
昭和52年夏、バイク事故のため21歳の若さでこの世を去った岩橋君。28年ぶりのお墓参りに和歌山まで行って来ました。
近畿のおまけ和歌山って揶揄した歌ありましたけど、こんなに空が見える街って珍しいなと思えるほど。
徳川御三家の一つだった和歌山城近くにはお寺がいっぱいあり、その一つ三光寺の境内に祀られていました。
残暑きびしくじりじり照りつける太陽の下で、どの墓か記憶も薄れ、数ある岩橋家のお墓の中から、墓名やお盆の卒塔婆から探し当てるのに汗びっしょり。
たぶん間違いなくお参りできたと思うけど。。。
その後少し足を伸ばして、日高町産湯海水浴場高台の別荘に招待してもらいました。
神功皇后の皇子が産湯をつかったという井戸が残る伝説の海岸を眼下に見下ろせる、別荘のテラスでバーベキューはこの夏一番の思い出になりました。
もしこんなに老いてしまった私達があの世に行ったら、岩橋君は見分けがつかんやろうなぁ~、で乾杯。
近畿のおまけ和歌山って揶揄した歌ありましたけど、こんなに空が見える街って珍しいなと思えるほど。
徳川御三家の一つだった和歌山城近くにはお寺がいっぱいあり、その一つ三光寺の境内に祀られていました。
残暑きびしくじりじり照りつける太陽の下で、どの墓か記憶も薄れ、数ある岩橋家のお墓の中から、墓名やお盆の卒塔婆から探し当てるのに汗びっしょり。
たぶん間違いなくお参りできたと思うけど。。。
その後少し足を伸ばして、日高町産湯海水浴場高台の別荘に招待してもらいました。
神功皇后の皇子が産湯をつかったという井戸が残る伝説の海岸を眼下に見下ろせる、別荘のテラスでバーベキューはこの夏一番の思い出になりました。
もしこんなに老いてしまった私達があの世に行ったら、岩橋君は見分けがつかんやろうなぁ~、で乾杯。
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