東日本大震災の後、神々は動いているというブログでは
この先日本のどこでも地震や噴火など災害起こりえるから、地元の神様に地固めをお願いされるとよいと書かれていました。
浦安同様、大阪平野でも液状化ありえます。
お彼岸に四天王寺さんへお参りしたあと、生国魂(いくたま)神社へいきました。
「生島・足島神は国土・大地の守護神で、大地に生をうけるすべてを守護される広大無辺な御神徳がある」とされ、“いくたまさん”と呼び親しまれています。
八十嶋といわれた難波の海辺で生活する人々の豊漁や海路の安全を祈っていた神が、河内王朝の祭祀に取り込まれたのではないかといわれています。
社伝によれば、神武天皇が九州より難波津にお着きになった云々が始まりです。
そして平安時代になって、宮中祭祀制度が整うなかで神祇官西院に祀られます。
八十島祭は鎌倉初期まで約370年間に22回おこなわれた祭祀で、
新天皇即位時におこなわれる大嘗祭の翌年(初回のみ前年)に、即位儀礼の一環として難波津の海辺でおこなわれたという。
谷町9丁目交差点より少し南側に鎮座しますが、かつては大阪城内にあったのが、秀吉の築城により移転し現在地に至ります。
かつては海辺の近くにあったものが、現在は谷町のラブホ街ど真ん中にあるのです。
やっぱり場所がどこにあるかって大事です。
それで坐摩神社へお参りしようと思ったのでした。
通称は「ざまさん」、坐摩・ざま、本来はいかすりと読みます。
居所を知っている神様、土地又は居住地を守ってくださるのだそうです。
地図の28番右横が南御堂(東本願寺難波別院)
本堂南側の庭園に、芭蕉の句碑があります。
「旅に病でゆめは枯野をかけまわる」
この地で芭蕉は51歳の生涯を閉じたと伝えられます。
その南御堂の西(地図では下)に坐摩神社が鎮座します。
大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号
大阪観光めぐりでは坐摩神社を次のように紹介されています。
神武天皇が高皇産霊神・天照大御神の神勅を受けて、宮中に「大宮地之霊」を祀ったのが起源といわれ、
神功皇后の御代に、大江、田蓑島の渡辺の地(現在当社の御旅所がある大阪市中央区石町付近)に奉祀されたのが坐摩神社の始まりといわれています。
1582年、豊臣秀吉の大坂城築城にあたり替地を命ぜられ、
寛永年間(1624年~44年)に現在地へ遷されました。
坐摩神社には五柱の祭神が祀られ、総称して坐摩神と呼びます。
”いかすり”という変わった神社名ですが、これは土地または居住地を守るという意味の「居所知(いかしり)」という言葉からきているのだそうです。
坐摩大神(いかすりのおおかみ)は以下5柱を総称しています。
Wikiでは下のように書かれています
生井神(いくゐのかみ)…生命力のある井戸水の神
福井神(さくゐのかみ)…幸福と繁栄の井戸水の神
綱長井神(つながゐのかみ)…「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ深く清らかな井戸水の神
波比祇神(はひきのかみ)…竃神(屋敷神・庭の神)
阿須波神(はすはのかみ)…竃神(足場・足下の神・旅の神)
どれも今まで聞いたこともない神様です。
坐摩大神は、別称、大宮地之霊(おおみやどころのみたま)
ネット検索したら、
福井市の足羽神社ではこの5神を「大宮地之霊」と称して祀っており、
「福井」という地名は福井神より名付けられたという説があることがわかりました。
継体天皇が即位前に越前国に水害が多いことを憂い、足羽山に宮中の大宮地之霊を奉斎したことにはじまるという。
>続く
この先日本のどこでも地震や噴火など災害起こりえるから、地元の神様に地固めをお願いされるとよいと書かれていました。
浦安同様、大阪平野でも液状化ありえます。
お彼岸に四天王寺さんへお参りしたあと、生国魂(いくたま)神社へいきました。
「生島・足島神は国土・大地の守護神で、大地に生をうけるすべてを守護される広大無辺な御神徳がある」とされ、“いくたまさん”と呼び親しまれています。
八十嶋といわれた難波の海辺で生活する人々の豊漁や海路の安全を祈っていた神が、河内王朝の祭祀に取り込まれたのではないかといわれています。
社伝によれば、神武天皇が九州より難波津にお着きになった云々が始まりです。
そして平安時代になって、宮中祭祀制度が整うなかで神祇官西院に祀られます。
八十島祭は鎌倉初期まで約370年間に22回おこなわれた祭祀で、
新天皇即位時におこなわれる大嘗祭の翌年(初回のみ前年)に、即位儀礼の一環として難波津の海辺でおこなわれたという。
谷町9丁目交差点より少し南側に鎮座しますが、かつては大阪城内にあったのが、秀吉の築城により移転し現在地に至ります。
かつては海辺の近くにあったものが、現在は谷町のラブホ街ど真ん中にあるのです。
やっぱり場所がどこにあるかって大事です。
それで坐摩神社へお参りしようと思ったのでした。
通称は「ざまさん」、坐摩・ざま、本来はいかすりと読みます。
居所を知っている神様、土地又は居住地を守ってくださるのだそうです。
地図の28番右横が南御堂(東本願寺難波別院)
本堂南側の庭園に、芭蕉の句碑があります。
「旅に病でゆめは枯野をかけまわる」
この地で芭蕉は51歳の生涯を閉じたと伝えられます。
その南御堂の西(地図では下)に坐摩神社が鎮座します。
大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号
大阪観光めぐりでは坐摩神社を次のように紹介されています。
神武天皇が高皇産霊神・天照大御神の神勅を受けて、宮中に「大宮地之霊」を祀ったのが起源といわれ、
神功皇后の御代に、大江、田蓑島の渡辺の地(現在当社の御旅所がある大阪市中央区石町付近)に奉祀されたのが坐摩神社の始まりといわれています。
1582年、豊臣秀吉の大坂城築城にあたり替地を命ぜられ、
寛永年間(1624年~44年)に現在地へ遷されました。
坐摩神社には五柱の祭神が祀られ、総称して坐摩神と呼びます。
”いかすり”という変わった神社名ですが、これは土地または居住地を守るという意味の「居所知(いかしり)」という言葉からきているのだそうです。
坐摩大神(いかすりのおおかみ)は以下5柱を総称しています。
Wikiでは下のように書かれています
生井神(いくゐのかみ)…生命力のある井戸水の神
福井神(さくゐのかみ)…幸福と繁栄の井戸水の神
綱長井神(つながゐのかみ)…「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ深く清らかな井戸水の神
波比祇神(はひきのかみ)…竃神(屋敷神・庭の神)
阿須波神(はすはのかみ)…竃神(足場・足下の神・旅の神)
どれも今まで聞いたこともない神様です。
坐摩大神は、別称、大宮地之霊(おおみやどころのみたま)
ネット検索したら、
福井市の足羽神社ではこの5神を「大宮地之霊」と称して祀っており、
「福井」という地名は福井神より名付けられたという説があることがわかりました。
継体天皇が即位前に越前国に水害が多いことを憂い、足羽山に宮中の大宮地之霊を奉斎したことにはじまるという。
>続く
篁って、意外と重要なのかもしれないな~。
イカスリとはもってこいの神ですね。
祈りもズバリ、ストレートに地にひびいたと思いますよ。
そのままにするのもお名前だしなと思い、コメント削除してもう一度正しく書き直したのでした。
しかし笛になってたのって何か意味あるのかなとか考えてました。
今回、めねふねさん自身が、めねふめ 踏めって書かれてますよ~
先だっての記事に小野篁がのっててびっくりでした。
コメントありがとうございました。
鷺丸紋⇒坐摩神社⇒このブログにたどりつきました。
ところで三光紋は足羽神社から調べようと思われたのですね。
大宮地之霊=坐摩神は謎があるので
私も興味があります。
これは武内宿禰と神功皇后と継体天皇につながる謎でもあります。
特に波比岐神を中心に調べています。
熊本の玉名の熊本最古社の疋野神社の祭神ですが
ここでは偶然か日置氏に繋がっています。
また大年神と天知迦流美豆比賣の間ともいわれています。
今後も調査結果はブログに記載していきたいと
思っていますのでよろしければ時々覗いてください。
自分のコメントを読み返してみて
説明が至らないところがありましたので加筆させてください。
まず第一に偶然google検索で坐摩神社を検索して
ヒットしたこのページがおざさ様のブログでしたので驚きました。
あと「偶然か日置氏に繋がっています」というのも説明不足ですね。
日置氏は読みがヒキですがヒキだから波比岐神を祀ったのか
たまたま偶然に波比岐神を祭祀したのかという意味です。
それからこれからも是非、地元神社を大切にしていってください。
ところで青サギが実家の庭とありましたがそこは大阪なのでしょうか?
なんか不思議だなぁ、何で?と思って調べだすとどんどんはまり込んでしまって…
鷺丸と三光紋も興味深く、吉田さんのサイトでずいぶん教えていただきましたが、難しくってまだ記事にできないでいます。
中味をうす~くして近いうちに後半書きますのでまたご高覧賜れば幸いです。
不比等も蘇我氏もものすごく興味ありますのでまた寄せてもらいます。
実家は西除川(にしよけがわ)の近くにあるので、鷺の生活圏なのでしょう。
難波と高野山を繋ぐ南海高野線北野田駅が最寄の駅ですが、実家と反対側に陶器という地名があり、そこはかつて陶邑の太田田根子が暮らした場所です。
一つ手前の駅が萩原天神で、実家より自転車で10分ぐらいですが、なんとレイライン上です。
そして近くには日置荘という地名もありますよ~
熊本は最近とても関心を持っているところです。
昨夜は教えていただいた疋野神社について検索してました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
瀬織津姫のこと書かれてあったのでちょっと分かりました。
そのうちとりあえず御霊神社いったことだけでも記録に残しておくことにします。
三ツ鳥居ですね〜、おまけに大阪行った際その時知識なくホテルの近くだったのに行けなかった神社とは。綱というキーワードからも日本人横綱誕生でお相撲も絡んできますね。
2011年のうららさまのコメントに大地を踏みしめ地かためとのイメージを持ったコメントもありましてバッチリタイムリーです。
稀勢の里が雲龍型の練習の際に大乃国さんが手のひらにガムテープ置いてイメージさせていたとかいう番組をみましたけど手を斜めにするのではなく上に向ける重要性を感じました。また足をずらして踏みしめる光景も大地を踏み固めて基礎作りの時がやっと訪れたように思います。
教えてくれたのが大の方というのも大は日本にどうやら守り神的必要な象徴のように思います。
鳥取の件も同じようにも、取り持ったのがうさぎ。
三ツ鳥居の意味感じます。
継体と武烈の関係が全ての歴史を解明してくれそう。多分継体さん本人は武烈やその後継者とも意思疎通出来ていたでしょうけどその周りは継体さんを使って思わぬ方向にいっていそう。
多分八幡神が復活したのならば継体さんは味方になってくれるはず、信念は通す方でしょうから。
今現世でも思う分相応か分不相応か?それを親でも先祖でもなく自分で考えたら行動も変わるし、スムーズに楽しく過ごせるはず。
相応しい人が相応しい立場にいかないといけませんね。うららさまはまだまだ進化して行くと思います。私はずっと見守ります。
ストーカーに思ったら警察署長の通告してくださいね(笑)7494
拙ブログで、坐摩神社で検索したページです。
そのページの一番最初がこの記事となり、興味はここから発しました。
継体天皇のゆかりの福井、今年元旦に行ったのにツアーだったからちゃんとフィールド調査できなかった。
滋賀県高島もそのうちにまた行きたいところです。
今ココにいることに重きを置き過ぎると後回しになって、いつまでたっても堂々めぐり。
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/s/%E5%9D%90%E6%91%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE