ドタ日記

ドタの毎日の様子をエッセイで書き綴ります

竹野内 豊出演「あの空を覚えている」の映画を観てきました

2008-04-29 23:01:49 | 大好きな俳優竹野内豊
昨日は(4月28日)は10年前からずっとファンである竹野内豊6年ぶりの映画「あの空を覚えている」を岐阜のモレラまで行って観てきました。あの空をおぼえている
豊様にスクリーンで会えると思うと、ドタママは朝からウキウキです。
まるで6年ぶりに恋人に会うみたいな気分のドタママ。
そんな私も気持を察してか?普段一緒に行動したことのない夫が映画についてきたのです。
何と私とリュウパパが一緒に映画に行くのは結婚以来初めて!
さかのぼること29年前にサタデイナイトフィーバーを婚約時代に観て以来のこと。
これって、竹野内豊6年ぶりの映画出演よりサプライズな出来事ですね。
賞味期限をとっくに切れたリュウパパを従えて、上映時間より2時間も前に着きました。
早く着いて、いい場所を確保しようという魂胆でしたが、私たちが一番乗り。
一番観やすい場所に指定席を取りました。
モレラのシネマはカップルで行くとどちらかが50歳以上なら一人1800円のチケットが二人で2千円で見られるのでお得です。
いよいよ上映時間10分前になり、いそいで、中に入りましたが、意外にも観に来る人は中高年のカップルばかり。
豊様のファン層は私を含めておばさんが多いのでしょうか?


この映画は岐阜でロケされました。
映像から見慣れた景色も出てきました。
平和な家族にふってわいたような子供の事故死。
悲しい悲劇を重く重くならず、生前の兄弟、家族の様子がタイムスリップされ、
亡くなっても家族はずっとそばに一緒にいるよ。というメッセージが伝わってきました。
兄が亡くなった妹に毎日書き続けた手紙を豊パパが発見して読む場面では本当に
心がジーンと伝わってきました。

派手さはない映画でしたが、家族の気持がばらばらな昨今、もう一度、家族の心の交流。家族の大切さ。本当の幸せって何だろう?と私たちに問いかけてくれた映画でした。
29年ぶりにリュウパパと家族愛、夫婦愛の映画が観られて本当によかった。
帰宅したら横浜の吉之助から夜に岐阜に着くとのメール。
あわてて、ご馳走をつくる準備をしました。この日は偶然にもドタママ家族は家族愛をしっかり感じた一日でした。

※ 映画の感想  子役の男の子の演技がすばらしかった!

子供役の子が主役な感じで、竹野内ファンのドタママから見ると、豊様の魅力を堪能することは消化不良な感じでした。
髪型が真ん中で分けた無造作なヘアスタイル。豊ファンにとってはいただけなかったなあ、、、

個人的には今までの豊様の作品では「流転の王妃・最後の皇弟」と緒方拳と共演した「花火」が好きです。
次回は豊様の魅力満載の映画を観たいなあ、、、竹野内豊様が命のドタママの感想でした。


ドタママ誕生日

2008-04-22 20:39:17 | Weblog
今日はドタママ55歳の記念すべき誕生日です。
もう、あえて年を隠しません(笑)
55は何かと縁起 のいい数字ですね。
王選手が昔、打ったホームランの数は55号
行け行け!go!go!
コント55号??? 君たち男の子ゴーゴー?(古すぎる?)
今年は55という数字にふさわしいように、ますますアクティブに活動しようと思います。
今年は10月5日日曜日に未来会館で岐阜で初めてのコンサートを企画しています。
横浜で8回ふれあいコンサートを企画しましたが岐阜での第1回ふれあいコンサート、実現に向けて今日の誕生日から動き出そうと思っています。
障がいのある人も普通人(健常者をあえて私はそう呼んでいます)それぞれの個性を発表する演奏会。それがドタママの趣旨とする演奏会です。
第一部はサウンドオブミュージック中心に岐阜で出会った音楽の仲間の方の演奏。コーラス中心です。
第2部は、、、今、いろいろ企画を考えています。
もしかしたら凄いサプライズな演出が 実現できるかもしれません。
この豆ダンプカーおばさん。暴走しないように、又、パンクしないように,どうか
この一年、今まで以上に見守っていってくださいね。

ブログをつけ始めて何と4回目の誕生日です。2005年の誕生日
2006年の誕生日
2007年の誕生日
昨年、アケリンさんとやよいさんに頂いた、かわいいピンクの猫ちゃんと一緒に福岡の友人が誕生祝に贈ってくれたワインとそしてドタママ手作りのニンジンケーキで誕生祝いをしました。
それぞれの誕生日。私にとってはいい思い出です。ブログに残しておいてよかったと思います。




愛の挨拶(花に学ぶ)

2008-04-19 22:44:56 | Weblog
春になって私の朝の日課は庭の花々に愛の挨拶をすることです。
「おはよう!今朝も元気かな?嫌な虫はついていないかな?」とささやいて、じっと花を見つめるだけで、花はしっかり成長してくれる気がします。
横浜にいた頃の私は庭仕事が大嫌いでした。
一階のマンションの庭の草取りに悩まされ、きれいな花を植える心の余裕はまったくありませんでした。
花見はよそのお宅のきれいなガーデニングをもっぱら拝見しては心を和ませていました。
それが、今、なぜにドタママは花々と仲良しになったのでしょう?
岐阜に引越しして一年、
引越しした当初は広い庭の草取りに追われ、ぶつぶつ文句を言っていました。
しかし、花々は私がたいした世話をしなくても時期が来たら必ず可愛い花の姿を見せてくれるのです。
当たり前のようだけど不思議です。
冬の寒い時期も可憐な水仙が凛とした姿を見せてくれました・
水仙の花は3月になったら水仙畑と言われるほど数を増しました。

2月になったらピンクの梅も突然咲き始めました。
近所の人も「こんなに立派に梅がさいたことは始めてですよ」
と話してくれました。(ドタママのピアノと歌で咲き出したと勝手に思い込んでいます。ドタママはは花咲きおばさん?)
梅と水仙の花々に触発され、花屋の店先に並んだかわいい花々を買ってきては庭に植えています。
あれだけきらいだった草取りも毎日お花と挨拶していると抜くのも楽しいものです。
ただ、雑草と花が咲く草と区別がつかないドタママは間違って花の咲く草まで抜いてしまったことも度々あります。
これって子供の教育と同じですね。
子供の感性を大人の尺度で摘み取ってしまっていることってありますよね。
それと、、、
何でも早く出来たほうがいいという子供の早期教育も?・?間違っていると思うんです。

人の道も花の道も同じだなあって思いませんか?
花は時期が来たら必ず咲きます。
人もそれぞれの花が咲く時期が違うんです。
それでも長く咲き続けるには愛の挨拶。優しい言葉かけが必要なのでしょうね。

ドタママ庭園は何が咲き出すかわからないサプライズ庭園。
真っ赤な木瓜の花は姑が大好きだった花。木瓜の花が咲き終わったらバトンタッチするかのように
菖蒲の花や白いこでまりの花が咲き始めました。
最近、又、咲いてみないとわからない不明な花がつぼみをつけてきました。
手間のかからない花々のほかに、今年は薔薇に挑戦することにしました。
きれいな人には虫がつくと言われますが、きれいな薔薇には虫がつきやすいそうです。
薔薇の苗を3本。そしてミニ薔薇2本。
ドタママの愛だけで育つでしょうか?

雑草はきらいだったけれど、きれいに整備された庭園より、雑草と共存している
自然な庭園がドタママは好きです。
薔薇がお仲間に加わって、これからどんなドタママ庭園になるか、、、
私自身もわかりません。
エルガーの愛の挨拶を歌いながら、明日も花にしっかり愛の挨拶をするドタママです。

今年最後のお花見 (寺尾の桜)

2008-04-15 22:20:55 | Weblog
ことしの春は思う存分桜の花を堪能しました、
昨年は私のさよならコンサートの準備等で桜のお花見をする心の余裕もありませんでしたが、今年は関東 岐阜 関西とそれぞれの桜を、そして咲き始めの桜 満開の桜 花吹雪の桜 いろんな形での桜をしっかり心の映像に焼き付けました。
満開の桜は横浜の大岡川の桜。何キロにも連なる桜のトンネルは圧巻でした。
東京の水道橋での夜桜はハラハラ ヒラヒラ。ほろ酔い加減の桜見物と相成りました。
近所の川の土手に咲く桜も黄色のタンポポ、菜の花とうまくマッチングしていました。絵心があったらスケッチするのに、、、と心で悔やんでおりました。
これで今年のお花見はおしまい?と思っておりましたが、一昨日、前々から見たいと思っていた岐阜の寺尾のお花見にマイミクのトシさんの案内でレレママさんと
行ってきました。
満開の時期は過ぎましたが、寺尾の千本桜と言われるだけのことはあります。
森の中に突然、桜の世界に引きずり込まれたような、そして、何故かなつかしい昭和の時代のお花見の世界が寺尾では経験することができます。
3年前のゴールデンウイークの時、姑と「来年は桜の季節に来ようね」と約束しましたが、姑は寺尾の桜を見ることなく、一ヵ月後に亡くなりました・
今年、寺尾の桜の花見に来れて本当によかった!。
かばんに姑の遺影を入れてお花見をした私ですが、ヒラヒラ桜吹雪の舞う中で
お花見来れてうれしかったよ。すみちゃん。ありがとう」と姑の声が一瞬した気がいたしました。
案内してくださったトシさんありがとう!。
一緒に行ってくださったレレママさん、ありがとう!

京都女子大学の同窓会

2008-04-13 22:42:46 | Weblog
今日は京都女子大学(京女)の音楽教育専攻卒業生の同窓会が大学に程近い東山7条のハイアットリージェンシー京都ホテル(旧パークホテル)でありました。
会場は熟年の美しき奥様方で華やかな雰囲気です。
同期は昨年の暮れに名古屋で会っているので、そんなに違和感がありませんでしたが、回生が前後する学年の方々とは何十年ぶりの再会となりました。
京女の音楽専攻は人数が少ないので、学年が違っても意外にも仲がよかったり、ずっと音楽を通じてお付き合いがあったりするのです。
なつかしい先生方との再会も胸が熱くなるほど感慨無量でした。
ピアノの教授だったS教授。
私たちが学生の頃はS教授の存在感はすごい威力がありました。
当然、ピアノの試験のときは真ん中で鋭い眼光で演奏を聞いていらっしゃる姿は鮮明に覚えています。
もっとも、私の場合は下手すぎて論外でしたが、、、(笑)
当時はぼろぼろの木造校舎の廊下を歩かれるだけで、ドキッとしたものです。
あれから30年以上の月日が経った今もその存在感は健在でした。
80歳はとうに過ぎていらっしゃるのに、ユーモアたっぷりの関西弁でのお話は
会場の笑いを独り占めしていました。
もう怖くはないはずなのに、私にとってはやはりすごい威力のある先生には変わりありませんでした。
S先生がいつも言われてきたことは「どこの大学をでても、音楽活動は演奏活動は
続けないと意味がないの。」
劣等性の私でしたが、音楽活動を細々でも続けられたことだけはS先生の前で胸を張れるなあと思いました。

ほかにも西洋音楽史のN先生もバッハの4声帯5声帯のフーガを人の生き方に例えてお話してくださいました。
難解な先生の講義も今なら自分の半生を振り返って理解できるようになりました。
(そう言えば、ザピーナツが恋のフーガって歌っていましたよね、
あの歌詞、「追いかけて追いかけてすがりつきたいの、、、」あの歌詞はバッハのフーガの旋律の動きをうまく歌詞に表現しているなあ、、、と勝手にドタママは解釈しましたが)

私たちのお母さん的な存在だったT先生も病気をおして途中から来てくださいました。。
幾分、ちいさくなったT先生ですが、やはり声楽の教授だったご主人のみつお先生の闘病中でもユーモアを忘れないお話に会場中が光男先生のお顔を思い出しながら
聞き入っていました。

それにしても先生方はお年を召してもユーモアのセンスと感性豊かな表現力は
関西の音楽家だからでしょうか?
吉本喜劇顔負け、そして品のいい、音楽の話を交えてのお話は
人として、音楽一筋に勉強されてきた所以からくるものなのでしょうね。

音楽大学のように華やかでもなく、目立たない京女の音楽専攻生でしたが、
人数が少なかったおかげで、私のような劣等性でも音楽を嫌いになることなく、
ずっと歌を続けていられることは京女の先生方のおかげだと思っています。

京女の音楽専攻全員の合言葉は「音楽をやっていてよかった」
その一言に尽きます!

東京のお墓参り。

2008-04-07 11:58:55 | Weblog
2年ほど前から、桜の咲く季節を前後して、亡き友のお墓参りに行くことが慣例になっています。
今年は私の健康美容アドバイザーでもある鍼灸師のミナちゃんが用事があり、参加できず、女性はドタママ一人の参加となりました。
素敵な殿方二人を引き連れ、水道橋から坂を上がって行くと、亡き友の眠るお寺があります。
ホテルのようにフロントで受付を済ませ、お墓にご対面する新しい都会型のお墓に
始めは戸惑いましたが、都心の駅から近いこのお墓は気軽にいつでも行けるし、その後、在世にいる仲間はミニ同窓会というパターンになれるから、便利です。
今回もお墓に眠っているK君の魂も一緒に私たちとついてきました。??

散りゆく桜を後にして、向かった先は六本木 ミッドタウンビル。
岐阜に引越しして、おのぼりさんに化したドタママは
高層ビルと、洗練されたビルの空間に ただただ、上を向いて驚くばかりです。
カメ様が予約してくださった創作和食ダイニングレストランで
美味しい食事とワインで話が弾みました。
みなちゃんが参加できず、女性私一人で心細かったのですが、
年の功でしょうか、何の気兼ねもなく、何の気負いもなく、カメ様とコバ様と楽しい時間を過ごすことが出来ました。
男性の友達っていいです。
いろんな家庭の悩みも女友達とは違った観点で捉えてくれて、客観的に話してくれます。
それぞれがまったく違う生き方をしてきても、価値観が一緒な者同志は
男性女性関係なく、友達として付き合うことが出来ます。
若い頃は自分を格好良く見てもらおうとか、自分に人として自信がなくて、異性の友達なんて私には、考えられなかった。
今、いろんな困難を経て、いろんな体験をして何のわだかまりもなく、話すことが出来ます。
それを受け止めてくれる友達の存在を大事にしてゆきたい。とドタママは思いました。
いくつになってもあだ名で呼び合える友がいるっていいですね。ハンドルネームはドタママなので最近はドタママさんと呼ばれることが多くなりましたが
「ドタ」って呼ばれると気持は20代に戻ります。
80才になってもドタはドタだし、みなちゃんはミナチャンだし、K君はK君でい続けるのでしょうね。

ほろ酔いかげんでレストランを出たら、桜がハラハラ、ヒラヒラ舞っていました。

2年前のお墓参りの日記