ドタ日記

ドタの毎日の様子をエッセイで書き綴ります

フラダンスを体験

2010-06-29 22:09:00 | Weblog
コーラスで仲良しになったきよみ姫に誘われて、レレママさんとかな子さんと3人で、フラダンスを体験してきました。
フラダンスのいいところは、かわいいフレアーのパウスカートを身につけて踊れることです。
まず最初に教えてもらった振りは「私はあなたを好きです」です。
両手を胸に交差して「私は」。次に「あなたを」は右手をやさしく差しのべ、指を相手に向ける動作。
「好きです」は両手をぐるぐる回して、手を再びさしのべる。
簡単に説明すると、こんな感じでしょうか?
これだけの動作ですが、ゆっくり、愛情を込めて振りをすると、うーん!
なかなか色っぽい!
若い頃にこの振りを教えてもらって、好きな人の前で、踊ったら、
きっと、恋は成就したかも、、、

フラダンスはゆっくりの動作ですが、意外と、すごい運動量でした。
上半身はぶれない姿勢は、茶道も、声楽も共通ですね。
いろいろ、振りを教えていただきましたが、
今回は、「私はあなたが好き」の振りだけ、しっかり覚えました。(笑)
もしかしたら、あなたの前で、「私はあなたが好き」を踊ってさしあげるかもしれません
(笑)

向かい合う

2010-06-25 23:37:02 | Weblog
先日6月22日は姑の命日でした。
庭に咲いている花々を遺影の前に飾り、姑の大好きだった果物をお供えしました。
毎日、手を合わせていますが、命日の日は遺影の姑と向かい合って、
お話をしました。
生前にお世話になった感謝の言葉と、夫の愚痴も少々、遺影の前でつぶやいたり(笑)
いつもより時間をかけて、向かい合いました。
そして、夫も連れてお墓参りにも行きました。
やはり庭の花を供え、墓石を姑の体をいたわるかのように拭き、向かい合い、お参りしました。
このときは、夫の体が悪くならないように、私もヒロ君もきっちゃんもますます元気で仕事ができるように、、、
そして、私の出会っている人すべてが、健康で生きられますように、と
お願い事をしました。

ヒロ君も仕事から帰って、仏壇の前で向かい合って、おまいりしました。

姑の命日で仏壇に、お墓に向かい合って、おまいりすることで、改めて「向かい合う」大切さを知りました。
亡くなった人と遺影で向かい合うと、やさしい気持ちになれます。
普段の自分のわがままな言動や行動を反省することが出来ます。
そして、生きている私たちが、お互いに向かい合うこと。の大切さも
再認識しました。
生きている者同士、うまく意見が合わずに、気持ちが合わずに、疎遠になったり、
悩んだりすることもありますが、それらは向かい合って話すことを怠っているから生ずるのではないのでしょうか?

障がいのあるお子さんと同じ目線で向かい合って、挨拶することにしています。
向かい合って子どもを思いっきり抱きしめる。
それがまず教育の第一歩であり、一番重要なことだと、思います。

好きな人と向かい合う。ちょっと苦手な人とも向かい合う。
寂しがっている人とも向かい合う。
向かい合う輪を作っていきたいですね。

亡き父の戦争の貴重な記録

2010-06-14 00:16:50 | Weblog
私の父は自分自身の転戦の記録を残していました。
戦争での記録を父の妹である叔母が投稿してくれて、NHK学園編集「私の生きた昭和」の本に載りました。
薄れゆく太平洋戦争の貴重な記録です。
何度も読み返すうちに、私の心に父の声が聞こえてきました。
「澄の不器用な性格も、陽気な性格も、おっちょこちょいの性格も、みんなお父さんと同じだよ。お父さんは、南国の戦地では、不器用でマングローブで家を作るのは苦手だったけれど、もっぱらみんなを陽気にさせるのが得意だったよ。」

父と心の中で対話するうちに、私は父が満州から転戦して渡った、南方のミクロネシア連邦のクサイエ島(現在はコスラエ島)に思いをはせるようになりました。
インターネットで検索したら、美しい島の写真が出てきました。
こんな美しい島で、67年前、父は戦地で食糧難と間断なき敵の空襲と戦っていたとは
想像できません。
それでも、写真には日本軍が作った階段が映し出されていました。
きっと、父もこの橋を作って渡り歩いていたのでしょう。ひょうきんに歌いながら歩く父を
心で思い浮かべていました。
父の戦地での様子を知りたくて、4年前、叔母と青森に在住している父の戦友に会いに行きました。
当時、87歳だった、戦友の方は。私たちに会うと、なつかしそうに、
父の話をしてくれました。
やはり、父は相当な人気者で、暗くなりがちなみんなの気持ちを明るくするムードメーカ的な存在であったようです。(その時の様子は2006年のブログに書いてありますので参照してください)父の戦友に会いに青森へ


コスラエ島は 赤道の北650 kmに位置する、ミクロネシア連邦で2番目に大きな島です。
グアムとハワイの中間あたりに浮かぶコスラエ島。
グアムやハワイのように観光化されていないけれど、島は熱帯の密林に覆われ、高い火山があるほか、青々とした渓谷や素晴らしい景色にも恵まれています。
インターネットで検索したら美しい島コスラエ島コスラエ島のHPが出てきました。

写真を見ながら、私はコスラエ島に行きたいという気持ちがふつふつとわいてきました。
コスラエ島に渡って、父の戦った戦地を見てみたい。
若かりし頃の父と戦地で対話したい。
そんな気分になっています。
私が元気なうちに、是非、行ってみたいと思います。
父の魂と一緒に行けることが私の、願いです。

南部コミセン文化祭

2010-06-07 23:14:57 | Weblog
私の住んでいる加納地区の岐阜市南部コミュ二ティセンターの利用サークルの文化祭がありましたので、ヒロ君と、友人の千景さんと3人で行ってきました。
プログラムを見てまず驚いたのは、利用しているサークルの数の多さ!
そして、種類の多さにも驚きました。
管弦楽団、混声合唱団、女性合唱団、クラリネットアンサンブル、ミュージカル、、、、
午前だけで、12の団体が出演されました。
プログラム2番、混声合唱団のステージで、なつかしい友人の姿を発見!
中学時代、いつも私と音楽で言い争っていた、サル君(当時のあだ名)と
やはり中学時代から、コーラスやオペラクラブで一緒だった、美少年N君。
白髪まじりの頭でも、歌っているお顔は昔とちっとも変わりません。
40年以上前の彼らの姿とオーバーラップしながら、私は聞いていました。
歌好きは、40年を経ても変わらないのですね。
演奏が終わって、サル君とN君に会いに行きました。
サル君は相変わらず口が悪い。
それでも、音楽会を開くときには、「協力してやるから、」と頼もしい返事が返ってきました。
N君もちゃんと覚えていてくれて、千景さんと「覚えててくれてよかったね」
と喜ぶ私と千景さんは、まるで少女のように顔がほころんでいました。

7番目の出演は1月のみんなでコンサートに有志で参加してくださった、女声コーラスコールファンシェールの演奏。
年齢は少し高め(失礼!)ですが、ハーモニーは素晴らしい!
皆さん暗譜で、歌っている皆さんのお顔がすばらしくいい表情です。
歌詞がはっきり伝わってきて、美しい響きに、魅せられました。
来年の定期演奏会が楽しみです。

それぞれの団体の演奏を聴きながら、思ったことは、
演奏している時、歌っているとき、人の魂はすべて、青年になっているんだなあ、、、と思いました。
学生時代を歌っている男声陣も歌う前は、年相応の姿で出てきても、歌い出したら
皆さん、顔が青年の顔になっている!
私は演奏されている皆さんのお顔をみて、改めて「音楽っていいなあ、、、
音楽を奏でているときは、人の年齢は皆、青年なのだ!」と思い知らされました。
私の住んでいる地域に、こんな利用できる施設があったなんて、灯台もと暮らしでした。