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秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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「いくたまさん」と「ざまさん」

2011-04-02 | 古代史のミステリー
東日本大震災の後、神々は動いているというブログでは
この先日本のどこでも地震や噴火など災害起こりえるから、地元の神様に地固めをお願いされるとよいと書かれていました。
浦安同様、大阪平野でも液状化ありえます。

お彼岸に四天王寺さんへお参りしたあと、生国魂(いくたま)神社へいきました。
「生島・足島神は国土・大地の守護神で、大地に生をうけるすべてを守護される広大無辺な御神徳がある」とされ、“いくたまさん”と呼び親しまれています。

八十嶋といわれた難波の海辺で生活する人々の豊漁や海路の安全を祈っていた神が、河内王朝の祭祀に取り込まれたのではないかといわれています。
社伝によれば、神武天皇が九州より難波津にお着きになった云々が始まりです。

そして平安時代になって、宮中祭祀制度が整うなかで神祇官西院に祀られます。
八十島祭は鎌倉初期まで約370年間に22回おこなわれた祭祀で、
新天皇即位時におこなわれる大嘗祭の翌年(初回のみ前年)に、即位儀礼の一環として難波津の海辺でおこなわれたという。

谷町9丁目交差点より少し南側に鎮座しますが、かつては大阪城内にあったのが、秀吉の築城により移転し現在地に至ります。
かつては海辺の近くにあったものが、現在は谷町のラブホ街ど真ん中にあるのです。


やっぱり場所がどこにあるかって大事です。


それで坐摩神社へお参りしようと思ったのでした。
通称は「ざまさん」、坐摩・ざま、本来はいかすりと読みます。
居所を知っている神様、土地又は居住地を守ってくださるのだそうです。

地図の28番右横が南御堂(東本願寺難波別院)

本堂南側の庭園に、芭蕉の句碑があります。
「旅に病でゆめは枯野をかけまわる」
この地で芭蕉は51歳の生涯を閉じたと伝えられます。

その南御堂の西(地図では下)に坐摩神社が鎮座します。
大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号


大阪観光めぐりでは坐摩神社を次のように紹介されています。

神武天皇が高皇産霊神・天照大御神の神勅を受けて、宮中に「大宮地之霊」を祀ったのが起源といわれ、
神功皇后の御代に、大江、田蓑島の渡辺の地(現在当社の御旅所がある大阪市中央区石町付近)に奉祀されたのが坐摩神社の始まりといわれています。
1582年、豊臣秀吉の大坂城築城にあたり替地を命ぜられ、
寛永年間(1624年~44年)に現在地へ遷されました。
坐摩神社には五柱の祭神が祀られ、総称して坐摩神と呼びます。
”いかすり”という変わった神社名ですが、これは土地または居住地を守るという意味の「居所知(いかしり)」という言葉からきているのだそうです。


坐摩大神(いかすりのおおかみ)は以下5柱を総称しています。
Wikiでは下のように書かれています

生井神(いくゐのかみ)…生命力のある井戸水の神
福井神(さくゐのかみ)…幸福と繁栄の井戸水の神
綱長井神(つながゐのかみ)…「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ深く清らかな井戸水の神
波比祇神(はひきのかみ)…竃神(屋敷神・庭の神)
阿須波神(はすはのかみ)…竃神(足場・足下の神・旅の神)


どれも今まで聞いたこともない神様です。

坐摩大神は、別称、大宮地之霊(おおみやどころのみたま)
ネット検索したら、
福井市の足羽神社ではこの5神を「大宮地之霊」と称して祀っており、
「福井」という地名は福井神より名付けられたという説があることがわかりました。

継体天皇が即位前に越前国に水害が多いことを憂い、足羽山に宮中の大宮地之霊を奉斎したことにはじまるという。
 
>続く