今年は1300年だそうでパンフにも看板にも
全国に4万社余りある八幡社の総本宮、宇佐神宮。
今住んでる氏神さんも応神天皇が祭神で地車に八幡って掲げてる、けど総本宮の話出たことない。
実家の産土神である余部(あまべ)神社も応神天皇と比売大神と素戔嗚命を祀る。
今まで宇佐神宮が大元だという話したことも聞いたこともない。
けど、巡り合わせで初参拝が正式参拝で嬉しい。
5/21(月)13時に先達さんに案内されて鳥居くぐる。
八幡大神の御顕現は571年(欽明天皇32年)とされ、725年に現在の地に一ノ御殿が建立されました。
本殿3棟は国宝に指定されています。
楼門中に入らせていただきましたが撮影禁止、画像はありません。
上宮本殿前の板廊下に整列。
五月晴れで気持ちの良い風が吹いていて清々しい参拝日和でした。
神仏習合そのままの地ですから、二礼四拍一礼して、高台寺住職さんの先達のもと般若心経を唱えました。
かつて四国88箇所の本堂と大師堂の各2箇所で唱えた般若心経、うろ覚えながら一緒に。
ツアー28名の多くの方がちゃんと暗記されてて唱えられるのが驚きでした。
大元神社が鎮座する山が見えます。
左の看板には
「左手奥に見える山が、宇佐嶋とも呼ばれる御許山(馬越峰)です。宇佐神宮発祥の聖地として摂社大元神社が鎮座し、現在でも毎月の祭祀が厳修されています。」
こちら宇佐でも上宮・下宮があり、ご祭神は同じ。
下宮は古くは御炊殿(みけでん)といわれ神へ捧げる食事を調理する場でもあったそうです。
大鳥居くぐってすぐ左手に大尾山参道が伸びてます。
どれぐらいの距離があるのかもわからず参拝しませんでしたが、大尾神社は和気清麻呂が道鏡事件で神託を受けた時、八幡大神はここに鎮座されていました。
西参道からずっと先に呉橋が見えますが、時間がぎりぎりでそこまでいけなかった。
呉橋を渡ってすぐに弥勒寺跡。
738年に建立された宇佐の神宮寺である弥勒寺は、明治の神仏分離により廃寺となり、今は跡形だけ残ります。
八幡神と仏の融合する神仏習合は宇佐神宮が発祥です。
六郷満山開山1300年の、718年は宇佐八幡神の化身ともいわれる仁聞菩薩が六郷満山を開いた年です。
この後に訪れた、真木大堂や富貴寺等の開山に718年と書かれてありました。
当時はどんなやりとりがあったのでしょうね。
日本に新しい思想を持ちこんで意識改革させる?
GHQみたいなものだったりして。。。。
欽明天皇(540~571年)在位中の公伝だとすると、日本書紀の552年なのかな。
朝鮮半島は百済・新羅・高句麗のパワーバランスでじっくり学んでる場合じゃなかったかも。
丸投げしてパクってウリナラなら今でも同じですね。
さて朝鮮半島の命運や如何に
山が島でその島に石があってそこに神がやって来るって思うと各地の信仰でも似たような解釈出来そうにも思いますね。
自然崇拝からの修験道や仏教よりも自然に受け入れられるようにも。でも明治までは神仏習合。
八幡大菩薩とか八幡権現とかは私のワークには必ず必要な情報なんですけど、明治以降よりもその前のが参考になりそうです。コロナ騒動の中なのでヒントになりそうです。あと天皇と修験道や天皇と寺とタッグを組んできた事が役割を果たす者も分断されておまけに役割を担う者もなんだかおかしくなってるようにもおもいます。宇佐八幡さんも日本に一番いい方法になるように応援してくれるといいですね。
タイトルが答えそのものですね。
出会って融合出来たのが日本だけなら日本の今後の行動が何か世界にも影響が出るように思います。
失敗を反省したり、決まった事(その時点)を状況に合わせてちゃんと理由が明確で了承出来るなら変更するのが自然や天災や災害に対しての取り組みとしても当たり前の事。人間が知恵と行動でやっただけ評価されてくるといいですよね。
太古から宇佐氏族に祀られていた比売大神。
八幡信仰へと祭祀が変更されていくなか、宇佐氏は地主神を守り抜いたんだそうですね。
いまだに大元神社にはまだおよびかかりません。