蓮舫の7月18日二重国籍問題記者会見:自身を「多様性の象徴」と言う小賢しさと綺麗事満載の自己正当化

2017-07-20 12:48:35 | 政治

 このブログが民進党の現在のゴタゴタに拍車をかける影響力は微塵もあろうはずはないが、野党第一党の代表に対してこれ以上の蓮舫批判を加えることは安倍政権の日本の政治の舞台からの一刻も早い降板を願って野党第一党の民進党に頑張って貰いたいと思っている心情と相反するような気がして差し控えるつもりでいたが、蓮舫の7月18日の記者会見記事を読んで、余りにも自己都合な言葉の数々にたちまち気が変わった。

 特に自身を「多様性の象徴」と言って自己を正当化している問題のすり替えに、正直、ムカついた。

 蓮舫が今回戸籍謄本を公開することになった発端は昨年の2016年9月の民主党代表選挙選に正式に出馬表明した2016年8月末頃からか、一部から日本国籍と台湾籍の「二重国籍」になっているのではないかと指摘を受け、当初は二重国籍を否定していたことに対して9月15日投開票(9月2日告示)2日前の2016年9月13日に国会内で記者会見を開いて、台湾当局への確認によって台湾籍が残っていることを明らかにしたが、それまでは「17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をした」と主張し、記者会見でも、「台湾籍を抜く作業をした認識でいた」、いわば抜いたと思い込んでいたとする言葉や国籍に関するその他の言葉に対する信用性が問われたからであって、結果として蓮舫自身が事実関係を証明するために戸籍謄本を公開せざるを得なかったからに過ぎない。

 次の記事が7月18日の記者会見で蓮舫が明らかにした各書類とその日付を列記している。正確を期すために全文を参考引用しておく。文飾は当方。

 【蓮舫氏「二重国籍」会見】戸籍謄本の一部を公開 「台湾籍有していないと分かる資料」と強調産経ニュース/2017.7.18 17:05)     

 民進党の蓮舫代表は18日夕、党本部で記者会見を行い、台湾籍と日本国籍との「二重国籍」問題をめぐり、日本国籍の選択宣言をしたことを証明するため戸籍謄本の一部など関係書類を公開した。「台湾籍を有していないことが分かる資料だ」と強調した。

 蓮舫氏は、日本国籍の選択宣言日が「平成28年10月7日」と明記された東京都目黒区役所発行の戸籍謄本▽台湾の行政府が発行した台湾籍の離脱証明書▽今回離脱手続きのため台湾側に提出した台湾のパスポート-など数点を公開した。書類はいずれも写しだった。

 このうち、公開した戸籍謄本は住所や家族の欄は白抜きとし、氏名と出生日、国籍選択の宣言日が分かるようになっている。謄本の取得日は今年6月28日となっている。

 公開した書類によると、蓮舫氏が台湾籍の離脱手続きを申請したのは昨年の9月6日だった。同月13日に台湾側から「国籍喪失許可証書」が発行され、同月26日に目黒区役所に「外国国籍喪失届」を提出した。しかし、日本政府が台湾を国家として認めていないことなどを理由に、申請は翌10月7日に却下され、同日中に戸籍法104条の2に基づき、日本国籍の選択宣言を同区役所に届け出た。

 以上明らかにした各書類と日付、これまでに経過してきた事実、そして蓮舫の生年月日等を時系列で改めて記してみる。

 ●蓮舫 1967年〈昭和42年〉11月28日生まれ。

 ●昭和60年 蓮舫17歳、日本国籍を取得

 ●2016年8月5日 蓮舫、民進党代表選(9月2日告示・9月15日投開票)のに正式に出馬表明。

 ●2016年8月末 代表選を控えて日本と台湾の二重国籍問題が指摘される。 

 ●2016年9月6日 台湾籍の離脱手続きを申請 

 ●9月12日 台北経済文化代表処より、台湾籍が残っているとの連絡を受ける。

 ●2016年9月13日、国会内で記者会見 

 蓮舫「すいません。朝からお集まりいただきました。先般来、私の国籍のことでお騒がせしていますがが、これまでのご説明したとおり、17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識で今に至っていましたが、台湾当局に私の籍の確認をしていたところ、昨夕(2016年9月12日)、(台北経済文化)代表処(だいひょうしょ・事実上の在日台湾大使館)から連絡があり、私の籍が残っていたということを受けましたので、改めて報告させていただきます。

 その上で、17歳のときに私が日本国籍を選択して、台湾の籍を父とともに抜いたという認識は今にいたっても同じでありましたが、17歳当時の私の記憶の不正確さによって、さまざまな混乱を招ねきましたことは、本当におわび申し上げたいと思います」

 ●2016年9月15日 民進党代表選投開票 蓮舫、代表に選出される

 ●2016年9月23日、台湾側当局から2016年9月13日発行の「国籍喪失許可証書」受領

 ●2016年9月26日 目黒区役所に「外国国籍喪失届」提出

 ●2016年10月7日 目黒区役所、日本政府が台湾を国家として認めていないことなどを理由に申請却下

 ●2016年10月7日、戸籍法104条の2に基づき日本国籍の選択宣言を同区役所に届け出。

 ●2017年が7月18日、記者会見を開いて戸籍謄本その他の書類を公開

 先ず疑問に思うことは蓮舫に二重国籍問題が指摘された時点で公党の代表を目指す政治家として自身の記憶だけを頼りに二重国籍を否定するのではなく、事実を以って否定するために台湾当局に確認しなかったのだろうか。

 記憶は自身にとっては事実足り得ても、他者にとっては必ずしも事実足り得ない。特に17歳のときの自身が直接行ったことではない、父親が行ったことの記憶なのだから、自身の記憶を事実ではないとしている指摘に対しては他者も納得できる記憶ではない事実を以って対抗することが最も有効であるはずだが、台湾籍が残っている確認を取ったのが2016年9月12日で、台湾側は確認するだけだから、そんなに日数はかからないはずだから、照会したのは9月10日か11日。

 2016年8月末に二重国籍の指摘を受けてから10日近くも経過してからであって、その不用心は常識では考えることができない。

 蓮舫は2016年9月1日に「産経新聞のインタビュー」を受けて、二重国籍について質問を受けている。    

 記者「出身の台湾と日本との『二重国籍』でないかとの報道がある。帰化していると思うが…」

 蓮舫「帰化じゃなくて国籍取得です」

 記者「過去の国籍を放棄し忘れているのではないかという指摘だ」

 蓮舫「ごめんなさい、それ分かんない。それを読んでいないから」

 記者「国籍法が改正されて、22歳までは日本国籍があるけども、そこで選択を迫られ、残った国籍は速やかに放棄しなければいけないという規定がある。それをしているかどうかという記事が出ている。首相を目指すのであれば、仮に台湾籍があるならば、ネックになると思うが」

 蓮舫「質問の意味が分からないけど、私は日本人です」

 記者「台湾籍はないということでいいのか」

 蓮舫「すいません、質問の意味が分かりません」 (完)

 蓮舫はそれでも確認を取らず、唯一自身の記憶を事実と見做していた。ところが、記憶は事実ではなく、記憶間違い、架空の事実に過ぎなかった。いわば事実誤認した記憶を唯一の拠り所として二重国籍でないと主張していた。

 この迂闊さは計り知れない。

 もう一つの疑惑。2016年9月6日に台湾籍の離脱手続きを申請した。だが、2016年9月13日の国会内で記者会見では、「台湾当局に私の籍の確認をしていたところ、昨夕(2016年9月12日)、(台北経済文化)代表処(だいひょうしょ・事実上の在日台湾大使館)から連絡があり、私の籍が残っていたということを受けましたので、改めて報告させていただきます」と発言している。

 時系列から言うと、先に台湾籍離脱手続きの申請を行い、6日後に台湾当局から台湾籍が残っている報告を受けたことになる。常識的には残っているかいないかの照会が先で、残っていたらなら離脱手続きの申請、残っていなければ、二重国籍でないことの公の表明で済むはずだ。

 蓮舫は今回の記者会見で「9月6日に台湾籍の離脱手続きを申請した」とは発言していない。「台湾籍が残っていたことを確認した後に、速やかに離脱手続きを行った」とのみ発言しているが、公開した離脱手続き申請書に2016年9月6日の日付が入っていたのだろう。他の記事でも確認したが、2016年9月6日の申請となっている。

 この時系列の逆転は蓮舫の言葉の信用性を著しく傷つけることになるはずだ。

 今回の記者会見の蓮舫の冒頭発言。

 蓮舫「本日、私がすでに台湾の籍を有していないことが分かる戸籍の一部を含めた関連の資料をお示しした。本来、戸籍は開示するべきではないと思っている。また、誰かに強要されて戸籍をお示しするということはあってはならないことだというのは、まずもって申し上げさせていただきたいと思う。

 ただ、私は野党第一党の党首として、発言の信頼が揺らいでいることがあってはいけないということ。それと何よりも現政権に対して強く説明を、責任を果たすように求める立場であることを勘案して、今回、戸籍の一部も含めたその他の台湾籍を有していないことが分かる資料を公表させていただいた。ただ、これを他者に当てはめたり前例とすることは断じて認めることはできない。このことは冒頭に強く申し上げさせていただきたいと思う。

 本日、資料でお示しして確認できる事実関係だが、昨秋からご説明している通りであり、これまでの説明と全く相違はない。1985(昭和60)年の改正国籍法施行によって、私は17歳のときに届け出て日本国籍を取得した。あわせて台湾籍放棄の手続きを父が完遂してくれていたと理解していた。昨年指摘をいただくまで、台湾籍を持っているとは考えたことも思ったこともなかった」

 この冒頭発言で蓮舫自身に関係があるのは、「私は野党第一党の党首として、発言の信頼が揺らいでいることがあってはいけないということ。それと何よりも現政権に対して強く説明を、責任を果たすように求める立場である」と発言していることと、「本日、資料でお示しして」以降の発言だけである。

 誰かに強要された戸籍の不当な公開であるかのように言っていること、さらに「これを他者に当てはめたり前例とすることは断じて認めることはできない」ことだと言っていることは今回の戸籍の公開とは一切関係ない。

 戸籍の公開は国籍に関する自身の言葉の信用性が疑われて戸籍以外に信用性を証明する方法がないことから迫られた受け身のものであるはずだが、その経緯を無視して、今回の公開とは無関係の戸籍公開の非正当性を言い立てることで、戸籍に関わる自身の言動のすべてを正当化しようと小賢しいばかりに綺麗事を言っているに過ぎない。

 冒頭発言で既に狡猾にも奇麗事満載の発言となっている。

 戸籍の公開が自身の言葉の信用性から発した受け身のものである以上、次の発言も小賢しいばかりの綺麗事となる。

 蓮舫「戸籍はすぐれて個人のプライバシーに属するものだ。戸籍の一部とはいえ、選択宣言の日付を公表することに私は一貫して慎重だった。特に選択宣言、その日付が記されたページは、私に関する情報が載っているものではなくて、私の娘と息子に関する記述のあるページだ。そのことからも、この戸籍の一部を公開することに対して私は慎重だった」

 蓮舫自身の言葉の信用性が問われて、言葉の信用性の証明のために戸籍を公開せざるを得なくなった。自身も冒頭発言で言っている。「私は野党第一党の党首として、発言の信頼が揺らいでいることがあってはいけない」と。

 だが、戸籍の公開を招くことになった経緯、自分の言葉の信用性が問われていることには一切触れずに「戸籍はすぐれて個人のプライバシーに属するものだ」とか、「私の娘と息子に関する記述のあるページだ」と批判の感情で取り上げて、ここでも今回の戸籍公開とは無関係の戸籍公開の非正当性のみを主張していることは明らかに綺麗事の部類に属する。

 蓮舫「他方で、私に台湾の籍が残っているのではないかと指摘され、私が手続きを分かっておらず、高校生のとき以降考えたことのない台湾籍について、記憶に基づいて話したことによって、不安定な印象を深めてしまった。それを払拭することなく、『私は正しい』として、ときの政権に対して『間違いをただしてほしい』『説明を果たしてほしい』と求める姿は説得力に欠ける。この判断が資料の開示につながったことを、ぜひご理解いただきたいとお願いする」

 台湾籍を抜いたのは自身が直接したのではなく、中国語が分からない自身に代わって父親が行ったという記憶である以上、二重国籍を指摘されたとき、「公職選挙法」によって二重国籍者は被選挙権の有資格者たり得ないと規定されている以上、自身で記憶が事実か、事実誤認か確認しなければならなかったはずだが、それを1カ月以上怠っていて、日本国籍の選択宣言は2016年10月7日に行ったものの、この経緯を明らかにしたのは1年近く経過した一昨日の7月18日の記者会見のことだから、言葉の信用性がないままに政権の是非を問うのは「説得力に欠ける」から、「この判断が資料の開示につながった」と言っていることは、これも巧妙狡猾な綺麗事に過ぎない。

 次の発言は悪臭さえ臭い立つ最悪の言葉となっている

 蓮舫「今回、選択宣言の日付を公開し、台湾籍が残っていないことをお伝えしたが、こうした開示は私で最後にしてもらいたいと思う。全て国民は法の下に平等だ。人種や性別、社会的身分などで差別をされてはいけない。親や本人、子供の国籍、髪や肌の色や名前や筋など、日本人と違うところを見つけて『違わないということを戸籍で示せ』と強要することがない社会をしっかりとつくっていきたいと思っている。多様性の象徴でもある私が、自らの経験をもって差別を助長することのない社会、多様性を認め合う共生社会を、民進党代表としてつくっていきたいということを最後に強く申し上げたいと思う」

 蓮舫が公党の代表を目指す政治家として、そして公党代表となった政治家として、時と場合に応じて日本の首相になるかもしれない可能性から見て、二重国籍者であるかどうかが問われたのであって、「全て国民は法の下に平等だ」と言った問題でも、「人種や性別、社会的身分などで差別をされてはいけない」と言った問題でも、「親や本人、子供の国籍、髪や肌の色や名前や筋など、日本人と違うところを見つけて『違わないということを戸籍で示せ』と強要する」と言った問題でもない。

 これらの多くが反対することのできない正当性を並べ上げることで言葉の信用性を取り上げられた自身をも正当化しているに過ぎないのだから、綺麗事の正当化に過ぎない小賢しいばかりのレトリックとなっている。

 「多様性の象徴でもある私」と言っている。

 確かに蓮舫は台湾人と日本人の血が流れている。人種的には、あるいは民族的には“多様”と言うことができるが、異なる人種、あるいは異なる民族を一つ身体に持つ人間はゴマンと存在する。

 いわば単に民族的に、あるいは人種的に“多様”と言うだけのことであって、それが真の“多様性”の域に達するためには自分の中で生きている民族的に、あるいは人種的にそれぞれに異なる血から自らの優れた可能性を見い出し、その可能性を、例えほんのささやかなものであっても、何らかの思想や行動原理に昇華しなければならない。

 ほんのささやかにであっても、何らかの思想や行動原理に昇華することができない、異なる血を持っているだけという“多様性”は形だけのものとなる。

 当然、日本人の血しか持たなくても、父母の血や祖父母の血から、あるいは後天的に触れた他者の生き方や考え方から自らの可能性を紡ぎ出して、その可能性を何らかの思想や行動原理に昇華して“多様性”を獲得していく人間も存在するのだから、異なる血を持った人間だけに限られている“多様性”ではない。

 また「多様性を認め合う」という言葉は、それ外国人であっても、ハーフであっても、あるいはLGBTであっても、身体障害者であっても、それぞれに何らかの可能性を有しているのだから、自分とは異なる存在だからと言ってその可能性を排除せずに相互の可能性を尊重し合う関係性を築かなければならないことを言っているはずだ。

 当然、蓮舫が台湾人と日本人の二つの血を持っていることを理由に自身を「多様性の象徴」に祭り上げるについては二つの血から自らの優れた可能性を見い出して、その可能性を、例えほんのささやかなものであっても、何らかの思想や行動原理に昇華して、それを実際行動として具現化していなければならない。

 蓮舫はそれだけの政治家、公党の代表となっているのだろうか。言葉の信用性を疑われる「多様性の象徴」とは至って逆説的で、あり得ない。自身を何様だと過大評価しているようだ。

 小賢しさと綺麗事満載の自己正当化と言い、自身を何様だと見立てた過大評価と言い、悪臭プンプンの鼻持ちならなさだ。

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