安倍晋三は都議選応援演説で野党転落時の「原点」――国民目線に立った政治に戻ることができなかったと告白

2017-07-02 12:03:57 | 政治

 ――賢い上に謙虚な人間は自らの過ちは時間を置かずに気づき、その過ちを直ちに修正できる。過ちを時間が経ってから口にする反省は信用できない。賢さも謙虚さもない人間は同じことを繰返すからだ―― 

 安倍晋三が6月30日の東京都小金井市の小学校で行った自民党候補の応援演説を「産経ニュース」が伝えている。性懲りもない相変わらずの内容に驚いた。      

 「政権を取って4年間で185万人雇用をつくった」、「8年間、ずっと減ってきた正規雇用をマイナスからプラスに増やし、79万人増えた」、「相対的貧困率は改善し、子供の相対的貧困率は2ポイントも下がった」と良好な統計だけを持ち出してアベノミクスを自慢している。

 賃金については次のように自慢している。

 安倍晋三「賃金も上がりました。4年連続賃上げ率、今世紀に入って最も高い賃上げが4年連続行われました。『これ大企業だけではないのか』、そんな声も聞こえるんですが、そんなことはありません。

 今年、中小企業の皆さんの賃上げ額は初めて大企業の賃上げ額を上回ったんです。最低賃金も大幅に上がって、そして東京では930円を超えた。パートで頑張る皆さんの時給は過去最高となってきました。間違いなくこのように私たちの経済政策の果実は行き渡りつつあります」

 確かに2017年の賃金動向調査によると全体の賃上げ率は2.08%で、4年連続で2%の伸びとなっているが、伸び幅は2年連続で縮小している。要するに尻すぼみ状態に陥っている不都合な事実は決して口にしない。

 いくら雇用が増えても、賃金が上がっても、それが生活の豊かさ、精神的満足度のバロメーターともなり得る個人消費に回らなければ、さしたる意味はない。

 総務省6月30日(2017年)発表の「家計調査」は先月5月の1人暮らしを除いた世帯別家庭消費支出は28万3056円で、物価の変動を除いた実質で昨年同月を0.1%下回ったとマスコミは伝えていた。

 個人消費に全く勢いのない、いわば生活に豊かさを感じさせないアベノミクスの果実とはまさにパラドックスそのものである。

 大体が1カ月に28万3056円の支出できる世帯がどれ程あるだろうか。あくまでも平均値であって、消費額の高額支出の大部分を担っているのはアベノミクスの円安・株高で大いに潤った富裕層と準富裕層と見ることによって、個人消費の低迷が説明可能となる。

 この根拠として平成26年1月1日から12月31日までの1年間の所得状況を記事にしている《平成27年 国民生活基礎調査の概況 各種世帯の所得等の状況》厚労省)を挙げてみる。   

 28万3056円の支出を1年間続けるとしたら、約340万円。年間収入300万円以下の世帯は34%あり、2015年6月4日現在の全国世帯総数5036万1千世帯のうち、約1712万3千世帯はとてもとても年間約340万円の消費支出は逆立ちしても不可能な世帯ということになる。

 300万~400万の世帯は13.1%だが、月に28万3056円、年間340万円を消費に回すことはできるが、その内貯蓄に回すことができる世帯は、300万~400万世帯13.1%のうちの約半数ぐらいでしかないことになる。

 それも貯蓄できる金額は月に5万円がとこでしかない。年間400万円収入世帯も思いがけない支出に備えて節約に心掛けなければならないはずだ。

 今回の2012年12月から始まったアベノミクス景気は現在も続いていて、バブル期を抜いて戦後3番目の長さだというが、個人消費に向かっていないのだから、実感無き景気と言われている。

 小泉内閣(2001年4月26日~2006年9月26日)時代とほぼ重なって2002年2月から2007年10月まで続いた戦後最長景気も大企業は軒並み最高益を記録したが、賃金は増えず、当然、個人消費は見る影もなく、多くの国民にとって景気という実感を感じさせない景気だと言われたが、アベノミクス景気はその再来に過ぎない。

 要するに安倍晋三はアベノミクスについて言葉でキャンバスのない虚空に向かって演説するときみたいに手振り身振りよろしく一生懸命に景気のいい話を描いているだけでしかない。

 安倍晋三はこの応援演説の最後の方で今国会が政策論争にならなかった理由を述べている。

 安倍晋三「これは『売り言葉に買い言葉』。私の姿勢にも問題があった。このように深く、反省をしているところであります」
 
 今通常国会閉会を受けた2017年6月19日の記者会見でも同じ趣旨の発言をしている。

 安倍晋三「この国会では建設的議論という言葉からは大きく懸け離れた批判の応酬に終始してしまった。政策とは関係のない議論ばかりに多くの審議時間が割かれてしまいました。

 国民の皆様に大変申し訳なく感じております。

 印象操作のような議論に対して、つい、強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として、政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省しております」――

 要するに前々から指摘を受けていた、首相という立場を弁えない再三に亘った「売り言葉に買い言葉」、強い口調の反論、マスコミに指摘され、評判となったキレてしまう態度は国会開会中は改めることができなかった。

 閉会して、つまり国会審議に距離を置くことができて初めて自らを省みることができ、反省を思い至った。

 このことは国会審議に距離を置かなければ自らを省みることも反省もすることもできなかったと言っていることと同じになる。

 自らの過ちは時を置かずに気づき、直ちに態度・発言を修正できる人間は賢さと同時に謙虚さを自らの性格としているからだろう。

 自らの過ちに気づかないまま長い時間修正できずにいて、自分自身の心掛けからではなく、国会審議に距離を置くことができる、自分以外から与えられたキッカケによって初めて過ちに気づいて遅ればせながらに反省するというのは、謙虚さを欠いた賢くない人間のすることだろう。

 こういった人間の反省は往々にして自身の利害からのポーズに過ぎないことが多く、同じ過ちを繰返す確率は高い。安倍晋三にとって反省を見せることの利害とは主に内閣支持率が下がったことのこれ以上の低落からの回避、都議選での不利からの回避であろう。

 首相という立場を弁えない冷静さを欠いた発言・態度が国会開会中続いて、閉会までに修正できなかった事実からのみ、安倍晋三という政治家を判断すべきである。この事実の原因は選挙に負けたことのない自身の選挙術に対する過剰なまでの自信、選挙によって手に入れた自民党の議席数の多さ、見せかけのアベノミクス景気に過ぎないにも関わらず、自分ではホンモノと思っていることなどによって自分の中で育てた思い上がり・驕りにあるはずだ。

 安倍晋三は反省の後に次のように訴えている。

 安倍晋三「私たちはしっかりと原点に戻らなければならないと思っております。この原点とは何かと言えば、それはあの野党時代に、3年3カ月であります。われわれはなぜ野党に転落をしてしまったのか。あの深刻な反省から私たちは新しい自民党を作っていく、こう決意をしたわけであります。

 失われた自民党への信頼を取り戻す。そして民主党政権時代に失われた政治への信頼を取り戻す。日本を取り戻す。これが私たちの原点でありました。これからもこの原点をしっかりと胸に刻みつけながら、謙虚、誠実に、丁寧にしっかり、そして改革には大胆に取り組んで、結果を出していきたいと思っています」

 「失われた自民党への信頼を取り戻す。そして民主党政権時代に失われた政治への信頼を取り戻す。日本を取り戻す。これが私たちの原点」・・・・・・

 事実政治の信頼を失わせたのは戦後ほぼ1党支配を続けた自民党政治であり、その驕りであった。国民目線に立っていない政治だと批判を受けた自民党一党支配を終わらせるキッカケを民主党は国民に与えたが、民主党政権は国民目線に立つことができず、政治への信頼をなお裏切ることになった。

 自民党は野党に落ちた反省から、批判を受けた国民目線に立つべく驕りを捨て、謙虚さを取り戻そうと従来の姿勢からの転換に務めた。当時自民党は「党利党略に走ることなく、国民のための政治を実現します」などと盛んに謳っていたりした。

 要するにそれまでの自民党が党利党略に走り、国民のための政治(=国民目線に立った政治)を行っていなかったことへの反省である。

 そして政権交代して4年半。安倍晋三は今更ながらに「私たちはしっかりと原点に戻らなければならない」と訴えている。

 この発言は政権交代して4年半の間に「原点」に戻ることができなかったことの証明以外の何ものでもない。驕りを捨て、謙虚さを取り戻すことができなかったと、安倍晋三が自ら告白したことになる。国民の目線に立った政治を口では言ったが、言ったどおりには実践できなかったいう告白でもある。

 このことは一旦下野して「原点」に戻ろうと約束し合い、約束し合ったとおりに政権交代した当座は謙虚であろうと務めたものの、一時的にしか長続きせず、喉元通れば熱さ忘れずで再び元の木阿弥となってしまったことの意味にしかならない。

 確かに第2次安倍政権発足以来、少なくない閣僚たちが自らの言動で辞任に追い込まれるか、内閣改造を機に職を外されるかしてきた。そして現在も少なくない閣僚が言動に問題のある騒ぎを起こしているだけではなく、安倍晋三自身が不正行為を疑われる問題を引き起こしている。

 こういったことも「政策論争以外の話を盛り上げてしまった」原因に付け加えなければならない。

 このような経緯は賢さも謙虚さも持ち合わせていない人間が自身の過ちにいくら反省しても長続きしない経緯と同じ軌跡を辿っている。

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