経験してきたすべてのことをこれからは、多くの方々に還元していきたい。
私の魂の歌をもっともっと勉強してこれからも歌い続けて生きたい、
そう念じてやみません。
私を支えてくださった皆様方に感謝をこめて、歌います。


ヒロ日記更新しました今回は松山編

2007-03-13 00:13:39 | Weblog
ヒロ君の旅日記も親である私も楽しみになりました。
彼は一ヶ月に一回、自分の給料で旅を楽しんでいます。
旅に行きだした一年半前はこのブログでも書きましたが、警察に捜索願を出すほど
心配しましたが今は、もう彼の行動パターンを把握しましたのであまり心配しません。行方不明騒動
それにしてもヒロ君の行動力、すごいですね。
親ながら感心してしまいます。
バイタリティのあるのはドタママ譲り?
旅日記は自分で帰ってきたらすぐノートにぎっしり書いています。
フーテン、ヒロの旅日記、今回は四国松山編です。お楽しみに。ヒロ日記

ドレス決まりました

2007-03-11 21:36:52 | Weblog
今日は冷たい雨の降る肌寒い一日でしたね。来週からますます忙しくなるドタママ。
今日しかない、と意を決して、次男キチノスケが運転して連れて行ってくれるというので二俣川のドレス屋さんミカサに行って来ました、
お店に入って三点、気に入ったドレスが目に入ってきました。
濃い青でスパンコールが胸元に輝くドレス、薄紫のドレスは上品な落ち着いた感じのドレス、
そして赤いAラインのシルエットのきれいなドレス、
濃紺のドレスは私には色が強すぎて断念
薄紫のドレスを試着してみました、
優しい上品な落ち着いた感じで、よく似合っていたと思いました、ドレス選びが気になったのでしょう。
キチノスケが来て私の試着したドレス姿を見て「お母さんは赤の方がいい」
キチノスケのその一言で薄紫のドレスも断念して赤のドレスを試着しました。
赤でも真っ赤でなく落ち着いた深味のある赤です、
赤のドレスは顔うつりがちょうどよくて
試着してすぐ決めました、
一緒に見に来てくれたマリ子さんも店員さんもそしてキチノスケも赤のドレスがいいということで私の演奏会のドレスもようやく決まりました、
ノースリーブでたるんだ腕は隠したいので白いボレロも一緒に購入しました。
小柄なドタママですので丈を詰めてもらいますので来週には仕上がる予定です。
息子の一言って大きいですね。


さわやかな土曜日

2007-03-10 19:52:33 | Weblog
朝はフルートの玉井君と立松さんとピアノの村本さんの合わせを私のマンションでしました。
今日は私の歌合わせは「愛の挨拶」のみ、
後は素敵なフルートの二重奏に耳を傾けていました。
うーん、昨日の忙しさが嘘のように、気持ちがゆったり出来ます。
フルートの音色ってこんなに心地よいものかって再認識しました。
私の雑多なマンションの狭い一室で紅茶を飲みながらとっても素敵なライブに行った気がしました。
演奏会、私の歌よりフルート演奏はなかなか聞き応えがありますよ。
フルート演奏ですっかり元気を取り戻した私は午後は東京の新橋でお見合いに?行ってきました。
えっツ?ドタママがお見合い?
違います、知り合いの女性の付き添いで行ったのです、
自分の見合いでないのになぜか、気合が入ってしまいます。
昔、何回もお見合いしたときのことを思い出してしまいます。
今日はしゃべり過ぎない、目立たない、と自分自身に言い聞かせながら
一応、品のよいおばさまを演じてきました。
ご縁があったらいいのに、、、と願うドタママでした。
町田の叔母(私の父の妹)と一緒に写真を撮ってもらいました。