アッキード疑惑渦中の安倍晋三夫人安倍昭恵の思想傾向を推察する2017年4月6日付の「asahi.com」記事を興味深く読んだ。有料記事で無料個所は途中までしか紹介していないが、その短い紹介の中から安倍昭恵の本質的な思想が何に依拠しているか、敢えて自分なりの推察を試みてみた。
《リベラル?国粋的? 安倍昭恵さんの思想とは》 編集委員・塩倉裕 木村尚貴 学校法人「森友学園」への関与で注目される首相夫人の安倍昭恵氏。論壇ではこの間、「家庭内野党」と称されてきた昭恵氏の思想に新たな角度から光が当てられている。焦点は、スピリチュアルへの傾斜と国粋的な傾向とが共存している点だ。 「主人と意見が違うように見えても、目指すところは一緒で、日本を取り戻したいんです」。文芸春秋3月号の記事「安倍昭恵『家庭内野党』の真実」は、昭恵氏のこんな発言を伝えた。ノンフィクション作家の石井妙子氏が、昭恵氏へのインタビューも踏まえて執筆した。 脱原発に共鳴し、巨大防潮堤の建設に疑問を呈し、有機農法に取り組む。左派的な言動で、右派的な夫との〈違い〉が注目されてきた昭恵氏。だが石井氏は今回、「ふたりは価値観の基礎の部分を共有」し、「枝葉末節に属する活動については何もいわない、という安定した関係性」を築いている、と記した。 共有点の一つは、「日本の伝統」を称賛し、それが敗戦を機に米国によって奪われたと考える傾向だ。例えば昭恵氏は、日本古来の伝統だった大麻栽培が戦後は米国によって禁止されてしまった、との考えを示している。 もう一点として「信仰」も挙げた。水は人間の思いを受け取ると主張した「水の波動」理論で知られるスピリチュアル界の著名人・江本勝氏(2014年死去)。昭恵氏がその主張や神道に共鳴している点を紹介しながら石井氏は、首相夫妻が「信仰」的なものも媒介にして深く結びついている可能性を示唆した。 昭恵氏は、江本氏が主導した「国際波動友の会」の会員誌(11年)で「江本先生のおっしゃる水・意識・波動の話は正しいと直感しています」と述べていた。また江本氏とのつながりについて「20年くらい前、主人の父(注・晋太郎元外相)が 波動を調べてもらい、転写水を作っていただいたこと」がきっかけだったと紹介している。 昭恵氏は昨秋、社会学者の西田亮介・東京工業大准教授によるニュースサイトでのインタビューに応じ、宗教を問われて「どちらかというと神道です」。首相については「主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんです」と紹介した。「(私は)日本の精神性が世界をリードしていかないと『地球が終わる』って、本当に信じているんです」と語り、西田さんから「地球が終わるんですか?」と聞かれる場面も。 「昭恵氏の話は非科学的で非論理的な印象だった」「戦前の強かった日本が好きだという心情と、スピリチュアル、エコロジー。それらが混然一体になっている感じでした」と西田さんは証言する。 スピリチュアルやエコロジーへ… |
安倍昭恵の発言個所を纏めてみる。
「主人と意見が違うように見えても、目指すところは一緒で、日本を取り戻したいんです」
(自身の宗教について)「どちらかというと神道です」
(亭主に関して)「主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんです」
「(私は)日本の精神性が世界をリードしていかないと『地球が終わる』って、本当に信じているんです」
次に昭恵氏にインタビューしたノンフィクション作家石井妙子氏の安倍昭恵と安倍晋三に関わる夫婦評。
〈共有点の一つは、「日本の伝統」を称賛し、それが敗戦を機に米国によって奪われたと考える傾向だ。例えば昭恵氏は、日本古来の伝統だった大麻栽培が戦後は米国によって禁止されてしまった、との考えを示している。〉・・・・・・・
以上の安倍昭恵自身の発言とノンフィクション作家石井妙子氏の安倍夫婦評から見えてくる安倍昭恵の本質的な思想は日本民族優越意識に依拠して成り立たせているということである。
安倍晋三と「目指すところは一緒で、日本を取り戻したい」
この熱く強い思いは「日本」という絶対的な国家形式がかつて存在していたと信じていなければ囚われることはない回復願望であろう。「日本」という絶対的な国家形式がかつて存在していたとしているからこそ、「取り戻したい」という思いが募る。
「日本」という絶対的な国家形式がかつて存在していたとするためには存在していた当時の全ての日本人一人ひとりが日本人としての固有の絶対的な存在形式を備えていなければ、不可能となる。
あるいは最低限、少数の日本人を除いて絶対多数の日本人が日本人としての固有の絶対的な存在形式を備えていなければ、「日本」という絶対的な国家形式がかつて存在していたとすることはできない。
日本人としての固有の絶対的な存在形式は日本人自らが日本人を劣る民族と価値づけていたなら、手に入れることはできない。日本人自らが日本人を優秀な民族としていてこそ、手に入れることができる。
このような経緯を取って初めて、「日本」という絶対的な国家形式がかつて存在していたとすることができる。いわば日本民族優越意識に裏打ちされた、かつて存在していたとする「日本」という絶対的な国家形式であり、民族的に優越国家だったからこそ、回復願望を持つことになる。
では、そのような日本国家はいつ存在したかと言うと、ノンフィクション作家石井妙子氏の安倍昭恵と安倍晋三に関わる夫婦評に現れている。
夫婦の〈共有点の一つは、「日本の伝統」を称賛し、それが敗戦を機に米国によって奪われたと考える傾向だ。〉
要するに1945年8月15日敗戦前の日本国家――戦前日本国家と言うことになる。
安倍晋三自身も同じ趣旨のことを2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せた自らのビデオメッセージで発言している。
安倍晋三「本来であれば、この日を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」――
「日本」という絶対的な国家形式とその国民たる日本人としての固有の絶対的な存在形式が占領時代に占領軍によって奪われ、壊されてしまった。その影響は深刻で、今以って壊された状態のまま推移している。だから、そのようなかつての「日本」を安倍晋三と安倍昭恵は夫婦共々取り戻さなけれればならないとう熱く強い衝動に駆られている――ということなのだろう。
安倍昭恵が占領軍に奪われた「日本の伝統」の例として米国による禁止された日本古来の伝統だとしている大麻栽培を挙げている点にも、「日本の伝統」を称賛しているという点にも、日本民族優越意識が如実に現れている。
なぜなら、現実には「日本の伝統」という絶対的な規範は存在しないからだ。日本民族優越意識が存在させることになっている幻想に過ぎない。
日本は縄文の時代から中国の文化や技術の移入が言われ、弥生・飛鳥の時代以降は中国のみならず朝鮮半島から文化や技術を受け継いできていると言われている。そのような影響を背景とした日本の文化に室町時代以降はポルトガルやオランダの文化と技術を接ぎ木し、幕末期にイギリスやフランス、ドイツの文化をさらに接ぎ木することで重層と融合を繰返して、伝統となっていった。
こういった日本の文化の形成を考えると、戦後の米軍を中心とした占領軍は米国文化と技術を接ぎ木する新たな機会だったと言うことができる。
勿論アメリカの伝統も絶対的規範を持たず、黒人文化やヒスパニック文化、あるいは西欧各国の文化の影響を受けて、あるいは逆に日本の文化の影響を受けて、それらがアメリカの伝統と化していく柔軟性や流動性を常に属性としている。
尤も全ての伝統・文化が良性であるとは限らない。それは日本文化に於いても同じであって、そうであるからこそ、如何なる伝統・文化も絶対的規範とすることはできない。
日本が古くからの伝統としている稲作文化にしても、中国や朝鮮半島からの伝播だと言われている。だが、安倍晋三にしても安倍昭恵に劣らずに「日本の伝統」を日本の絶対的規範と信じて疑わない。日本民族優越意識に侵されている証明でもある。
安倍晋三「日本には世界に誇るべき国柄があります。息を飲むほど美しい田園風景。日本には、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら五穀豊穣を祈る伝統があります。自助自立を基本としながら、不幸にして誰かが病に倒れれば村の人たちがみんなで助け合う農村文化」――
こういった伝統、あるいは文化は他の国にもあって、日本固有の伝統・文化ではないと相対化することができずに日本の固有の伝統・文化だとする意識を働かせている。
この意識は当然、日本民族優越意識に裏打ちされている。
安倍昭恵の「(私は)日本の精神性が世界をリードしていかないと『地球が終わる』って、本当に信じているんです」の発言に最も色濃い日本民族優越意識が隠されていて、その意識に促された言葉となっている。
「日本の精神性」にしても、「日本」という絶対的な国家形式が存在しないように、あるいは日本人が日本人としての固有の絶対的な存在形式を備えていないように日本固有の絶対的な精神性なるものは存在しない。
「日本」という絶対的な国家形式が存在し、日本人が日本人としての固有の絶対的な存在形式に恵まれていたなら、戦争に負けることはなかった。それらの絶対性を最大武器として世界を征服していたはずだ。
だが、安倍昭恵は日本固有の絶対的な精神性が存在していると信じているからこそ、「日本の精神性が世界をリードしていかないと『地球が終わる』って、本当に信じ」ることができる。頭からそう思うことができる。
日本民族優越意識ここに極まれりの発言となっている。
安倍昭恵をインタビューした社会学者の西田亮介氏が安倍昭恵の中にある「戦前の強かった日本が好きだという心情」を言い当てている発言を待つまでもなく、安倍昭恵のみならず、安倍晋三にしても夫婦共々戦前の日本国家を理想の国家像とし、そのような国家が存在した戦前回帰の思想に毒されていることは今まで説明してきたことで十分である。
戦前回帰思想に「スピリチュアル、エコロジー。それらが混然一体になっている感じ」と言っていることは、戦前の日本国家を絶対的な国家形式を備えていたと見做し、その国民を日本人としての固有の絶対的な存在形式を自らのものとしていることについての合理的な根拠を示すことができない代償と見做すことができる。
自身の宗教を「どちらかというと神道です」と日本固有の宗教を挙げているが、神道が木や石、川の水等々を含めた自然界の万物に神様が宿ると考えた日本人の宗教観に発しているということだから(他の国にも自然に神が宿っているとする宗教観は存在する)、日本人の優越性の合理的な説明の代わりに「スピリチュアル」(霊魂的なもの)に頼らざるを得ないからであり、「スピリチュアル」の大本(おおもと)としての原初の自然に触れる道具としてエコロジー(=自然環境保全)の思想といったところなのだろう。
上記記事は安倍昭恵が有機農法(=自然農法)に取り組んでいると紹介しているが、有機農法に取り組むことで絶対的だと信じて止まない「日本の精神性」や「日本の伝統」に密かに自身を一体化させているのかもしれない。
安倍晋三にしても日本民族優越意識の熱に冒されている。かつて「たかじんのそこまで言って委員会」に出演して次のように発言していた。文飾は当方。
安倍晋三「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね。
この糸が抜かれてしまったら、日本という国はバラバラになるのであって、天皇・皇后が何回も被災地に足を運ばれ、瓦礫の山に向かって腰を折られて、深く頭を下げられた。あの姿をみて、多くの被災地の方々は癒された思いだと語っておられたでしょ。あれを総理大臣とかね、私たちがやったって、それは真似はできないんですよ。2000年以上経って、ひたすら国民の幸せと安寧を祈ってきた、皇室の圧倒的な伝統の力なんですよ」
そして2009年2月11日の明治神宮会館で開催の建国記念の日奉祝中央式典では皇室に関して次のようにスピーチしている。
安倍晋三「よく『国柄、国柄』と、こういうことを議論することがあるんですが、私たちの国柄は何かと言えば、これはもう、古来からの長い長い歴史の中において、日本人の営みの積み重ねの中に自然に出来上がってきたものが、私は、『日本の国柄』ではないかなと思うところでございます。
日本の歴史というのは、言ってみれば、いわば、つづら織りのようなものでありまして、タペストリーですね。
この長い歴史をそれぞれの人々が個々の歴史を積み重ねる中で、全体のつづら織ができあがってきたわけでありますが、やはり、真ん中の中心線というのは、わたくしはそれはご皇室であろうと、このように思うわけであります。(大きな拍手)
そしてそれはまさに、一本の線で、ずーーっと古来から今日までつながっている。 ここが諸外国とは大きく違う点であろうと、わたくしは思います。
日本と外国との違い、たくさんあります。また、外国の王室との違いも私はある、と思います」――
日本の歴史をタペストリーに譬え、その中心線に長き歴史に亘る皇室を置くこの発言と同様なことは安倍晋三著「美しい国へ」でも述べられている。
安倍晋三のこの二つの発言から汲み取ることができる思想は日本の歴史の中心線は皇室であり、それが「古来から今日までつながってい」て、それが日本の「国柄」だとしていることは日本国の歴史の主人公を歴代天皇に置いて、皇室を日本の歴史の主宰者と見做す国家観であって、そうである以上、天皇を特別な存在とする国家観であろう。
この国家観は天皇を神聖な侵すべからざる絶対的な存在とし、そのような絶対的な存在を頭に戴く日本人を優秀な国民・民族と信じていた戦前の思想を受け継いだ国家観である。
だとしても、安倍晋三とて日本民族優越意識など合理的な根拠で説明することはできない。
だから、安倍昭恵同様に「主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんです」とスピリチュアルなものに頼らざるを得ない。
合理的な根拠に基づかずにスピリチュアルなものに頼った今の時代まで引き継いでいる日本民族優越意識だから、間抜けな日本民族優越意識であるにも関わらず、自分からその殻を破ることも難しく、他人の説得にも耳を貸さず、いつまでも囚われ続けることになる。
日本国家が担い、日本国民の多くが毒されていた戦前の日本民族優越意識の結末が、優越民族意識を武器に勝てる相手ではないアメリカに身の程知らずに戦争を仕掛けて味わうことになった手痛い敗戦をだったが、安倍晋三の優越民族意識が自身とその妻、そして一部の日本人の間に留まっている間はいいが、絶対多数の日本人を戦前のように巻き込んだ場合、合理的根拠のない間抜けな優越意識であることに変わりはないから、惨めが結末を迎えることになるはずだ。