夫婦別姓はそれを望む女性の世界を広げる可能性の問題であり、女性の人権に深く関わっている

2015-11-06 08:59:33 | 政治


 11月4日、夫婦別姓を認めない民法の規定は憲法違反か否かで争われた上告審の弁論が最高裁判所大法廷で開かれたと同11月4日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 原告は東京、その他在住の男女5人。憲法違反か否かで争うのだから被告は国。別の記事に最高裁は初めての憲法判断の際には15人の判事による大法廷で審理を行うと書いてあった。

 原告側「夫婦がどちらの名字を選んだか調べた結果によると、96%の夫婦が夫の名字を選んでいて、男女差別を生み出している。改正の動きを見せない国会には期待できず、最高裁判所が救済して欲しい」

 被告側「原告が主張している『名字の変更を強制されない権利』は憲法で国民に保障された権利だということはできない。民法の規定は夫婦どちらかの名字を選ぶというもので、差別ではない」

 国側の主張の「どちらかの名字を選ぶ」という民法の規定とは、「どちらかの名字を選べ」という規定ということであって、「どちらの名字も選べる」という規定ではないのだから、「どちらの名字も選べるようにすべきだ」とする原告側からしたら差別に該当することになって、「選べるか、選べないか」で争うのはさして意味はなく、原告側は選べないことの不当性と被告側は選べないことの正当性で争わなければならないはずだ。

 記事は、〈最高裁は、早ければ年内にも判決を言い渡す見通しで、家族の在り方に関わる明治時代からの規定について、どのような判断を示すか注目されます。〉と解説している。

 そして夫婦別姓を求める動きが社会に広がってきていることの背景を伝えている。女性の社会進出の拡大に伴って結婚して名字が変わることで仕事上のキャリアが途切れる問題の発生。

 但し多くの企業がこの問題に対応、仕事上で旧姓の使用を認めている企業の割合が64.5%と12年前の30.6%に比べ2倍余りに増えたと、財団法人「労務行政研究所」の調査を伝えている。

 このことが却って災いして法律を改正してまで夫婦別姓の制度を導入する必要はないという意見が出てきているという。

 つまり仕事上は旧姓、一般的な社会生活では夫の姓とする両刀使い・使い分けで結構ではないか、民法を変えることはないのではないかということなのだろう。

 結構毛だらけ、猫灰だらけだが、記事はそれでは困るよという事例も伝えている。

 身分証として使われる運転免許証や住民基本台帳カード、健康保険証は戸籍名しか認められていないために身分証の提示が必要な銀行の口座の名義は新しい名字を使用しなければならず、仕事で旧姓を使用していると振込み等を巡ってトラブルになる場合もあること。こうした不都合を避けるために籍を入れない「事実婚」を選択するケースが生じているが、法律上の夫婦ではないために所得税や相続税の控除が適用されないほか、パートナーの生命保険の受取人として認められない不都合も覚悟しなければならないこと、様々な障害があるらしい。

 そして記事は最後に内閣府の1996年・2001年の世論調査を引き合いに出して2012年の結果を伝えている。

 今の法律を
 「改めても構わない」35.5%
 「改める必要はない」36.4%

 「旧姓を通称として使えるよう改めるのはかまわない」22%台~25%台(毎回、ほぼ同じ割合)

 年代別2012年調査

 20代~50代
 「改めてもかまわない」40%台
 「改める必要はない」20%台

 60代で逆転

 70代以上
 「改めてもかまわない」20.1%
 「改める必要はない」58.3%

 男女別2012年調査

 男性
 「改めてもかまわない」35.5%
 「改める必要はない」39.7%

 女性
 「改めてもかまわない」35.5%
 「改める必要はない」33.7%

 このNHK記事では触れていないが、子どもの側の反応や親が察した子どもの反応に基づいた反対意見もある。

 安倍晋三と歴史修正主義者として兄弟の契りを結んでいるのではないかと疑いたくなる産経新聞の阿比留瑠比が子供の視点を持ち出して、夫婦別姓に反対のニュアンスで記事を書いている。

 《【阿比留瑠比の極言御免】日経、朝日のコラムに異議あり 夫婦別姓論議に欠ける子供の視点》(産経ニュース/2015.11.5 12:00)   

 〈夫婦別姓論議でいつも気になるのが、当事者である子供の視点の欠落だ。〉

 こう言って、2001年の民間団体の中高生対象のアンケート結果を子供の視点の一例に出している。

 両親が別姓となった場合
 
 「嫌だと思う」41・6%
 「変な感じがする」24・8%
 「うれしい」2・2%

 次いで2012年20歳以上成人対象の内閣府世論調査からの結果値を参考に挙げている。

 夫婦の名字が違うことについて

 「子供にとって好ましくない影響があると思う」67・1%
 「影響はないと思う」28・4%

 要するに子どもへの悪影響を通した反対意思表明となっている。

 だが、このような子どもへの否定的影響が結果としかねない家族の一体感喪失への懸念は親が子どもにどう伝えるか、親の教育にかかっているはずだ。子どもを教育できる覚悟がなければ、民法が改正されたとしても、夫婦別姓を選択すべきではない。

 また学校の教師も民法が改正された場合、保護者の中に夫婦別姓を選択する家庭が生じることに備えて児童・生徒に対して同姓と別姓の違いが出ること、法律が認めることになったから別姓を選択する家庭が出てくるという法律上の正当性の面からだけではなく、人権の側面からの正当性をも伝えることをしなければならないことになる。

 〈選択的夫婦別氏制度の法制化について、「家族の崩壊につながりかねない制度は認められない」、「一夫一婦制の婚姻制度を破壊」と反対している。2014年の調査で選択的夫婦別姓制度導入に改めて反対している。〉と「Wikipedia」が紹介している自民党政調会長の右翼稲田朋美は2015年2月19日の記者会見でも夫婦別姓について発言している。  
 
 稲田朋美「党内には色んな議論があります。私も女性が活躍するという意味において、通称使用ができるように後押しをするということは凄く重要だと思います。一方で、党内には夫婦別姓には戸籍上、子供と、お父さん・お母さんが、別姓になるというのは、家族の一体感にとってどうなのかという意見もあります。私は、冒頭言いましたように憲法上・憲法解釈というのは最高裁の専権ですから、その判断を待ちたいと思います」

 今回の最高裁の判断を待つ姿勢を示しているが、ホンネは「家族の崩壊」、「一夫一婦制の婚姻制度の破壊」、「家族の一体感喪失」を常日頃からの思想としていて夫婦別姓に反対している。

 では夫婦同姓であれば、「家族の崩壊」も「一夫一婦制の婚姻制度の破壊」も「家族の一体感喪失」も、起こり得ない、あり得ない現象だとでも言うのだろうか。

 同姓で一夫一婦制を装っていても、夫が外に愛人をつくり、あるいは妻が夫以外の男と交際しているということもある。守っているのは単に一夫一婦制というハコモノに過ぎない制度のみである。

 家庭内別居とか家庭内離婚かと言われている夫婦の形は一夫一婦制を名ばかりの制度に貶めているはずだ。

 阿比留瑠比が挙げている子どもへの悪影響からの夫婦別姓否定的評価にしても、稲田朋美が挙げている拒絶の理由にしても、夫の妻に対するコミュニケーションの取り方、妻の夫に対するコミュニケーションの取り方、両親それぞれの子どもに対するコミュニケーションの取り方とそれに応える子どもの両親それぞれに対するコミュニケーションの取り方が解決してくれる障害であるはずだ。

 夫婦間のコミュニケーションには当然、夫婦生活も入る。

 夫婦間の日常的に良好なコミュニケーションが両親の子どもへの良好なコミュニケーションに繋がっていき、子どもはそれに応えることになる。

 このようなコミュニケーションの関係が崩れたとき、「家族の崩壊」や「家族の一体感喪失」を招く隙をつくることになって、一夫一婦制を形だけのものにしかねないことになる。

 夫婦同姓の家族でもこのような否定的姿を取ることもあるのだから、本質的には夫婦別姓を直接的原因とする否定的な姿というわけではない。稲田朋美にしても阿比留瑠比にしても、視野を広く持つべきだろう。

 確かNHKのニュースだと思ったが、あるいは記憶違いかもしれないが、「生まれてきたときから名乗ってきた自分の姓を夫の姓に変えてしまうのは自分を失うような気がする」といった女性の声を伝えていた。

 自身の姓と名前を自分であること――自己存在性のアイデンティティーの主たる一つとしていて、それを出発点として自己を成り立たせている部分が人間、男女それぞれの意識の中に多かれ少なかれ存在する。

 だが、結婚してもその多くが名字を変えることのない男性はそのようなアイデンティティーを苦労もなく連続させ、守ることができる。一方結婚によって名字を変えさせられる女性の内、そのようなアイデンティティーの意識が強い場合は自己喪失感を募らせることになり、苦痛となって跳ね返ってくる。

 それを抑圧しろとするのは人間が人間らしく生きる権利とされているその女性の人権に深く関わってくることになる。

 つまり、夫婦別姓は人権問題でもある。

 2カ月程前の当「ブログ」に、安倍晋三が言う〈“女性が輝く社会の実現”にしても、「指導的地位に女性が占める割合30%」にしても、「女性の社会進出」、あるいは「女性の活躍」にしても、男性及び日本の社会が自らに巣食わせている権威主義性に対する意識改革を前提としなければならないが、全ては女性の生き方の多様化・女性の価値観の多様化という可能性の問題に突き当たる。〉と書いたが、夫婦別姓はそれを望む女性の世界(=可能性)を広げることであり、広げてこそ、社会の一員としての対等な正当性を感じ取ることができるのだから、この面からも夫婦別姓は人権問題だと言うことができる。

 例えそれが人権問題であっても、社会的少数者である場合は切り捨ててもいいということにはならない。 

 男性の場合にしても、それを許すかどうかは、人権という問題をどう把えているかの意識や感覚がどの程度かに帰着することになる。

コメント (2)
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