ドタ日記

ドタの毎日の様子をエッセイで書き綴ります

笠松競馬

2005-06-29 23:27:37 | Weblog
今日は久しぶりに夫と愛知万博でも行こうかと話していたのですが、いざ、行こうとなると
夫も私も心も体もお祭りの晴れやかな場所へ行く気持ちになれず、結局、夕方から
笠松競馬に行ってきました、
夫が「今日は東京の大井競馬の馬券が笠松で買えるから行って来る」というのです。
普段なら絶対、競馬場なんてついて行かないのですが、一人で岐阜の自宅にいるのは
なんだか怖い、、、、、
心細いので、一緒について行きました。
赤字続きの地方競馬場です。
しかし、東京の大井競馬の馬券は配当がいいせいか、今日は地方競馬にしては
たくさんの人がいました。
VIPルーム?も都会ではお金がいるけれど、地方競馬場は無料です。
冷房のきいたVIPルームで本を読んだり、大井競馬の実況テレビを見たり、
のんびりとした時間を過ごしました、
夫とこんなのんびりした時間を過ごすなんて何年ぶりだろう、
振り返ってみたら、私たち夫婦は全く干渉せず、お互いが好きなことをやってきました。

この2年、舅 姑の看病で単身赴任を余儀なくされた夫、
ちょっぴり、いたわりの気持ちになりました、
「ご苦労さんパパ」

香典返し

2005-06-28 22:50:36 | Weblog
岐阜に滞在できるのもあと2日になってしまいました。
今日は香典返しの品選び 法要の段取りを決めました。
最近はプライバシー保護で電話番号を記載しない人が多くなり、品物を送る住所を書く際
電話番号も必要になってきますので、電話番号を聞き出すのも大変です。
岐阜の習慣なのでしょうか、法要の参列者にはお坊さんも含め、香典返し以外に
3点の品をつけるのだそうです。
丸もち 乾物品 こちらが選んだ品。の3点です。
以前から丸もちをつける意味がわからないので、葬儀屋 贈答品屋に聞いても
「岐阜の昔からの風習だから」と明確な答えは返ってきませんでした。
親戚に聞いても「丸もちは必ずつけないと笑われる」との答え。
冬ならともかく、夏の暑い盛りにお餅を焼いて食べるなんて、、、、
私にはとうてい理解が出来ません。
そういえば岐阜 名古屋の風習で結婚式にお菓子をばら撒いて近所にふるまう風習が
あります。
一昨年亡くなった義父が威勢良くお菓子をまいていたことが昨日のように思い出されます。
姑ババの遺影は生前から「すみちゃんの結婚式のときに写した写真を使って」
と預かっていましたので、48歳の若かりし頃の姑の写真が遺影になりました。
仏間で舅と姑の遺影が仲良く微笑んでいます。
二人は天国で再会を喜び、思い出話に花が咲いているのでしょうか。

二人きりになってしまいました

2005-06-27 23:37:08 | Weblog
今日は夫と一緒に姑ババさまの国民保険の解約 年金解約などの手続きに回りました。
家に帰ってババ様の部屋を掃除していたらババ様は入院する準備をちゃんとしていたのです。
紙袋からバスタオル 寝巻き 下着 洗顔セット等がちゃんと入っていて、姑の用意周到さに
改めて頭が下がる思いでした。

岐阜の家も私がお嫁に来たときは大家族でした。
岐阜の名産の和傘を作っていた爺様 舅 姑は礼服の縫製(とても腕がよかったそうです)
弟 、みんなとても働き者でした。
結婚が決まったとき、ババさまは病の床に伏していました。
入院中に私もババさまに会うことができました。
私の手を握って涙して喜んでくれました。
その1週間後6月29日に亡くなりました。
私は不思議な運命を感じます、
舅も先代のババさまも姑ババ様も私の手を握って黄泉の世界へ逝ったのです。

話がずれましたが、舅の独特の岐阜弁で家の中はにぎやかだったのに、姑ババも舅のもとに
旅立ち、ガランと静まりかえってしまいました。
エアコンの音だけ妙にうるさく響き、私と夫は抜け殻みたいに居間で座り、姑ババの回想にふけっています。
仏間のある座敷には先代の爺さま ババ様 舅そして、新しく加わった姑ババさまの遺影が
私と夫をにこやかに見つめています。
「がんばって生きやーね」と叱咤激励されているみたいです。
私は炊き立てのご飯とおかずをそっと姑ババの遺影の前に置きました
「ゆっくり味わって食べてね、お母さん」
私と姑ババはこれからは心で会話をすることになります。

無事葬儀を終えました

2005-06-24 23:39:12 | Weblog
この3日間があまりにいろいろなことが起こり、10年ぐらいの月日が経ったように
感じられます。
3日間ほとんど寝ていません、
体は疲れているのに神経が高ぶって寝られないのです。
火曜日横浜から帰省してみると、肩で浅く息をする姑にいやな不安感がよぎったのです。
姑のフトンのシーツを交換して、顔も手もふいてあげました、洋服を変えてあげ
新しいシーツで寝かしてあげるとき姑の顔が今まで見たこともないくらい、やさしい穏やかな
顔つきに変わっていました、その顔はまさしく、仏様のお顔でした、
「痛い?・」と聞くと優しい顔で首を横に振りました。
この日の夜は何かの前兆がある不安な気持ちがよぎり寝られませんでした。
翌日は医者へ定期的に行く日です。
姑は一人で、身支度を整え、待っていました、
野菜ジュースをミキサーで絞って飲ませ、病院へ行きました
しゃべれない姑に代わり、最近の状態を説明しました
浅い呼吸をすることを話しましたので、循環器の検査をしました。
結果は血圧も心電図も血液検査もすべて異常なし、
検査の結果がよかったので、私の不安な前触れはちがっていたんだと安心し、
姑に「おかあさんよかってね、どこのどうもないよ、今日はお母さんの誕生日だから
外で食事する?」と聞くと、やさしい顔でうなづきました、
中華料理店で姑は大好きなマーボ豆腐」を食べ、岐阜の一番の老舗のケーキ屋に立ち寄り、
ケーキと姑の大好きなゼリーを買いました
あの時、ショーウインドに並べられたきれいなケーキやゼリーを食い入るように見ていた
姑の顔を忘れることができません、
いつもより、たくさん買って家に戻りました。
姑は着くと同時にゼリーを食べ始めました、
姑には少し量の多いゼリーでしたから、全部は食べきれないだろうと思っていました、
「ゆっくり食べればいいからね」と声をかけ、目だって変わったこともないので
私も疲れて寝入ってしまいました、
その間に、いつものように前かがみの姿勢でバランスをくずし、転んだので夫が
あわてて気づいて姿勢を直してあげました。
そのときは異常なかったようです。
ゼリーを再び食べ始め、私が姑の部屋に行ってみると手がブランブランの状態で倒れていたのです、
あわてて抱き起こし、「おかあさんおかあさん」と私は悲鳴のような声で叫び、夫に異常を告げ
救急車を呼んでもらいました。
もう私もパニック状態で救急車がくるまで姑をさするだけでした、
救急車はすぐ来ました。
すぐに人工呼吸をし、病院へ搬送しましたが、病院で死亡が確認されました。
本当に数時間の間でこんなに容態が変わってしまうとは、、、、
でも、亡くなった姑の顔は本当にきれいでした、
今まで、闘病生活で苦しんでいた姑の暗い顔から開放され穏やかな微笑んだ顔でした、
顔も鉛色の顔からもともと肌のきれいな人でしたから、その羽二重もちのような白い
つるんとした肌に戻っていました。
私は姑の顔にほほ紅をつけ、真紅の紅をさしてあげました。
それはそれはきれいな雛人形のようにかわいらしい顔になりました。
いままで闘病中は顔もあげることができなかったけれど、亡くなって久しぶりに
姑の美しい顔を見ることが出来ました。
お悔やみに来てくださった方々も異口同音に姑のあまりに穏やかな顔にびっくりされていました、
岐阜城のある金華山のふもとの静かな寺で町内の人の心のこもったお手伝いで、
通夜 葬儀を終えることが出来ました。
派手ではないけれど、姑らしいあたたかな葬儀を行うことができました。
あきちゃんのおかあさんが私にお悔やみの言葉を送ってくれました。
「紫陽花の咲くころ召される人は自己主張せず、しかし自分のしっかりした信念を貫く人です」と、、、、、
姑ババさまはまさしくその言葉どおりの一生でした。



 

緊急帰郷

2005-06-21 21:55:57 | Weblog
今朝。DTM講座行くため身支度をしていたら、岐阜の夫から「母が呼吸も荒く、容態が悪いので
すぐ来てくれ。」との電話が入りました。
夫も一人でどうしていいかわからずパニックになっている様子。
「すぐ、救急車呼んで病院に行きなさい」と言って、とりあえず、今週のレッスンをお休みする
電話を入れて、新幹線に乗り込みました。
こういうときは悪いことばかり考えてしまうものです。
「2年前に亡くなったおじいちゃんが寂しくて呼んでいるのかな?」
「明日はお母さんの74歳の誕生日、誕生日に何もなかったらいいけれど、、、、」
名古屋に着く前に電話を入れたら、「大丈夫落ち着いた、」と夫も安堵の声でした。

今日はずっと、姑ババにつっききりで介護していました。
足も手も体全体、やせ細り、昔のふくよかなお母さんの面影はありません。
人はここまでやせてしまうものか、と細くなった姑ババさまの足をさすりながら、

できることなら私のこのがっちりした足の筋肉を分けてあげたいと思いました。

パーキンソン氏病の怖いところは姿勢が前かがみになってしまい、食事をしながら、体が硬直して
蓑虫のようjに丸くなって、倒れてしまうのです、
昨夜は倒れた状態で長くいたので、気管が圧迫され呼吸が荒くなったようです。
姑ババは全く言葉がでなくなってしまいました、
2週間前までは聞き取れないけれどか細い声でも、一言二言話せたのですが、
今回全く話せません、
のどの筋肉も衰えて気管も細くなってしまっているのです。

そうでなくても、忙しい私、
夏は義兄の13回忌 義父の3回忌 町内夏祭り 横浜関内ホール朗読劇
東京でコンサートとこなしていかなくてはいけないのです。
この蒙古襲来のような怒涛の嵐にドタママは立ち向かっています。
なるようにしかならないけれど、姑ババが少しでもよくなるようにこの日記を
読んでくださった皆様、祈ってください。

高等養護の仲間と久しぶりに会いました 

2005-06-19 22:52:31 | Weblog
日曜の夜、久しぶりに高等養護の友達とカラオケをしたり、会食して楽しみま した。
場所は桜木町の駅の前にある横浜市健康福祉総合センター10階のふれあいショップH×3桜木町店
ここは横浜の海とみなとみらいが一望でき、ゆったりとしたスペースで料金もお手ごろ
食事も美味しい、何しろ、心がこもっているお店ですので、とてもやすらぐことの出来るレストランです。
お母様とも久しぶりに会い、いろいろ情報交換もしました。
卒業して6年。
この子達のとりまく環境も変わってきました。
仕事は慣れてきているけれど、確実に体力、能力は落ちてきているとおっしゃっているお母様も
いました。
人一倍まじめに仕事をしてもある一部の心無い人にからかわれたり、いじめられたりすることも
あるそうです。
反論することも出来ず、我慢してしまう子達ですので、きっと心の中では悲しい思いをしたことも
多いと思います。
そんないやな思いを一掃するかのように、今日はみんなカラオケで熱唱したり、おしゃべりしたり、みなとみらいの夜景を楽しんだり、それぞれがとても穏やかないい顔をしていました。
ヒロは電車やバスの話を友達と専門用語?で話すことが出来、とてもうれしそうでした。

仕事の内容も一生懸命、友達やお母様方に説明していました。
障害の有無にかかわらず、学生時代の友達っていいものなんすね。
友達はいいもんだ



夏祭りの季節ももうすぐですね。

2005-06-18 21:36:41 | Weblog
ドタママの住んでいる地域は夏祭り盆踊り大会がとても盛況です。
今夜は、連合町内会で夏祭りの話し合いがあり、参加しました。
ここ数年、ドタママは露店の出店で子供向けの当てくじ、玩具の販売をしています。
今年も出店をやればいいとのんびりかまえていたら、今年の夏祭りは盆踊りに
力をいれたいということで、いつのまにか、ドタママは盆踊り盛り上げ隊長に指名されてしまいました。
マツケンサンバをやりたいという皆さんの要望でさっそく、盆踊りの先生に
振り付けをお願いしたら「出来ません」との素っ気無いお返事。
無理もないですよね。
マツケンサンバは盆踊りでないもの。
結局、ジャズダンスの得意?なドタママがビデオで振り付けを覚えて、皆に教えることになりました。

今年こそはおとなしくしていましょうと思っていたのに、、、、
祭りが近づくと血が騒ぎ出すのです。
今年もハマの夏祭りでドタママははじけます。
夏祭りの思い出の1ページが又、増えそうです。
「ソーレソレソレお祭りだ」
美空ひばりの歌がどこからともなく聞こえてきそうです。

アキ君の作りたてホカホカ詩、公開します

2005-06-16 11:04:38 | Weblog
アキ君の作りたてホカホカの詩を更新します。
彼は仕事が遅番の時は、レッスンを受けて、仕事場に行きます。
仕事に疲れているあなた、家事で疲れているあなた、子育てで疲れているあなた、
人生に疲れているあなた、アキ君の詩で心も体もホッと一息ついてください。
       あきたかのうた