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秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

崩れ行く日本の教育・青少年の健全育成を願って

2006-11-11 | 保護観察

毎年11月は全国青少年健全育成強調月間なんだそうです。
昭和53年から内閣府の主唱で、各地でさまざまな取り組みがなされていると思います。

守口市の地元校区では、広報啓発活動の一つとして、青少年育成指導委員会から15団体ぐらいに3名づつの動員がかかりました。

保護司会の校区理事、つまるところ連絡係のパシリなので、超忙しい日々なんだけど仕方なく参加してきました。

小中学校の校長・教頭先生方も一緒に歩きましたが、休日出勤でご苦労様なことで、先生も大変ですね。

  
夜中からの雨で、外に出ている人は少ない。
知り合いの家の前を通ったら、ポストにティッシュを放り込んでノルマを果たしてきました。

啓発運動に使われるパンフレットなどをみるにつけ、こうした莫大な経費、ほんとにこれが有効な使い方なんだろうか、疑問に思えることがしばしばです。

公的機関に置かれている数々のパンフレット。
どれぐらい読まれてるんでしょう?
さして変わらない内容のものを、当然のごとく毎年毎年作成し続けられてるのでは?
印刷屋さんを儲けさせるだけなんじゃあないかなとも思えます。
日本って豊かな国なんですね。

ただこうして町内の方々と顔を合わせることは地域の連帯の第一歩です。

緑のウインドブレーカーを着た人たちは、毎日小学生の登下校時に街角に立って安全に気配るボランテイァをされています。

今晩フジテレビが6時間ほどにわたる特番を組んでいます。
「1億3,000万の国民と考える日本人の品格
いじめ自殺・学級崩壊・崩れ行く日本の教育・・・」
ものすご~くご大層なタイトルがついています。

皆、昨今の事件に心痛ませ、何かお手伝いできることはないかと思っているのも事実ですしね。

仕事帰りに守口市駅横に立つ京阪デパートのクリスマスイルミネーションを撮影しました。
11/1から青いクリスマスツリーが輝いています。

 


再犯率のあまりの高さに・・・

2006-10-18 | 保護観察
性犯罪の再犯率が高いことはよく報じられていますが、現実には、ほんの些細な罪で保護観察になっている人でも、所在不明となったときは再犯に繋がることが多いようです。

今まで担当した保護観察のうち、期間中に所在不明になったものは6名。
そのうち保護観察期間内にまた警察のご厄介になった人は5名です。

実は数日前にも再犯発覚。
先週金曜の夜、捕まり現在留置場の中に居ます。

21歳女性、彼女と最後に会ったのは去年の12月です。
今年の2月初めには所在不明となっていました。

5月に母親が入院して手術をしました。
この時点では母親の携帯に友人宅に居ることだけが伝えられていましたが、顔を見せに来ませんでした。

その後ネットでオンラインゲームをする彼女のハンドルネームから、東京に居るらしいことがわかるのみでした。

今回は、どうやらレストランで働いていて、そこのレジのお金9万円を盗んだようです。

母親はじめ親族は、手癖の悪い彼女を持て余しています。
これ以上尻ぬぐいばかりしていて、ほんとに立ち直れるんだろうか?
しばらくお灸をすえる意味でも、塀の中で矯正してもらいたいと、月曜朝の電話では話しておられました。

それでも母親は昨日、東京へ引受人として向かいました。

楽物乱用や性犯罪だけでなく、万引きしかり、なかなか手癖、生き様は変えれません。

再犯防止を目指す就労支援の現場苦悩。
確かに仕事を探すのは困難でしょうが、どんな仕事でもえり好みせずに、多少は我慢して続けてくれたらなと思います。

大なり小なり、自分には優しい人が多くて、続かないんですよね。

ダメ。ゼッタイ。

2006-10-08 | 保護観察

この10月はじめにも一人の担当終了通知書が届きました。
4年間の刑期で刑務所に入っていましたが、この間順当に懲役を続けたし、刑務所が満員のこともあり、来年2月の満期を待たずに仮出獄となりました。

本来ならば、刑期満了までは担当を続けるのですが、
彼の家族が受け入れを拒否したので、更生保護施設へと帰住地が変更になったためです。

彼に出会ったのは、今から6年前。
覚せい剤がらみの執行猶予3年で、担当となりました。
最初の1年間は毎月顔を見せに来てくれていましたが、その後住所不定となり、また覚せい剤で捕まり、今度は刑務所行きとなっていました。

あの頃すでに40歳。
中長距離のダンプカーの運転手をしていましたが、早朝からノルマがあれば1日の走行距離はかなりなものとなります。
いつしか疲れているのを紛らすために、覚せい剤に手がでてしまいました。

薬物乱用防止を呼びかける啓発用のページをご参照くださればよくわかりますが、

一度だけのつもりがいつの間にか中毒となり、一度しかない人生が取り返しのつかないものとなります。

当時彼の母親はまだまだかくしゃくとしていて、なにかと面倒をみておられました。月に5万円を超える携帯電話料金も支払ったりして経済的にも助けていました。

あれから6年が過ぎ、母親は老いて認知症がでてきました。
彼のお姉さんが一緒に暮らし面倒をみておられます。

また覚せい剤に手を出すかもしれない弟の面倒まではみれません。
すぐに仕事が見つかるとも思えません。
母親の介護を手伝うどころか、日常生活の洗濯や食事の世話でさらに迷惑をかけられては困るというのが姉の言い分です。

保護観察所から仮出所の諮問委員会にまで、この意見が通り、更生保護施設への帰住となりました。

住居費がかからない施設に居る間に、仕事を見つけて独り立ちしないといけません。
もうすでに40歳代後半です。
学校でたての青年ですら、派遣やバイトなど、フリーターだらけの日本。
はたして定職はみつかるでしょうか?

やけになってまた覚せい剤に手を出さないことを祈るばかりです。


教えてください

2006-10-01 | 保護観察
休日の朝寝を楽しむ予定が、朝7時20分、メールの着信音で目が覚めました。

「今朝飲み屋の人が家に来て訳のわからないことを言われ暴力をふるわれたんです!このまま知らない顔をすればいいのでしょうか?」

昨夜から飲んでて朝帰りしたところを、家の前で待ち伏せされ首締めされたようです。
彼は保護観察下にあり、正当防衛でも手出すとややこしいことになるので、我が家に避難。
現場を父親にまかせて警察に来てもらい、半狂乱状態の飲み屋のママを抑えてもらうことになりました。

昼前に被害届をだそうと守口警察へ付き添っていきました。
刑事課の前の廊下で30分以上私はまちぼうけ。
することがないので廊下と階段踊り場の写真撮りました。

保護観察を担当している青年が8月からある対策に困窮しています。

事の起こりは、飲み屋のつけをため込んでいて、最終的に友人の分と合わせて25万円ほど支払い領収書も持っています。

ところがこの支払いがすんでから、苫小牧市長のように体を汚した慰謝料200万円を9/10までに支払えと脅迫されていました。

このことで相談を受けた時には、あなたに非がないのなら先手必勝で警察に被害届を出そうと提案しました。
しかし仕事の関係で大阪を離れていたため、すぐに出向く時間がありませんでした。

その後何もせずに9/10を過ぎたので、飲み屋のママは彼の祖父母のとこへ、家を売ってでも500万円を支払えと押しかけてきたらしい。

心配した祖父母や父親からではなく、しばらくして友人からその事実を知ったそうです。

そして今朝の事件が起こりました。
飲み屋のママは強姦されたと息巻いていますが、彼の言い分によれば、つけのたまっているのをちらつかせ体の関係を迫られた。
閉店後の店で関係を結び、そのあとママの運転する車でホテルへ行った。

これって強姦ですか?

でもこれを刑事さんに話しても、ママが被害者であるかのような口調です。
強姦されているのならそのような態度に出るのもやむをえないといった調子です。
そのうちその女性が被害届を出すといってるから、弁護士に相談しとくといい。

彼の家族が脅迫されていることに対しての被害届は受理してもらえませんでした。
何度も何度も嫌な目に遭わないと事件として認知してもらえないようです。

やっとこさ、脅迫メールを撮影して記録に残してもらえました。

このあと彼、そしてサポートする私がとるべき手段は何があるのでしょうか?

階段踊り場の大きな鏡の脇にこんなことが書かれていました。

   心は形に表れ形は鏡にうつる
  鏡によって形を整え形によって心を正そう
   

裁判員制度

2006-09-12 | 保護観察
保護司会では毎月定例会が催されます。
年に4回は保護観察所から規定の研修、そして2回は各地域で独自の研修会をすることになっています。

9月の定例会は、裁判員制度についての研修会でした。

最初1時間ほどのビデオを見ました。
中村雅敏が裁判官で、西村雅彦ら6人が裁判員に突然任命されて、裁判で評決が決まるまでの葛藤を描いたものでした。

なかなかよくできた啓発ビデオでした。

ずっと昔、アメリカ映画で「12人の怒れる男」というのを見ました。
今でも断片的にヘンリーフォンダの姿やさまざまなシーンが蘇ります。

裁判員制度と陪審員は異なりますが、この機会にまた見たい映画です。

ご覧になってない方のために、あらすじはまたよそからコピペしてきました。

「ニューヨークのある法廷に、殺人容疑の少年の裁判の陪審員として召集された12人の男達。
最初の投票で11人が有罪と認める少年の犯罪に、1人の陪審員が疑問を持つ。
彼は議論と説得を重ねながら、残り11人の陪審員たちを説得してゆき、最後には全員一致で判決を無罪に導く。
民主主義の本質ともいえる陪審員制度をエキサイティングかつ感動的に描いた硬派なディスカッション・ドラマ」

自分自身が納得できる意見を持つことの大切さと、
納得いくまで議論し尽くすことの素晴しさ。

はたしてデスカッション苦手な日本人にやりこなせるだろうか?

今日の研修会で疑問に思ったこと。
①なぜ裁判員制度を導入するのか、という質問の答えがうわべだけの薄っぺらなもの思えるのはどうしたことだろう?

②死刑とか無期懲役になるような大事件が対象になるらしいけれど、そんなに世間をさわがすような大事件を、一般人を交えてスピードアップの2,3日でかたづくのか?

③選挙人名簿から無作為に選ばれるとかで、70才以上、学生など辞退できる人の規定はあります。
該当者で正当な理由なく出頭しないと、10万円以下の過料が科されるそうです。
入院するほどではない心身状態のよくないとき、医者の診断書などを提出するんだろうか?

まだまだ3年先だとピンと来ない人がほとんどでしょう。
たぶん見切り発車されるんでしょうけど、かなりの人が困惑すると思いました。

♪千の風になって

2006-07-20 | 保護観察

作者不明の英語詩を、作家・新井満が日本語詩にした“死と再生の詩”です。大切な人をなくしたときに、悲しみをいやしてくれるのは、この詩かもしれない、と内容紹介に書かれていました。

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 
眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

              

この春地区保護司会を75歳の定年引退されたM先生。
松花堂と、そのお近くに引越しされたお家へお招きいただきました。

先生は1年前にご主人を亡くされました。
そのつらいさびしい思いを、この「千の風になって」のCDが癒してくれたそうです。

歌人の吉井勇氏は戦後、この八幡の地に数年暮らしました。

「昭乗といへる隠者の住みし庵 近くにあるをうれしみて寝る」

松花堂の入り口にある歌碑の前で記念撮影しました。


殺人事件の動機

2006-06-30 | 保護観察
つい最近のニュースで大きく取り上げられているもので、リンチで生き埋めにした残酷な事件。これからおいおい動機などが詳しく調べられていきますが、ほんとにありえへん、むごい殺人ですよね。

保護司を拝命して10年、まだまだペーペーですから、殺人犯を担当したことはありません。

たまたま受け持ったのは、リンチ事件にかかわって保護観察になった事犯。
もしあの時被害者が絶命していたら塀の中でしょう。

なぜそんなことになったかを聞くと以下のようでした。

グループで遊んだ帰り、友人の彼氏の車で家まで送ってもらうことになったが、その途上で、頼みがあるねんといわれたらしい。
ある男をしばくのに、呼び出す役目を果たしてほしいと。

途中で降ろされたら、また余計な交通費がかかるし、まぁそれぐらいならいいかと簡単な気持ちで引き受けたらしい。

そして男を呼び出し、その被害者がぼこぼこにされるのを見ていた。。。

じゃあなんでその被害者はリンチ受ける羽目になったのかを聞きました。

友人がテレクラでその被害者と知り合い、AV女優になれるよう取り計らってやるからと、無料で嫌なことをされてむかついていたらしい。

ふつうならそれっきりで終わるのに、その男は懲りずにまたその友人にコンタクトを取ってきた。

それで連絡先がわかったから、リンチすることになったんだって。

テレクラや出会い系サイトで簡単に知り合い、匿名の状態でいともたやすく体を許す。
金銭受け渡しがスムーズにいった場合はそれで完結するけれど、そうでない場合は腹の虫が収まるためならなんだってするのかも。

今般の事件でもリンチに繋がった動機が、長年蓄積した恨みつらみではないような…

もうすぐ締め切りやのに・・・

2006-05-30 | 保護観察
月末は経理の仕事も立て込んでいるのというのに、保護観察も報告書の締め切りがやってきます。このごろとみに月日の流れが早く、1ヶ月たつのはあっという間です。

保護司の仕事は、保護観察と環境調査の2種類の仕事があり、どちらも報告書提出が義務付けられています。

環境調整とは、いま刑務所や少年院などの塀の中に入っている人が、仮釈放で出所してきた時に備えて、引受人の元へ出向き調査し報告、これが仮釈放の際の判断の材料の一つとなります。

保護観察には種類があり、それほど大きな罪でなくて保護観察処分に付された少年が1号観察、次に少年院から満期以前に仮出院してきた少年を2号観察と呼んでいます。

3号観察は刑務所を仮出獄してきた成人、最後に塀の中に入らずに社会内処遇といって執行猶予になった成人です。

保護観察経過報告書は毎月、何日に会ってこんなことを話したとか、仕事は頑張って行ってるとか、家を訪問したら家族がこうだったとか、などなどを記載します。

今は3人を担当していますが、悲しいかな、2人が連絡つきません。

一人は去年暮れから会ってなくて、母親は今月半ば足の手術をしたのでお見舞いに行きましたが、本人とは連絡がとれません。
2月から所在不明です。

もう一人は先月まで気持ちよく面談できてたんだけど…
4月下旬の深夜、「相談したいことがあるんですけど、迷惑ですか」というメールを受信。

翌朝気づいてすぐに返信したけど、その後応答なし。
今月の報告書を書くにあたり、携帯に電話をかけたけど、「お客様の都合によりお繋ぎできません」

いつぞやの事件おこした青年が、保護観察中にもかかわらず所在不明云々ということがニュースで報じられていました。

これはほんとによくある話。
この10年間に担当した事犯のなかで、途中で所在不明になった人がどれぐらいいたことか。

そして所在が判明した時はたいてい次の事件をおこしていることが多い。
何も問題なければ、たいてい顔を見せに来てくれます。
それだけにものすごく心配しています。

この仕事をしていて、もう一つ大きな特徴は、担当者の携帯電話番号がすぐに変わることです。

番号変えたら、皆に知らせるの大変やからというのが世間一般の通念です。

しかし彼らはすぐに変わります。
携帯使用料が払えなくて止められたり、仕事によっては携帯を使い分けていたり、番号を変えることがなんともないのです。

そのたびに登録を変更して、いったいどれがいきてる電話かわけがわからなくなることもしばしば。

ずぅ~と同じ番号で、きちんと来てくれるようになったときが卒業です。

初めてのお稽古

2006-05-14 | 保護観察
一つの記事に画像を2枚アップする方法をマンデーさんに教えてもらいました。ブログ初めて1年が過ぎて、遅ればせながらやっとわかりました。今日はその初めてのお稽古。

今日は母の日。
母から婆への移行中のおばちゃん達のお昼の寄り合いがありました。この5月に75歳で定年を迎えられた保護司を囲んでのお食事会です。

玄関でさりげなく飾られていた薔薇が素敵でした。

今日の会場は、お寺さんなので庭の木々が瑞々しい。
大きなイチョウの木が守口市の保存樹木に指定されているそうです。


太い幹の周りまで新芽がでています。
指定木には年間5,000円ぽっきりが支給されるんだって。

剪定には特別な庭師に来てもらわないといけないし、枯らしたらいけないし物入りだそうです。

藤の花

2006-04-25 | 保護観察
保護司仲間のおうちの庭で藤が花をつけたから、一緒にランチはいかがとお招きいただきました。50年ほど前に植えられた藤の木が、6畳ぐらいの広さに広がって見事でした。

日本には藤という漢字のつく苗字が結構多い。
藤川、藤本、藤原、…、加藤、近藤、佐藤、…
家紋で藤をモチーフにしたものは26例、地名にも多いそうです。

一応調べてみたら、マメ科蔓性の大木となり、日本原産だって。

枕草子には、
花も糸も紙もすべて、むらさきなるものはめでたくこそあれ、とあります。

古来、日本人にとって藤の木は身近なもので愛すべき対象だったのかもしれない。

最近は桜が異様にもてはやされてますけど、
それほど藤をめでるバスツアーも聞かないし、庭に植えられてるのもそれほど見ませんね。

前置きが長くなりましたが、
この木のある女性保護司のおうちは守口でも有名な旧家の本家です。
そこに嫁がれて長い間嫁として耐え忍び今日があります。

息子さんお二人おられ、時同じくして、1997年に二人の息子の命を助けていただいたという話を聞きました。

1997年1月阪神大震災がありました。
次男がちょうど神戸大学在学中で、六甲で下宿されていたそうです。
被害の大きかった六甲で、キズ一つなく助かったそうです。

そしてその春3月にオーム真理教のサリン事件。
あの朝、東京で働いていた長男から電話がかかり、「僕は死んでへんで」といわれ、なんのことかさっぱりわからずにいると、催促されるままテレビをつけてびっくり。

いつも通勤で利用している同じ地下鉄にたまたまその日は乗車しなかったので、難を逃れたとか。

ご先祖様か神様かわからないけど守って下さったと感謝しているそうです。

一族が同じ地所で暮らし、いろいろ問題がないわけあるまいし、
この立派な藤をみて、その婦人と重ねあわせていろいろ思いをめぐらした食事会でした。

携帯電話とカメラは持ち込めません

2006-02-08 | 保護観察
この立派な建物は神戸刑務所。日本標準時間となる子午線、東経135度が通っている兵庫県明石市にあります。

今日の大阪は雨降りだったし、西明石駅からバスに乗らないといけないところにあるので、2時からの面接に車で出かけました。
守口から約70km、12時20分に出たのに到着したらちょうど2時でした。

今から5年ほど前に、覚せい剤事犯で4年の執行猶予となったAさんを担当していました。
1年半ほど過ぎて行方不明となり、3年前に捕まって神戸刑務所に。

塀の中に入っている間は、環境調整といって、身元引受人と連絡をとります。
この5年の間に、お母さんは高齢となり、介護認定4です。
面会に行きたくともままなりません。

そんなこんなで、今回の面接の運びとなりました。
こんな形で再会するのは悲しいことです。

最近は刑務所はどことも満員です。
「寒さもつらいだろうけど、人口密度高くて大変じゃない?」
と聞くと、入所して1年間はそうだったけど、今は独房なんでとのこと。

「あばれたの?」
いいえ、長いこといると順番に独房に入れるんですと言っていた。

Aさんは数キロ痩せたとかで、体は絞れてまぁ元気そうでした。
現在46歳、めっきり白髪も増えて、なぜか前歯が上も下も半分抜けたまま。
いろいろあったんだろうなぁ~

面会を終えて、ロッカーに預けた携帯とデジカメを取り外に出ました。
写真撮るのも憚られ、駐車場からこそっと写しました。

パーティ ウェアー

2005-12-06 | 保護観察
普段はユニクロのパンツにフリース。いたってカジュアルウェアーで、年々少しでも楽な服や靴を身に着けるようになってしまいました。

仕事をする時も大阪市内に用事で出かける時も、国内外の旅行も、いつも着る服に大差なく、昔の「よそいき」「一張羅」といった服にトンと縁がなくなりました。

ヒールの高さのある靴を履くのは冠婚葬祭ぐらいでしょうか?

ただ保護司を拝命してからもうすぐ10年になりますが、この会合に出る時だけはそれなりに気を使って身づくろいします。

刑務所や少年院を訪問するときは、あまり女性を感じさせない色やデザインのカチッとした洋服を選びます。

月に一度の定例会や研究会も一応まじめそうに見える洋服で出かけます。

ところがこのボランティア団体は、年輪を重ねた生活においといのない方がほとんどなので、ここ一番のときは皆さんきらびやかです。

30年も続ければ勲章ももらえたりしますから叙勲のパーティもあります。
年末にはこの1年の褒章を受けた人の祝賀会が催されます。

守口市は60人ほどの定員で、75歳定年ゆえ毎年数人は入れ替わる程度。
いつも同じメンバーなので、他人はぜんぜん覚えていないかもしれないけれど、やっぱり同じ格好で行くのは憚られます。

今年は4(日)夕方5時から、氷雨降る中近くのホテルまで出かけました。
苦心惨憺して選んだ洋服は、黒のアンゴラ混紡のシンプルなワンピース。

毎夜のビールで隠せなくなったお腹をごまかすために、ウェストラインにベルトの代わりにロングスカーフをよじって巻き結び先を垂らしました。
結び目にパール付イヤリングを飾りに留めてみたら結構いけてる。

今年はやりの大き目のパールネックレスをアクセントにしました。

年配の女性はもとより、おっちゃんにも大好評でした。
明日にでも写真とって載せましょう。


やさしさ・温かさに飢えた子供達

2005-11-22 | 保護観察
奈良と大阪の間に横たわる金剛山地の山間に、大阪府立の児童自立支援施設があります。
明治40年創立後、大正12年にこの地に移転されました。

今日は保護司会の研修で見学に行きました。

小・中学校で親や先生の手に負えない子供達90人ぐらいがここで生活しています。
塀のない開放処遇といわれ、逃げるのは簡単です。

昔は逃げた子供は地元に戻り、連れ戻すのも簡単だったらしいけれど、ここ数年は都会の風俗界隈に隠れて見つけ出すのが困難になったとか。

この施設では、勉強を教えてくれる先生が、寮長となり寝食を共に暮らしています。
イチョウの大木の後にあるひとつの宿舎を写しました。
生活と教育を一体化させることで成果をあげ、子供達は変わっていくそうです。

ところが、やがて家庭に戻ると、親は前と一緒で変わりませんから、あっという間にまた元の悪がきに戻ってしまうことが多い。
崩壊した家庭の子供や、児童虐待の比率も非常に高いとのことです。

やさしさに飢えた子供達は、成人するまでにいとも簡単に子供を作り、また同じ繰り返し…

おとうさんと一緒 

2005-10-15 | 保護観察
大好きなお父さんとお母さんと一緒で、家族として一番幸せな時かもしれない。ダンボール箱の自動車にのり、トンネルに見立てたタオルケットの下をくぐるだけでもおおはしゃぎ。  
               

せっかく参加されたお父さんとのスキンシップをはかるため、
肩車や飛行機、腕立て伏せの下をくぐったり、
おもちゃや特別な道具を使わずに、こんなに楽しく遊べるんだぁ

市民保健センターの、子育て支援・父親参加のあそびの広場に行ってきました。
幼児の健全育成をサポートするため、
平成14年6月から相談だけでなく、様々な催しが企画され多くの親子が参加されています。

9月のある金曜日に行ったときは、100組を超える若いお母さんと乳幼児が来てびっくり。
空調のきいた室内で、保母経験のあるサポーターに遊んでもらって、お母さん達同士は交流をはかる…

これも時流?

こうした場所に出てこれる親子は幸せです。
ほんとに問題のある家庭は深く人知れず潜行していますから。

あまりに悲しい少年事件の多発で、地域の連携と関係機関の協力が要請されています。
中学校区の小・中学校、公民館運営委員、青少年指導委員、様々な人たちが年に数回会合をもって話し合います。

時間にゆとりのあるシニア世代で、登下校時に校門や通学路の四辻に立って挨拶運動をしている方も大勢おられます。

こうしたボランティア活動をみていると、
まだまだ日本は捨てたもんやないなぁと思います。

執行猶予

2005-10-05 | 保護観察
罪を犯しても塀の中に入っての懲役にならずに執行猶予となると、一般社会の中で刑期が終わるまで保護観察がつきます。
約束の一つ、毎月1回は保護司のもとへ来訪しなければなりません。

たいてい2~3年お付き合いが続きます。
月日の流れるのは早いもので、あっという間に期間満了の日を迎えるのが常です。

この9月中旬にも一人無事終了しました。
覚せい剤で逮捕されてから、うつ病とC型肝炎で仕事が出来ず生活保護を受けている30代の女性でした。

覚せい剤事犯は薬から抜けるのが大変で、再犯につながることがよくあります。
保護観察期間中に逃亡、住所不定になってしばらくしたら、また刑務所に逆戻りという事例を1件担当中です。

苦しいとき、嫌なことがあったとき、得てして薬の力に頼ってしまう脆さが一般人より強いのかもしれません。

彼女の場合は覚せい剤には手を出しませんでしたが、万年金欠病です。
10万円を少し超えた生活保護費は、家賃と携帯代とで殆どが消えてしまいます。
これらをもっと節約したらいいとは思うのですが。
昨日から電気が止まっているとか、ガス代もないので朝から何も食べていないとかでよく泣きつかれました。

おまけに精神的に不安定ですから、リストカットした傷はたくさん残っています。
同棲している時は、彼氏とけんかして窓ガラスを拳で割って怪我をしたこともありました。

ほんとにお金に困って、地方の旅館住み込みで働きに行った時もありましたが、1週間と経たないうちに戻ってきました。
体も弱いけれど心はもっと脆弱。

担当は終了したけれど、この先どうするんだろうと思うと不安になります。
数年間の保護観察が彼女の更生の役に立ったんだろうか…

不幸の連鎖から抜け出すにはどうしたらいいのか。

己こそ己の寄るべ、己をおきて誰に寄るべぞ
良く整えし己こそまこと得がたき寄るべなり

自ら悪をなさば自らが穢れ、自ら悪をなさざれば自らが清し
清きも清かざるも自らのことなり、他のものによりて清むることを得ず

こうしてみたらとか、こんな考え方もあるよ、ぐらいは言えても、
結局は自分の人生は自分で歩かざるを得ません。