安倍晋三のアベノミクスでは寄り添うことのできる被災者よりも寄り添うことのできない被災者の方が断然多い

2017-04-28 11:30:35 | 政治

 2017年4月26日のTBSテレビ「ひるおび!」でコメンテーターとして出演している時事通信社特別解説委員の田崎史郎が復興相今村雅弘の4月25日の大震災は「東北の方で良かった」発言に関して、「もうクビだろ。今村さんが確かに気持ちが全然寄り添っていない。でも、政治家は寄り添っているフリはしなければいけないんですよ。実際。でもフリすらしないで『良かった』と発言してしまう。これは言葉の使い方そのものができてない」とコメントしたとネット上で批判を巻き起こしていることに昨日気づいた。

 田崎史郎が言っていることは、政治家は言葉で寄り添っているフリをしていれば務まるということになる。

 このフリは東日本大震災の被災者に対する姿勢に限らないはずだ。被災者にだけ寄り添っているフリをすればいいとなると、飛んでもない差別となるばかりか、なぜ被災者だけなのかという根拠が問題となる。

 あらゆる政治の場面でその対象となる生活者、いわば全ての国民に対してということでなければ、発言の平等性、あるいは整合性を得ることはできない。いわば田崎史郎は「政治家は国民に言葉の使い方一つで寄り添っているフリはしなければいけない」と言っていたことになる。

 田崎史郎は安倍シンパとか安倍応援団とか呼び習わされている。田崎史郎は上記言葉の後に、「安倍首相を見習わなければいけませんよ」と付け加えるべきだったろう。「安倍さんは言葉で寄り添うフリをするのは名人だから」と。

 今村雅弘の後任となった復興相吉野正芳は4月27日の衆議院の特別委員会で就任に当たっての所信表明を行っている。

 吉野正芳「避難者の数は47万人から12万人に減少したが、未だ多くの方々が不自由な生活を余儀なくされている。
 
 私は震災直後から被災した者の一人として被災者の声に真摯(しんし)に耳を傾け、痛みや苦しみ、思いを共有し、復興に全力で努力してきた。改めて復興大臣として、現場主義に徹して被災地の意見をよく伺い、被災者に寄り添いつつ、復興の司令塔としての機能をしっかり果たしながら、復興をさらに加速化させていく」(NHK NEWS WEB/2017年4月27日 11時27分)   
  
 田崎史郎が求めている政治家としてのあるべき理想の姿から解釈すると、新復興相の吉野正芳は寄り添っているフリをする言葉の使い方ができていたことになる。

 問題はフリでしかない言葉の使い方を貫き通すことができるかどうかにかかることになる。寄り添っているフリをしながら、言葉の使い方でそれがフリだったことがバレないように気をつけなければならない。

 ここで一つ断らなければならない。閣僚が被災者に使っている“寄り添う”という言葉には政治の恩恵を施すという意味を持たせているはずだ。ただ単に傍に付いていて要望を聞いて、何らかの約束をしたりすることだけを言っているわけではあるまい。政治の恩恵を施して初めて寄り添ったと言うことができる。

 となると、田崎史郎が言っているように「政治家は寄り添っているフリはしなければいけない」とか、「言葉の使い方」の問題ではないことになる。政治の恩恵は「寄り添っているフリ」や「言葉の使い方」でどうにかなるものではないからなのはわざわざ断るまでもない。

 被災地の復興政策は復興相一人で管理・運営できるわけではない。内閣の長たる首相の全体的な政策の影響を受ける。しかも東日本大震災に関わる復興推進会議の議長 は安倍晋三である。
 
 アベノミクスの2013年、2014年、2015年の3年間の経済実績は《アベノミクスの3年間の成果》(2016年1月21日・内閣府)によると、一般労働者の1人当たり賃金は2012年10月が336,100円に対して2015年10月は341,700円の+5600円で、2013~15年の年平均上昇率は0.6%と、雀の涙しか増えていない。   

 但し上記記事には家計支出額も個人消費額も出ていないが、この3年間で個人消費1.5兆円縮小、正社員マイナス23万人、非正規雇用172万人増加と言われている。

 この原因はアベノミクス3年間で実質賃金が伸びていなかったらだろう。

 2013年 -1.3%
 2014年 -3.0%
 2015年 -0.1%

 2014年-3.0%から2015年-0.1%と改善は見られるが、一方で上記内閣府の記事は、〈家計の金融資産残高は2012年7-9月期と比べると、2015年第3四半期は169兆円も増加している。〉と解説している。

 要するにアベノミクス円安・株高の金融政策によって株所有の富裕層や大企業は莫大な利益を上げ、一般生活者はその恩恵から落ちこぼれる格差(=政治の恩恵の格差)をつくり出した。

 アベノミクスが格差ミクスと言われる所以だが、この格差拡大政策が被災地に影響を与えないはずはない。安倍晋三の格差拡大旋風が被災地を避けて通ったとしたら、あり得ない珍現象である。

 2017年2月27日付け「河北新報」が、〈東日本大震災から間もなく6年を迎える中、東北の被災3県では東京電力福島第1原発事故の自主避難者を含めて3万3748世帯、7万1113人がいまだに仮設住宅での生活を余儀なくされている。〉と伝えているが、この仮設住宅入居者は一方で高台等に家を新築して仮設住宅から出ていく被災者がいながら、津波等で財産の一切を流失してしまったといった理由で自力で新居を購入する、あるいは新築する資金を手当できないから、止むを得ず仮設住宅暮らしを続けざるを得ない状況にある被災者であって、格差を見ないわけにはいかない。   

 新復興相の吉野正芳は所信表明で「避難者の数は47万人から12万人に減少した」と言っているが、避難者の中には原発事故によって福島県内の避難指示区域以外から逃れてきた「自主避難者」への民間のアパート等を借り上げたみなし仮設住宅に対する無償提供が2017年3月末で打ち切られていて、このみなし仮設入居者にしても、カネがありさえすればと悔しい思いをしている被災者が大勢いるはずだし、このような状況にも格差を見ることができる。

 そして被災地に於いても指摘されている親の格差が子の格差につながっている状況は日本全体の状況の当然の反映でもあるはずだ。

 産業面では復旧工事が盛んな建設業や製造業などで生産規模を挙げている一方で、沿岸部の水産業では風評被害等が影響してなお厳しい経営を強いられている事業者が多く、観光産業も全体として伸び悩んでいて、業種間の格差、あるいは同じ業種でも経営規模等に応じた格差が生じていると言われている。

 いわばアベノミクスは格差拡大にその政治力を発揮していても、その裏返しとしてある格差解消には無策であることが影響している日本社会全体にはびこっている格差(=政治の恩恵の格差)であり、被災地に於いても同じ状況が見舞うことになっている政治の恩恵の格差の現状ということであろ。

 当然、復興相が心の底から被災者に寄り添っていようといまいと、あるいは言葉で寄り添っているフリをしていようといまいと、「言葉の使い方」でそのことをゴマカシていようといまいと、アベノミクスの格差政策で恩恵を受けることができる国民、あるいは被災者に対しては政治は寄り添うことができていると言うことができ、恩恵を受けることができない国民、あるいは被災者に対しては政治は寄り添うことができていないことになる。

 そして格差政策の宿命として恩恵を受けることができる国民、あるいは被災者はできない国民、あるいは被災者よりも少数派であって、恩恵を受けることができない国民、あるいは被災者はできる国民、あるいは被災者よりも多数派を占めることになる。

 いくら円安・株高で富裕層や大企業が利益を上げようとも個人消費が伸びない原因がここにある。多数派と少数派が逆転すれば、個人消費は伸びるし、そもそもの格差(=政治の恩恵の格差)は拡大から縮小傾向を取ることになる。

 安倍晋三のアベノミクスが格差ミクスとなっている以上、その政治の恩恵を以てして寄り添うことのできる国民・被災者と寄り添うことのできない国民・被災者との間の格差は付き纏い続ける。

 国民や被災者に対して政治家が使っている“寄り添う”という言葉を言葉の使い方やフリで片付けることのできる田崎史郎は幸せ者である。

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