このねぶたは、三沢の古牧グランドホテルに飾られていました。
この前で夜8時半から30分間、津軽三味線と民謡を楽しむことができました。
下のねぶたは下北半島むつ市の名産センター北彩市場にありました。
「眠(ねむ)たし」に由来するという説が有力で、
秋の収穫期を前にして、労働の妨げとなる睡気を祓うために七夕の行事の「眠り流し」が現在の「ねぶた」になったという。
勇壮なねぶたや戦うような掛け声からすると、
坂上田村麻呂が征夷大将軍として東北に遠征した際に、大灯籠や笛・太鼓で敵をおびき寄せたのが起源とする説のほうが正しいような気がしてくる。
三内丸山遺跡には行けませんでしたが、
高度な縄文文化が栄えていた東北地方に、仏教と稲作を持って日本制圧しようとした大和朝廷との戦いが根底にあるような。
東北の風土を見ていると、なぜか懐かしく思われるのは、原日本人の風景がここにあるからかもしれません。
気候変化の影響により、やむなく稲作を受け入れてからも、 日本では森との共生の努力が続けられました。
神社にはかならず鎮守の森がもうけられ、また森を食いつぶす家畜の数はきびしく抑えられ、さらに森を美しく保つことで、栄養分が川から海 に流れ、漁獲を安定させるという「魚付き林」が維持されました。
共生と循環の世界観のもとで、豊かで平和な平等社会を営む「自然循環型文明」です。
これはユーラシア大陸に発生した「自然収奪型文明」とは根本的に異なります。
日本の縄文時代は戦争のない平和な平等社会であったらしい。