安倍晋三の戦後の占領を「戦争状況の継続」とする論理に見る占領軍の存在と占領の歴史事実に対する憎悪

2015-11-24 10:09:11 | 政治


 安倍晋三の日本国憲法は占領軍憲法だと主張している発言を調べ直しているとき、自身で書き起こしておいた2013年4月5日衆院予算委の安倍晋三と当時民主党幹事長だった細野豪志との質疑応答中の答弁でふと気づいたことがあった。

 細野豪志民主党幹事長「(主権回復の日について)4月28日に政府主催として式典を行うということが発表をされております。これは閣議決定されてますね。

 私共としても、この主権回復の日をどのように判断をしていくかということについて様々に意見を今交わしているとところでありまして、このことを考える上で総理に少し認識をお伺いしたいことがございますので、いくつかお答を頂きます。

 去年の4月28日、自民党を中心としてですね、主権回復60周年を記念の国民集会というのが開かれていて、安倍総理は当時おられませんでしたけども、メッセージを出されております。

 メッセージですから、一つ一つの言葉は揚げ足を取るつもりはありません。ま、そこに総理の重要なですね、認識、歴史認識が入っているのではないかといいうふうに思いますので少し紹介させて頂きたいと思います。

 『本来であれば、この日を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした』

 えー、この、えー、昭和27年4月28日の、えー、このサンフランシスコ講和条約の出発点というのは本来あるべき姿でのスタートではなかったと、いうふうに読めるご挨拶をされているんですが、日本はどのように改造され、精神に影響を及ぼされ、そしてスタートがなぜ間違っていたのか、その辺りのことをお伺いします」

 安倍晋三「昨年、自民党ほぼ、自民党主催だったのかな、の、えー、主権回復の記念日が開催されたわけでございます。

 私は、えー、たまたま前から約束をしていた懇意がございましたので、メッセージを、ビデオメッセージを出したわけでございます。ま、そこでですね、昨年いわば、まさに、60年を記念して行った式典ではございましたが、ま、そこで、60年前にまさに日本は、サンフランシスコ条約、平和条約、を結んでですね、戦争時代を終結をしたわけでございます。

 何年間の占領時代というのは戦争状況の継続である、ということなんですね。そして平和条約を結んで、日本は外交権を初めて、主権を回復したということになるわけでございます。

 ただ、私が投げかけた問題点はですね、それをきっちりと区別していなかったことによってですね、占領時代と、これから独立をしたという、いわば精神に於いての区別をつけていなかったのではないか、ということですね。そして同時に、この7年間の間にですね、7年間の間に憲法とか、あとは教育基本法、国の形を決める基本的な枠組み、えー、が、できた。そしてそれは果たして、それでいいのかという、ま、ことであります。

 例えば、ドイツに於いてはですね、占領軍がいた段階に於けるものは、憲法ということではなくて、基本法という形をしてですね、いわば、そうした状況が変わったときにもう一度考え直そうという、ことでありましたが、日本はそうではなかった、ということであります。

 そこでもう一度、やはり考えてみるべきではないか、ということを申し上げたわけでございまして、えー、それは60年前にですね、本来であれば、やっておくべきことだったのではないかという問題意識を申し上げたところでございます」
 
 細野豪志「確認ですが、そうしますと、憲法ができたのは、えー、昭和21年ですね。27年に日本はサンフランシスコ平和条約が発効して独立をしていますね。

 つまり、その6年間の間に、もしくはその独立をするときには憲法を新しくしてスタートしておくべきだった、そういうご認識ですか」

 安倍晋三「基本的にはですね、いわば、えー、様々な疑問があってですね、例えばハーグ陸戦協定上ですね、えー、占領している期間にはその国の基本法を変えてはならない、という規定があるわけでございます。

 ま、しかし、そん中に於いて、えー、我々は事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります。

 ま、形式的にはですね、そうではないわけであります。しかし、占領下にあって、それが行われたのは確とした事実であります。その中に於いてですね、やはり、占領が終わった中に於いて、そういう、いわば機運が盛り上げるべきではなかったか、というのが私の考えであります。

 ま、まさにこれは、えー、昭和21年でありますが、ま、当時の幣原内閣に於いて、松本烝治担当大臣が案を作って頂いたのでありますが、甲案、乙案、というのを考えていたわけでございますが、これは、2月1日に毎日新聞がスクープをしたわけでありまして、このスクープをした案を見て、ま、マッカーサーが激怒してですね、そして4日に、2月の4日に、えー、ホイットニー民政局長とケイジツ次長を呼んでですね、これは日本には任せておけないから、これは私たちで作ろう、という指示をですね、えー、ホイットニーとケイジツに出して、そしてホイットニーとケイジツに対して、えー、委員会を作って、作りなさい。そして25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります。

 ま、これは、原案、と言われているわけですから、しかしそこはですね、そういう事実を踏まえて、その段階ではそういう事実に対してみんな目を覆っていたんです。ですが、そういう事実はちゃんと見ながら、自分たちでですね、真の独立国家を作っていこうという気概を持つべきではではなかったかということを申し上げたわけでございます」――

 気づいたこととは別のことだが、何度ブログに書いても書き足りないゆえに再度書くことにするが、安倍晋三は「占領している期間にはその国の基本法を変えてはならない、という規定がある」とする「ハーグ陸戦協定」を持ち出して、その協定違反だから日本国憲法は無効だと暗に指摘していることに対して、かつて当ブログに、〈このことを謳っている実際のハーグ陸戦協定第43条は、「国の權力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為施し得べき一切の手段を尽くすべし」となっていて、日本の民主化に大日本帝国憲法は「絶対的の支障」となるとする理由を設ければ、ハーグ陸戦協定違反とはならない。

 だが、国家主義者安倍晋三には大日本帝国憲法が戦後日本の民主化の「絶対的の支障」とは目に見えていなかったのだろう。〉と書いた。

 そして日本の民主化に「絶対的の支障」足り得たのはGHQのマッカーサーによって日本人の手による作成を阻止されたとしている幣原内閣の松本烝治担当大臣が案作りをしていた、いわゆる「憲法改正私案」(松本試案)そのものであった。

 「第一章天皇」は次のように規程している。「第三条 天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」 、「第十一条 天皇ハ軍ヲ統帥ス」

 天皇は大日本帝国憲法(明治憲法)とほぼ同様に絶対的存在としていた。

 「第二十条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ役務ニ服スル義務ヲ有ス」

 「役務」とは、「公的な仕事。また、他の人のために行う労働」(コトバンク)を言う。いわば自身のための労働ではない。一旦憲法に規定されれば、法律上の強制力を持つ。

 本来なら憲法は国民が国家権力の恣意的な権力行使を縛る法規であるが、この第二十条は国民に役務を義務として課す国家の権利として規定されている。法律上の強制力は国家権力の強制力として働く。役務が兵役ともなるし、戦前のような勤労奉仕という形を取ることも可能となる。

 そして第二十八条は「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」としているが、日本国民の「信教ノ自由」は国家権力が規定する「安寧秩序」の範囲内の、その制限下に置かれた“自由”という、本来の意味に反するいびつな権利の形を取ることになる。

 だからだろう、自民党の日本国憲法改正草案第12条「国民の責務」は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と、国家権力が規定する「公益及び公の秩序」の範囲内の、その制限下に置かれることになる国民の「自由と権利」であると、松本試案と同じ趣旨を採ることになっているのだろう。

 改めて読みなおして気づいたのは、安倍晋三が「何年間の占領時代というのは戦争状況の継続である」と言っていることである。

 日本政府は「北方領土は、ロシアによる不法占拠が続いていますが、日本固有の領土であり、この点については例えば米国政府も一貫して日本の立場を支持しています。政府は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという基本的方針に基づいて、ロシア政府との間で強い意思をもって交渉を行っています」としていて、北方四島を「ロシアによる不法占拠」だという立場を取っているが、「日本固有の領土」としている以上、「不法占拠」は「ロシアによる占領」を意味する。

 安倍晋三が答弁した論理を当てはめると、ロシアによる(ロシア以前はソ連による)北方四島の占領が続いている間、日本はロシアと(ロシア以前はソ連と)戦争状況が継続し、現在も同じ状況にあるとしなければ、整合性が取れないことになる。

 だが、実際には日露間に、日ソ間であっても、周知のように現在は戦争状態にはない。

 1956年10月19日に日本とソ連がモスクワで鳩山一郎とブルガーニン(第一書記はフルシチョフ)両首相が署名した「日ソ共同宣言」は、「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日に終了し、両国の間に平和及び友好善隣関係が回復される」としていて、同1956年12月12日の発効によって日ソ間の戦争状態は終結していて、当然現在の日露間も戦争状態にないことになる。

 もし安倍晋三がこのことを十分に承知していて(承知していないはずはない)、1945年(昭和20年)9月2日の降伏文書調印からサンフランシスコ講和条約の発効の1952年(昭和27年)4月28日までの占領期間に限って「戦争状況の継続」だと見ているのだとしたら、例え国際法上の形式として平和条約の締結・発効によって戦争状態は終結されるという慣習があったとしても、日本に於ける占領の現実は平和な状態であったのだから、殊更持ち出す必要もない「戦争状況の継続」を持ち出したのは占領軍の存在と占領という歴史事実に生半可ではない激しい憎悪を内心に抱えているからに他ならないはずである。

 だからこそ、2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に、「占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした」とするビデオメッセージを送ることになったのだろう。

 戦前の日本国家と日本人の精神が占領によって断ち切られて、戦後の世界に送り出されたことが余程腹に応えているようだ。

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